第三十三話 二人が選び直した最初の日曜日
彼は箱を持ったまま、私を見る。
「はい」
左手を差し出す。
指輪が薬指へゆっくり収まった。
朝の光が若草色の石を透かし、肌へ淡い影を落とす。
「……意外と、重くありません」
そう言うと、レオナルトが眉を寄せた。
「指輪の重さを気にしていたのか」
「候補だった頃は、王太子妃という立場は、きっと重いものだと思っていました」
指輪へ触れる。
「今は、自分で受け取ったからでしょうか。重さがあっても、嫌ではありません」
「指先へ口づけても?」
「指輪だけではなかったのですか」
「嫌なら、しない」
「……嫌ではありません」
彼はその手を両手で包むと、私の指先へそっと唇を触れさせた。
短い温度が離れる。
レオナルトは手を放さず、灰色の瞳で答えを待つ。
「もう一つ、尋ねてもいいか」
「内容によります」
「口づけても?」
頬に、朝の光とは違う熱が集まってくる。
レオナルトは急かさない。
隣へ座り、指輪をはめた手を包みながら、ただ答えを待っている。
以前なら、彼が何を望んでいるのかを先に考えただろう。
婚約者として、王太子を待たせない答えを選んだだろう。
今は、自分がどうしたいのかを考える。
触れてほしい。
もう、迷うふりをする必要はなかった。
「……はい」
レオナルトの右手が、ゆっくり頬へ近づく。
「逃げたいなら、今でも止める」
「逃げません」
「本当に?」
「尋ねすぎです」
「一か月分、慎重になっている」
「ふふっ。では、どうぞ」
笑う私の頬に、大きな手が慎重に触れる。
温かな指が耳の下を支え、レオナルトの顔が近づいた。
灰色の瞳が閉じると、唇がそっと重なった。
触れるだけの短い口づけ。
息を吸う間もなく、温度が離れる。
レオナルトはすぐに距離を取り、私の顔を窺う。
「嫌ではなかったか」
「……終わりですか?」
彼が固まる。
自分で口にしたあと、なんてことを言ってしまったのか……と、自分の顔もさらに熱くなるのがわかった。
けれど、もう引っ込めない。
「では、もう一度?」
「毎回お尋ねになるのですか」
「勝手に決めないと約束した」
「あまりに真面目です」
「お前との約束だから」
その答えに、胸が柔らかくなる。
レオナルトの襟へ右手を伸ばした。
「今度は、私が決めます」
驚く彼を少しだけ引き寄せ、自分から唇を重ねた。
先ほどより長く。
それでも、まだ怖くならない程度に。
離れたあと、レオナルトは息を止めたまま動かなかった。
「レオナルト様?」
「……もう一度、名前を呼んでくれないか」
「口づけより、そちらなのですか?」
「どちらも欲しい」
「少し、欲張りではないですか?」
「日曜日を五年も我慢した。少しくらい許してほしい」
「いいえ。我慢していたのは、私です」
「その通りだ。今のは忘れてくれ」
「記憶喪失ではありませんので、忘れません」
困ったように笑った。
こんなふうに言い合える時間が、五年前から欲しかった。
けれど、五年前へ戻りたいとは思わない。
遠回りも、嘘も、怒りも、すべて抱えた今の二人でなければ、ここには座れなかった。
「抱きしめてもいいか」
「そう、ですね……もう少し近くても構いません」
レオナルトの腕が、ゆっくり私の背へ回る。
力を確かめるような抱擁だった。
そっと彼の上着へ腕を回し、胸元へ頬を寄せる。
耳の近くで、鼓動が速く鳴っている。
「殿下でも、緊張なさるのですね」
「フィオナの前では、何度もしている」
「冷たいお顔では、わかりませんでした」
「隠すことしか考えていなかった」
「これからは?」
「言葉にする」
腕の力が、少しだけ強くなる。
「会いたかった」
「私もです」
「今日、ここへ来るまで、断られるかもしれないと思っていた」
「殿下が来ないことを選べると知りました。私も、会いに行くことを自分で選べました」
彼の胸元から顔を上げた。
離れていた時間があったから、今の近さは誰かに決められたものではない。
「フィオナ」
「はい」
「好きだ」
短く、真っ直ぐな言葉。
候補令嬢へ与える評価でも、守るべき婚約者への責任でもない。
「……私も、好きです」
レオナルトは安堵したように息を吐く。
「何度聞いても、安心できない」
「そのたびに尋ねてください。私も、そのたびに自分で答えます」
「毎日でも?」
「公務の邪魔にならない範囲で」
「厳しいな」
「王太子妃になるのですから、そこは申し上げます」
王太子妃。
以前なら、胸を締めつける言葉だった。
今は、自分で受け取った指輪と同じ重さを持っている。
「日曜日だけでは足りない」
「月曜日から土曜日は、公務をなさってください」
「終わったら会いに行く」
「私が会いたい日だけにしてください」
「何日くらいになりそうだ」
少しだけ考えるふりをした。
月曜日。本の話をしてもよい。
火曜日。市場へ行く日があるかもしれない。
水曜日。タイムへ水をやりたい。
木曜日。剣術場で笑われるかもしれない。
金曜日。果実酒の瓶を確かめたい。
土曜日。何も決めずに歩くのもよい。
そして日曜日。
長い一日を、もう沈黙へ耐えるために使わなくてよい。
「……たぶん、毎日です」
レオナルトが笑う、その笑顔を隠さず見つめた。
日曜日だけの候補だった私は、もういない。
これからは、すべての日を、自分で選んだ人の隣で迎える。
二人が選び直した最初の日曜日は、彼の腕の中で、まだ少しだけ続いていた。
最後までお付き合いありがとうございました。
久しぶりの異世界恋愛の長編を書いてみました。
ブックマーク、★★★★★、よろしくお願いします( *・ㅅ・)*_ _))ペコ




