いつも通りの会議
すみません、ネットが悪く更新が遅れました。もう一話更新する予定です!
――同日の午前八時四十二分という、まだ街が慌ただしく動き出したばかりの時間帯のことだった。
東京都千代田区の地下深く、厳重なセキュリティで守られた首相官邸・地下危機管理センターにおいて、アメリカ合衆国大統領から極めて異例とも言える直接会談の急な申し入れが届いたという驚くべき報告を受けたその瞬間、重苦しい緊張感が漂う室内にいた日本政府関係者たちの表情が一斉に固くなり、引き締まった。
「……ついに来たか」
極めて静かながらも重みのある声でそう呟いたのは、現職の内閣総理大臣である東條 栄一だ。
彼は六十代前半という政治家として円熟味を増した年齢であり、長年にわたって複雑な外交問題と国家の骨格を支える経済政策の両方に深く携わってきた筋金入りの政治家であって、自らの感情を一切表に出さず、対峙する相手の発した言葉の裏側に潜む真意を極めて慎重に読み取ることを得意としている人物だった。
その彼の正面には、内閣の要である官房長官、国の防衛を司る防衛大臣、外交の最前線に立つ外務大臣、さらには内閣官房の危機管理担当者、そして今回の「ポーション」と名付けられた未知の極秘案件を直接把握している限られた数名の政府高官だけが集められていた。
室内の前面に置かれた大型スクリーンには、先ほどアメリカ側から電送されてきたばかりの公式な外交文書が鮮明に表示されている。
その書面に記載された内容だけを客観的に眺めれば、それは極めて自然で正当な口実に基づくものだった。
日米両国が現在進行形で直面している多角的な国際情勢についての協議、インド太平洋地域における安全保障体制の維持、持続可能な経済協力の推進、世界的なエネルギー問題への対応、そして今後の両国関係の更なる発展に向けた密接な意見交換――どこをどう切り取っても、一見すれば国際社会において日常的に行われている首脳間協議の申し入れそのもの。
だが、しかし。
この密室に集まっている人間たちは全員、その差し障りのない表面的な文章の裏側に隠された、アメリカ側の本当の狙いと真の目的を完璧に理解していた。
「……『最近の日本国内における医療研究の目覚ましい進展についても、ぜひ有意義な意見交換を行いたい』、ですか」
外務大臣が、手元の資料とスクリーンに映し出された文書の一節をゆっくりと読み上げます。
「随分と分かりやすく、こちらの様子を探ってきているようですね」
官房長官が、どこか呆れたような苦笑いを浮かべながら言った。
「ああ、その通りだろう」
東條総理もまた、深謀遠慮を巡らせながら小さく首を縦に振る。
「ただし、向こうが現時点でどの程度の正確な情報まで掴んでいるのかについては、まだ定かではない」
その瞬間、室内に張り詰めていた空気が僅かに密度を増し、緊張感が跳ね上がった。
誰もが言葉には出さないものの、全く同じ疑問と危機感を脳裏に浮かべていた。
――果たしてアメリカ側は、一体どこまでの真相を把握しているというのだろうか?
「ポーション」という未知の物質の存在そのものを知っているのか、それとも「万能傷薬」というあまりにも浮世離れした呼称やその驚異的な効能まで正確に把握しているのか、あるいは単に日本国内で発生している異常な暗号通信活動や特異な動きを察知しているだけなのか――それによって、こちらが取るべき外交的対応や防衛策は根底から大きく変わってくる。
すると、内閣官房でこの極秘案件を専門に担当している高官が、慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「総理、現時点で我が方の情報網が確認できている範囲で申し上げますと、アメリカ側が『ポーション』という固有の単語そのものを既に把握している可能性は極めて高いと考えられます」
「……やはり、そこまでは察知されているか」
「ただし、その『ポーション』という言葉が具体的に何を意味する物質なのか、どのような効能を持つものなのかという核心部分についてまでは、まだ確証を得ていないものと推測されます」
「つまり、どういうことだ?」
「向こうもまだ確定的な情報を得ているわけではなく、手探りでこちらの反応を窺っている段階に過ぎないということです」
東條は静かに腕を組んだまま、深く思考を巡らせた。
「ならば――」
一拍の溜め。そして、力強い口調で言葉を紡ぐ。
「こちらから親切に正解やヒントを渡してやる必要など、どこにもない」
室内にいた全員が、総理の言葉の意図を汲み取り、静かに頷いた。
「アメリカは我が国にとって最も重要な同盟国であり、正面から真っ赤な嘘をついて信頼関係を損なう必要もない」
東條は淡々と、しかし確固たる意志を込めて続けた。
「だが、だからと言って手の内をすべて正直に明かしてやる義理もまた存在しない」
「おっしゃる通りです」
「向こうから尋ねられたことに対しては、こちらが答えられる安全な範囲内だけで誠実に答える」
「はい」
「ただし、事態の核心を突くような部分については、徹底して曖昧にぼかしておく」
「……つまり、『そのようなものは存在しない』と全面的に否定するわけではないのですね?」
官房長官が、念のために真意を確認する。
東條は静かに首を横に振った。
「言いそこないの嘘をつくつもりはない」
そして、僅かに口元を緩め、皮肉めいた笑みを浮かべた。
「存在しないと言い切ってしまえば、後で発覚した際に不自然さが際立ち、かえって余計な疑念を生むことになるからな」
「では、具体的にはどのように回答されるおつもりで?」
「『現在、日本国内においては複数の先端研究案件について、国家として慎重に精査と検証を進めている最中である』」
東條は、一切の隙を与えないよう、一語一語を慎重に吟味しながら言葉を選び出した。
「この程度の表現にとどめておけば十分だろう」
「しかし総理、それでは納得いかないアメリカ側が、さらに強硬に踏み込んだ質問をしてくるのではないでしょうか?」
「当然、追求を強めてくるだろうな」
総理は迷うことなく即答した。
「だからこそ、こちらも相手の出方に応じて同じだけ慎重かつ巧みに対応していくまでのこと」
その静かな声には、相手に対する直接的な敵意などは一切含まれていなかった。
むしろ、恐ろしいほどに穏やかだった。
しかし、その底知れぬ穏やかさこそが、これから日米間で繰り広げられる過酷な外交戦の真の恐ろしさを物語っていたのだ。
「……つまり、終始のらりくらりとかわし続けるということですね?」
参加者の誰かが、感心したように小さく呟いた。
東條は深く微笑む。
「外交という複雑なゲームは、時にそうやって時間を稼ぎ、煙に巻くものだからな」
◇ ◇ ◇
――同日の午前九時三十分。
アメリカ合衆国の首都ワシントンD.C.に位置するホワイトハウス。
先ほどまで緊迫した議論が行われていた国家安全保障会議室とは異なる、比較的小規模ながらも最新の通信設備が整えられた執務室において、巨大な高精細モニターの前にハミルトン大統領がどっしりと座っていた。
その正面には、数分後に迫った日本との首脳間オンライン緊急会談を行うための暗号化通信設備が着々と準備されている。
大統領のすぐ隣には、側近であるエドワード・グラント国家安全保障担当大統領補佐官が控え、周囲にはウィルソン国務長官やマッケンジーCIA長官、そして精鋭の外交・情報担当スタッフたちが息をのんで待機していた。
「大統領」
グラント補佐官が、手元のタブレット端末から視線を上げて声をかけた。
「日本側との暗号通信ラインの接続準備がすべて完了いたしました」
ハミルトンは手首の高級腕時計に視線を落とし、時刻を確認した。
「予定通りの時間だな」
「はい、完璧なタイミングです」
「向こうの日本政府には、今回のオンライン会談が単なる定期的な意見交換の一環であると思わせておけ」
「既にそのように手配済みでございます」
ハミルトンは大統領としての威厳を保ちつつ、一度深く息を吸い込んで心を整える。
「最初からいきなり『ポーション』という決定的な単語を直接口に出して揺さぶるつもりはない」
「では大統領、具体的にはどのようなアプローチで切り込まれるおつもりですか?」
ハミルトンは少しの間、鋭い思考を巡らせせた。
「まずは、表面上の口実でもある医療分野での協力関係についての話題から入る」
「医療協力……でございますか?」
「そうだ、日本の誇る先進的な医療技術や研究体制について持ち上げる」
そして、ニヤリと笑みを浮かべる。
「そこから自然な流れで、最近日本国内で何やら極秘裏に新しい革新的な研究が進んでいるという情報をうまく引き出していくのだ」
CIAのマッケンジー長官が、静かに首を縦に振った。
「なるほど、相手の表情や言葉の詰まり具合から慎重に反応を見極めるわけですね」
「その通りだ」
ハミルトンは目の前に広がる暗い画面をじっと見つめた。
「我がアメリカが一体どこまでの裏情報を掴んでいるのかを、決して相手に悟らせてはならない」
「承知いたしました」
「そして同時に、日本側がどの程度の真実を把握し、何を隠そうとしているのかを精緻に確認するのだ」
その直後、通信画面のシグナルが切り替わり、高精細な映像がモニター一杯に映し出された。
日本側の画面には、終始落ち着いた不敵な笑みを浮かべた東條総理大臣が、背筋を伸ばして画面の向こう側に着席していた。
「大変お待たせいたしました、ハミルトン大統領」
「いえ、こちらこそ急な申し出にもかかわらず、貴重なお時間をいただき心より感謝申し上げます、東條総理」
「とんでもございません、両国の発展に資する貴重な議論の機会をいただき、大変光栄に思っております」
一見すると、どこにでもある至極平和的で日常的な首脳会談の風景。
両国のトップは互いに穏やかな笑みをたたえ、洗練された礼儀正しい挨拶を交わし、日米同盟の揺るぎない重要性について改めて確認し合っている。
しかし、両首脳の後ろに控え、画面の枠外からじっと見守っている双方の側近や高官たちは、誰一人として一瞬たりとも気を抜いてはいなかった。
ハミルトンが口を開き、会話をリードし始める。
「まず始めに、現在のインド太平洋地域における緊迫した安全保障環境についての認識を共有したいのですが――」
事前に練られたシナリオ通り、まずは誰もが予想する一般的な外交課題から会話がスタートする。
緊迫する台湾海峡の情勢、北朝鮮による相次ぐミサイル発射と核開発の問題、海洋における安全保障の確保、両国の経済的結びつきを強める協力体制、そして安定的なエネルギー政策の確立――どれをとっても、日米の首脳同士が話し合う議題として何一つ不自然ではない内容ばかりだった。
東條総理もまた、長年の政治経験を感じさせる淀みない口調で丁寧に一つひとつの質問に回答していく。
そして、双方のやり取りが始まってから二十分ほどが経過した絶妙なタイミングで、ハミルトンはごく自然な仕草で話題の軌道をほんの僅かに修正した。
そう、本当の目的のほうに。
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