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相合い傘

 俺と舞依は浴槽で抱き合ったあと、体を洗って風呂からあがった。舞依は濡れた体や髪をゆっくり拭き、最後にもう1度俺に抱きついてきた。

 抱き締め返すと、艷やかな髪が指先に触れた。


「――風邪引くよ」


 しばらくずっとそのままだったので、そう言って舞依を離した。服を着て、洗面所から出る。

 リビングに戻ると、はるかが俺たちに気づいて顔を上げた。


「ごめんな、こんな遅くまで。舞依のこと、ありがとう」

「はるかちゃん、ありがとう」


 俺が礼を言うと、舞依も柔らかい声で感謝の意を示した。

 はるかは舞依に対しては微笑んだが、俺へは不機嫌な顔をした。睨みつけるような眼差しが、俺の瞳を捉える。

 話がある――そう訴えているように見えた。


「……舞依、先に寝てて。俺ははるかを家まで送ってくるから」

「え、マイも行く」

「湯冷めしちゃうだろ。それに、明日も学校なんだから、早く寝ないと」

「でも…………」


 舞依はバツが悪そうにはるかの方を見た。すると、はるかは優しい笑みを返した。その笑みは、どこか作り物みたいにいびつに見えた。


「今度、一緒に夜のお散歩しよ。それに、夜ふかしはお肌に悪いから、寝ないと素敵なお嫁さんになれないよ〜?」


 はるかの子ども扱いするような言い方に少しムッとしたのか、舞依は顔をしかめて『それはイヤだけど……』と呟いた。

 それを見て、はるかは面白そうに笑った。これは本当の笑顔だと、俺は分かった。


「おやすみ、舞依ちゃん。またね」

「うん。おやすみ、はるかちゃん」


 舞依は手を振って別れを言うと、2階へ上っていった。たったっ、と階段を1段ずつ上る音を、俺とはるかは聞いている。

 聞きながら、俺は食卓に並ぶ椅子の1脚に座った。上の階から、バタンと舞依の部屋のドアが閉まるのが聞こえると同時に、はるかが体を捻って俺を見る。

 俺も、体の向きを変えてはるかと向き合った。


「何があったの?」


 はるかは単刀直入に訊いてきた。


「――言えない」


 俺は考えた末、そう答えた。異世界に行ってた、なんて荒唐無稽な話、信じてくれるはずがない。


「言えない……?」


 はるかは、それこそ信じられないと言いたげに繰り返す。溜め息をつき、俯く。


「――8時くらいに舞依ちゃんからラインがきたの。『お兄ちゃんどこか知らない?』って。佳助のバイト先から電話がきて、無断欠勤だって言われたって。今まで、1度もそんなのしたことなかったのに。あたしが電話かけた時、舞依ちゃん涙声だった……。

 たまたま何も用事なかったから、会いに行ったの。1時間くらいして、舞依ちゃんが泣いちゃって……あんたに嫌われてたら、見捨てられたらどうしようって、ずっと自分のこと責めてた…………」


 聞いていて、胸が痛んだ。舞依は、何も悪くない。それなのに、辛い思いをさせてしまった。

 兄貴失格だ。


「あたし言ったよね? 舞依ちゃんに寂しい思いさせないでって。あたし、舞依ちゃんのあんな顔見たくないの。力になれるから、何があったか教えて」


 はるかは立ち上がって、俺の真正面で目線を合わせるように屈んだ。切実な眼が、俺を直視する。

 はるかは、いつもそうだ。もっと頼って、力にならせて、と俺や舞依の世話を焼いてくれる。舞依の姉、母代わりになってくれている。

 だけど。これ以上、重荷を背負わせるわけにはいかない。ただでさえ俺にだって整理し切れてないんだ。異世界なんて、そんなことには巻き込めない。


「――悪いことはしてない。これだけは、約束する」


 遠回しな拒絶を悟って、はるかは瞳を潤ませる。罪悪感を覚えて、俺も視線を外しそうになってしまうが、堪える。

 あの子は――ティアラは、舞依と同じだ。俺を必要としている。舞依のことは最優先だが、だからといって別の子が悲しんでいいわけじゃない。

 放っておけないんだ。


「頼みがある。俺は今までより舞依の傍にいてやれなくなる。俺のことはいい。ただ、舞依のことを見てやってほしい。土日なんかには、俺は家にいられない。俺がいない間、舞依が悲しまないように、できるだけでいいから一緒にいてやってくれ。お願いだ」


 はるかの目を見て、請願する。はるかはいじらしそうに唇を噛み締め、視線を逸らした。


「――わかった」


 はるかは、押し殺すような声で承諾した。


「……ありがとう」


 ふと、家の外の音が耳に流れ込んできた。

 雨だ。ザアァーと家の塀や地面、草花を空から降る水滴が打ちつける音が聞こえる。


「今日は、遅くまでごめん。家まで送るよ」

「いいよ。あたしが言ったこともう忘れたの? 舞依ちゃんと一緒にいてあげて」

「送るって言って先に寝かせたんだ。送らなかったら、舞依が怒る」

「舞依ちゃんをこれ以上独りにしたら、あたしが怒るよ」

「じゃあ、はるかに怒られることにするよ」


 俺は、それ以上有無を言わさぬよう、立ち上がって玄関へ向かった。靴を履いて傘を取り出した辺りで、観念したのかはるかは何も言わぬまま出てきた。


「傘、持ってないよな?」


 はるかは手ぶらだった。おそらくは、ポケットに家の鍵だけ入れているのだろう。

 見たところ玄関に家の傘以外なかったので、持ってきていないと踏んだ。

 だが、はるかはしばらく俯いて黙った。


「――いらない」


 顔を上げて、俺の目を見て言った。はるかの瞳は、さっきよりも潤んでいる。


「え、でもすごい降ってるよ」

「返すの面倒だから、いい」

「けど、じゃあ――」

「あんたの傘に入れてよ」


 俺は一瞬、はるかの言っていることが分からなくて、困惑した。

 はるかは、俺が差し出した傘ではなく、その前に持っていたもう片方の傘を見つめた。そのことに気づいて、やっと理解した。いや、それでもはるかの思惑は全く理解できなかったが。

 俺ははるかに貸そうとした傘を置いて、ドアノブに手をかけた。


 そこで、ハッと気づいて手を離した。またやるところだった。本当に面倒なルールだ……。

 俺が扉を開けると、その先は異世界へ繋がってしまう。だから、俺は自分で扉を開けることができない。

 外へ出るには、他の誰かに開けてもらうか、あるいは――。


「どうしたの?」


 変な挙動をする俺に、はるかは訊ねてきた。


「……ちょっと、帰る途中で手首ひねったから、開けてくれるか?」


 他に言い訳が思いつかず、はるかに頼んだ。はるかは怪訝な顔をしながらも、ドアを開けてくれた。

 開かれた先は、(うち)の玄関口と道路、雨に濡れた町並みだった。俺は、もうこの手でドアを開け、同じ景色を見ることは出来ない。

 一抹の悲しさを拭うように、俺は傘をバッと開いた。はるかが隣に密着し、歩き出す。


「……………………」

「……………………」


 道中は、沈黙と雨音が支配した。2人入るには少し小さい傘に、お互いの肩が触れ合うほど近寄って、歩幅をなるべく合わせる――いわゆる相合い傘だ。

 はるかの家はすぐ近くなので、数分もかからず着く。それなのに、やけに時間が長く感じた。実際、雨の中で相合い傘なわけだから、歩くスピードは遅くなっているが。

 雨音に紛れる、2つ分の足音。はるかの家の前まで来て立ち止まると、突然はるかが俺の右腕に抱きついてきた。


「はるか……?」

「…………」


 ぎゅう、と腕を掴む力が強まる。これ以上ないくらい密着し、舞依よりも豊かな胸が押しつけられる。

 吐息が、すぐ間近に感じる。息に混じって声が漏れるのが聞こえる。はるかの息吹きが、傘を持つ手の甲に当たる。

 上半身だけでなく、腰からつま先までぴったりとくっついているのが分かった。


「――もっと、頼ってほしいよ」


 舞依は、俺の肩に顔をうずめて呟いた。雨音よりも弱い声は、それでも確かに聞こえた。


「佳助は、いっつも自分を後回しにしたり、自分ばっかり我慢するんだから…………」


 声が。腕が。震えていた。


「力にならせてよ…………」


 俺は、ただ。眼下にあるはるかの頭に、手を置くしか出来なかった。


「ごめん……いつか、きっと力を借りるよ…………」


 それがいつになるかは、見当もつかない。既に、舞依のことに関しては頼りきりになってしまうだろうことは、簡単に想像できるのに。

 相合い傘――今はこんなにも近くにいるのに、なぜかたった1日で、途方もなく遠く離れてしまった気がする。

 雨足が、より強まった気がした。

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