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コムレイズ・佳助

 シャァーと、雨音に似たものが聞こえてきた。モクモクと立ち込める霧、湿気を帯びた暑さ――ふと俺の脳裏をよぎったのは、一昨日の夜、舞依と一緒に風呂に浸かった記憶だった。

 目の前には、水滴やモヤで分かりにくいが、楕円形の鏡が壁に掛けられており、俺の姿を映している。そこで気づく。ここは、浴室だ。

 キュッと何かを締めるような音の直後、シャッという音と共に、俺の横でカーテンが開かれ、何者かの姿が現れる。


「あら、ケイスケ様!」


 ティアラだった。どうやらシャワーを浴びていたらしく、一糸まとわぬ姿で俺の前に立っている。

 頭の上に乗っていたアクセサリーも、絢爛豪華なドレスも、高いヒールの靴もない。全裸のティアラの真っ白な体が、カーテンを開けた姿勢のまま、色んなところを大胆に曝け出していた。

 俺の頭も一瞬真っ白になったが、ティアラは間髪入れず、跳び上がって俺に抱きついてきた。


「お待ちしておりましたわーっ!」


 ぎゅう〜と首に回された細い腕が力み、喉が締めつけられる。密着して胸に柔らかい感触が伝わる。顔を押しつけられて、肩のあたりでティアラの整った顔の輪郭が分かる。両脚が腰に回され、後ろでがっちり交差している。


「わかった、わかったから、わかったから離れて――」


 幸い、直近で妹に近からず遠からぬことをされていたので、この状況でも冷静さは持ち合わせていた。

 ティアラは素直に組んだ腕や脚を解き、俺の真ん前で姿勢よく立った。バスタオルや部屋着を取りに行く素振りはなく、平然と全裸で俺の前に直立している。

 これは恥じらいがないとかそういうレベルを遥かに超えている。


「ケイスケ様! また会えて嬉しいですわ!」

「服を着ようか、まず」


 じっとりと上半身に生ぬるいものを感じた。浴室の湿気か、ティアラの体についていた水滴か、あるいは汗か。

 その全部だろうなと、俺は思った。


「お着替えは、外の脱衣室にございますの」


 ティアラの返答を聞いて、そりゃそうだと思った。風呂の中に替えの服は置かない。

 というか、ティアラが非常識というか貞操観念が疎い前提で話しているが、状況的には100%俺が悪い。女の子がシャワーを浴びていて、勝手に入ってきたのは俺の方だ。

 でも同時に、全くわざとではないのにこんなことになった理不尽さに苛立ちも覚えた。1回目や2回目ともまた別の場所だし、異世界へ繋がった先の扉がランダムらしいのが、ひどく面倒だ。


「じゃあ、着替えてから話そう。シャワー浴びてたのに、ごめん」

「いえ、ケイスケ様がいらっしゃるのを今か今かと待ちわびていましたから、とっても嬉しいです」


 俺は非礼を詫びて、ティアラの天然リアクションを肩越しに聞きながら、浴室のドアを振り返った。


「…………開けてもらってもいいですか」

「……あっ。ふふ、そうでしたわね。わかりました」


 俺がバツの悪い顔をしながら頼むと、ティアラはスッと俺の隣に寄って、ドアを開けてくれた。ティアラにまとわりつく湯気が、俺にも少し移った気がした。

 俺が扉を開けると、その先が異世界へ繋がる――この法則の第一発見者は、他でもないティアラだ。このことは、まだ俺たち2人しか知らない。

 ――ティアラが誰かに言っていなければ。


「姫さ――ヒィッ!?」


 浴室から出ると、メイドが3人控えており、俺を見るなり血相を変えて口々に短い悲鳴をあげた。


「ひっ、姫様ぁ!? な、何者なのですっ、その男ぉ!?」

「そのような下賤の者と、どうしてお風呂にぃ!?」


 1人はよろめいて洗面台にもたれかかり、1人は俺を突き飛ばしてティアラを抱き留め、そしてもう1人はその場で失神した。


「お待ちになって! 彼はわたくしの【コムレイズ】ですわ! 私の浴室に控え、護衛してくださっていましたの!」


 ティアラが言うと、メイドたちの驚愕と畏怖の表情が消えた。洗面台にもたれていたメイドは裾の乱れを正しながら立ち上がり、失神したメイドはパッと起き上がって、何事もなかったかのように整列した。


「失礼いたしました、姫様」

「あなた、そういうことは前もって言ってくださらないと、びっくりしてしまうわ」


 ティアラへは謝辞を、俺には文句を、それぞれ口にするメイドたち。

 俺は少し理不尽を感じながらも、『すみません』と頭を下げた。

 理不尽には、昨日のことでかなり耐性がついたと思う。


「それに、その奇っ怪な装いも王宮関係者には相応しくないですわ。王位継承者である姫様の【コムレイズ】なら尚のこと」


 さっき俺を突き飛ばしてティアラを庇おうとした、1人だけ年配のメイドが俺を爪先から頭の毛先まで、品定めするようにジロジロ見ながら言った。

 忌々しげな口調から、彼女が俺のことを快く思っていないのは明らかだ。


「お2人とも。私はこの方に制服をあつらえますから、姫様のことをよろしく頼みますよ」


 年配のメイドは他のメイドに告げると、返事を待たずキビキビと脱衣室の出口へと向かった。


「ケイスケ様。お着替えが終わりましたら、私の今日のスケジュールをお教えしますわ」


 ティアラはメイドたちによってドライヤーで髪を乾かされ、バスローブを羽織らされながら俺にウィンクした。

 俺はドライヤーの音にかき消される言葉を何とか聞き取り、『おう』とだけ返して早足で年配メイドの後を追った。

 閉まりかけのドアを押し開けると、数メートル離れたところで、ちょうど年配メイドが別のドアを開けているところだった。俺は配慮のなさに苛立ちながらも、駆け出して間一髪でドアが閉まる前に滑り込む。


 どうやら、他人が開けたドアでも、閉まる前に通ればセーフらしい。


「私は姫様専属メイド長のマリアです」


 年配メイドは、ツカツカ歩きながら名乗った。が、俺を振り返りもせず、淡々とした口調から、ごく形式的なものと分かる。


新原ニイハラ 佳助ケイスケです」


 俺も、一応名乗る。すると、メイド長マリアは体を90度回転させ、左の部屋のドアを開ける。今度は、俺も危なげなく体を入り込ませた。


「姫様専属メイド長として言っておきます」


 マリアは洋服箪笥(だんす)を開け、シャッシャッと様々な服を脇へ避け、何か探しながら言う。やはり、俺の方は一切見ない。


「姫様の【コムレイズ】になるということは本来、1秒たりとも姫様のお傍を離れず、お守りする者のこと。

 姫様は好奇心旺盛な方ですから、異世界から来たというあなたを【コムレイズ】に選ぶのは、首肯はできずとも納得はできます。あなたも、元の世界での生活があるようですから、7日に2日の護衛というのも理解はしましょう。

 ただ――」


 マリアは1着の黒い服のかかったハンガーのようなものを掴むと、ついに俺を振り返った。服を俺の胸に突きつけ、下からひどく冷淡な眼差しを向けてくる。


「【コムレイズ】になる――この制服を着るということは、その身を犠牲にしても姫様をお守りする覚悟を決めたということ。半端な気持ちでこの制服を受け取ったら、承知しませんよ」


 本気だ。視線、語気、迫力。その全てが告げていた。こんな60代も折り返したであろう老婆が、どうやったらこれほどの圧を放てるんだ。

 俺は全身の毛が逆立つのを感じつつも、右手を持ち上げた。


「――悪いけど、俺は自分を犠牲にしたりはできません」


 俺には妹が――舞依がいる。俺は帰らなくちゃならない。舞依を悲しませない、そのためにも。俺が、舞依を守らなきゃいけないんだから。

 けど、ティアラも俺を必要としている。誘拐されかけて、泣いてしまうくらい怖い目に遭っても尚、明るく振る舞うお姫様。

 女の子を悲しませる男になるな――親父の言っていたことも守れない奴が、妹を守れるわけがないだろ。


「俺は死ぬつもりはないし、ティアラも守り抜く」


 俺は、マリアから制服を受け取った。

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