075 愛人
当直の夜、呼び出されて診察室に入ると、机の傍らに軍団長の副官を務める騎兵大尉サライスキ伯爵が女性を伴って立っていた。女性は毛皮の外套に毛皮の帽子で、丈の高い細身を居ずまい正しく見せていた。伯爵は、
「ハルピンへ後送されるまでの間、少しの間ですがお世話になります」
と、言った。診察しないうちに入院を認めるわけには行かぬのだが
「そして、新たな看護師を連れて参りました」
伯爵は、こちらの都合には関心がないらしく、一方的に申し出てきた。
規定によれば遊動野戦病院の正規看護師の定数は4名で、現在のところ欠員は生じていない。また、看護師資格を有する特志婦人、すなわち将校の妻と、女の兄貴の両名がチフスの治療を終えてハルピンから戻ってきたので、現在は6名の看護師が揃っている。このところ傷者が運び込まれず、来るのは軽症の病者ばかりで、医官も看護師も手持ち無沙汰になっている。どう考えても7人目の看護師を迎え入れる余地はなかった。
私の手に負いかねる事態であったが、就寝中の医長を叩き起こすほどの事ではないと考えて、伯爵には将校用の病床を宛てがい、女性は看護師の待機室で翌朝まで過ごしてもらうことにした。翌朝、朝礼を兼ねた当直勤務引き継ぎで医官と看護師の全員が顔を揃えたところで、私から深夜の来訪者について報告すると、いずれの医官も看護師も驚き、かつ不満顔になった。すでに病院の居住区が満杯だからだ。
医長が出勤すると、伯爵は女性を看護師として受け入れるか、特志婦人として受け入れるかを訊いた。
「彼女は私の良き友人で、私が本国から呼び寄せたので、責任があるのです」
伯爵は滲出性中耳炎の治療が必要だが、耳鼻科の専門医にかかるにはハルピンまで行かねばならぬ。その留守の間、女性を働かせて欲しいということらしい。鈍い私でさえ、あの女性が単なる「良き友人」ではないことは察せられた。要は戦場に連れてきた愛人を預かってくれということだ。
医長は曖昧に返答を半日も遅らせ、その間に師団軍医を病院に呼んだ。伯爵の願意を聞き届けるには師団長の裁可が必要であり、師団長に案件を取り次ぐ師団軍医に直接の応対を依頼したわけだ。
伯爵の願意を聴取した師団軍医は怒気のために殆ど自失した。
「それを師団長に取り次ぐことは出来かねる」
と、怒りの炎に煮えかえりながら厳しく申し渡した。だが、軍団長から伯爵に与えた書き付けを見せられると、一転して沈黙した。
結局のところ、師団軍医は特志婦人として女性を受け入れることを医長に求めた。而して、医長は若干の怒気を含んで
「師団軍医殿には、期待しておったのだがな」
と、聞こえよがしに言った。
主計官は、移転の際に輜重車が足りなくなることを心配していた。あの女性の身なりからして、かなりの量の私物を持ち込んでくるだろうから……ということを懸念していたのだ。
「おそらく一時的な増員でしょうし、そのために輜重車を買い増すことも難しいでしょう。監査で指摘されてしまう」
だとすると、移転に際しては輜重車を往復させ、荷物を二度に分けて運ぶほかないだろうと嘆息した。




