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06 〈肉切り〉キャスパード

 ワームという魔物がいる。

 そいつらは地中に穴を掘って蟻地獄を形成することで有名なものだ。蟻地獄に踏み込んだ人間は沼に落ちるように沈んでいく。

 だがここは迷宮。奥が存在する。ワームが掘っていった穴はそのまま落とし穴となるのだ。


 そしてゴブリンなどの知恵のある生物は見えにくい色の木の板でそれを塞いで渡る。

 人間たちには耐えられない重量のもので道を補修するのだ。


 当然、人間たちは落ちてしまう。

 これがレグナンスの大迷宮における落とし穴の種類のひとつだ。


 そんなことを空中に放り出された中思い起こしていた。


 あー、落下死は嫌だなあ。と半ば諦めている。

 その中で、シヌーンだけが自分のやるべきことを分かっていた。


「主よ、主の貴き守りにより災厄を打ち払わんことを! 護法の十七、〈剛柔の盾〉!」


 フリーフォールの終わり。

 ぐちゃ、と衝撃が走る。……和らいでいる。しかし、鼻につく臭いだ。


 それもそのはず。

 クッションになってくれたのは冒険者たちの成れの果て。普通は落ちたら死ぬか動けなくなるので、幸運に恵まれたと考えるべきだろう。


 立とうとした瞬間――肩にナイフが刺さる。痛みではなく熱さ。頭が熱に浮かされる。

 どこから? 第二射は? 敵は?


 辺りを見回すと、そこにたたずんでいたのは白骨死体――スケルトンだ。そのスケルトンは腰に帯びた投げナイフを投擲したのだとすぐに理解する。

 全員が恐慌状態に陥っている。アリアリアは顔を真っ青にして動かないでいて、レイストフは身体が震えている。シヌーンとデッドは尻もちをついたまま後じさりをしていた。


 まずい、と思った瞬間には声が出ていた。

 自分でも驚くほどに鋭く、そして熱のある声。


「構えろ! 死にたくなかったら武器を構えて隊列を組み直せ!」


 俺の檄に現状を認識させる力があるのかは分からない。けれど、全員が立ち上がり、武器を構える。

 瞬間、からん、というがらんどうな音。


 本能のまま槍を縦にして――見れば穂先が切断されていた。

 周りを見渡すと二つの首がごろんと落ちる。


 シヌーンとデッドのものだということはすぐさま判別がついた。他は大丈夫か。レイストフは左腕をやられている。アリアリアはすんでのところで避けていた。


 さっきまで正面に居たスケルトンを視線で追いかけると、部屋の反対側まで移動している。

 見えなかった。シヌーンたちとの明暗、命があるのは単純に運があったかだけだ。


 今ので一度死んでいるという事実が肝を冷やす。氷を胃の中に詰められたらこんな気分だろうか。

 死体の山で戦意をくじかれかけた俺たちは、ただ相手の出方を待つしかない。そう思わせられる。


 だが、だが、だが――。

 こんなところで惨めに終わりたくないという気持ちが腹の奥から湧いてくる。死ぬときはベッドの上で穏やかに死ぬか、あるいは派手に散りたい。


 それが冒険者ってものだろう?

 俺は叫んだ。


「怯えるなッ! 俺たちが両手に持っているものはなんだ! 戦うための武器だろう!」

「……当たり前だッ! やってやる! やってやるんだ!」


 自らを鼓舞するレイストフに対して、アリアリアは顔を真っ青にしたまま呟く。


「……相手は〈肉切り〉。〈肉切り〉キャスパード。あの短剣の紋様、間違いないわ」


 アリアリアの言葉に対し、レイストフは斬られた左腕を押さえないまま訊ねる。


「迷宮都市に逃げた連続殺人鬼か」

「……多分。こんな浅い層に出てくるとは思わなかったけど」


〈肉切り〉キャスパード。数年前に迷宮都市レグナンスを越えて俺の住んでいた法国にまでその名が響いた、最低最悪の連続殺人鬼だ。

 若い人間を好んで殺し、それを捕えようとした冒険者出身の衛兵隊もなすすべなく惨殺された、狂気の殺人鬼の名前。

 ある日を境に被害はなくなったため、迷宮に呑み込まれたのだろうと推察されていたのだが。目の前にいるのがそうだとしたら大当たりと言ったところか。


「アリアリア、援護を頼む。レイストフ、やるだけやるぞ」

「……正気か?」


 怯えの混じったレイストフの声。先ほどの攻防で彼我の戦力差を正しく認識していることがうかがえる。

 実際に戦って勝てるかどうかで言えば限りなく不可能だろう。


 けれども、あのスケルトン――キャスパードが逃走を許してくれるかどうかだ。

 スケルトンは生前の嗜好や行動がこびりついている。嗜虐性に富んだ人物なのだとすれば、逃げは許さない。オモチャにされるかどうかだ。


 なら戦って、どれだけ困難でも生きる可能性が高い方を選ぶ。

 逃げて助かる相手じゃない。


「――正気で冒険者やれると思うか?」

「……イリアス、レイストフ。十秒でいい。時間を稼いで」

「わかった」


 レイストフは何も言わない。ただ剣を握ってキャスパードと相対するだけだ。


「イリアス。俺たち二人がかりでもどれだけしのげるかは分からない」

「でもやるしかないだろう?」

「……くそっ。損な役回りだ」


 チッ、とキャスパードが加速する。今度は見える。こちらに向かって振るわれる短剣。レイストフの剣が阻む。

 ただの棒と化した槍で心臓部の魔結晶を破壊しようとするが、手のひらで払われる。見てから対応されている。力量の差というものがありすぎる。


 いなされた勢いを殺し、スケルトンの足元を払う。


 カン! と音を鳴らして足で受け止められる。槍が駄目なら〈格闘術〉で応戦だ。


 隙を縫って行われるレイストフとキャスパードの鍔迫り合い。

 短剣という力を籠めにくい得物だというのに圧倒的に優位に立つキャスパード。


 それに対して俺は掌底を放つ。空いた片手で受け止められ、手が握りつぶされる予感。


 身体を半回転させて裏拳。両手が塞がって、バインドに持ち込まれているのだ。避けられるわけがない。

 だが狙い通りとはいかず、キャスパードの左肩をわずかに砕く程度だ。骨を砕いた音は重く響く。


「硬ったい!」

「泣き言言うな!」


 レイストフが声を荒らげる。余裕ならまだありそうだ。

 バインドを保ったまま彼はそれでもなお押し切ろうとしている。


 たった十秒がどこまでも長い。もしかして逃げたのではないかと思ってしまうほどに。

 だがアリアリアが逃げても、レイストフが死んでも変わらない。

 最後の最後まで食らいつく。それが答えだ。


 するとガクン、と膝をつくレイストフ。競り負けた!

 まずいと思い乱打。手、膝、顎、肘。ありとあらゆる箇所を拳打で狙う。肩に刺さった投げナイフを引き抜き、思い切り胸に刺そうとするが、短剣で受け止められる。


「舐め腐りやがって!」


 息を巻くレイストフ。立ち上がる彼に対してキャスパードは膝を潰そうとして――飛来した剣が逆に膝を砕く。


「お待たせ!」

「遅せえよ!」


 悪態をつくレイストフ。彼の剣がキャスパードの首を断ち切ろうとすると、やはり防がれる。片足しかないというのに、その重心にズレというものはない。

 それどころか地面を這うような動きで巧みにこちらの防御を掻い潜ってくる。


 腹、腕、腿、顔。致命傷は避けたが、それでも失った血が多い。

 ついで、槍がアリアリアによって投げられる。スケルトンの腕に当たる。


 アリアリアが鬱陶しいのか、キャスパードは投げナイフを彼女に投げる。あまりの速度に避けられず、少女の胸に刺さる。


 まずい、とひりつく喉から声が出そうになった。

 けれど身体は止まらない。俺は槍を手に取って思い切り振りかぶる。


 瞬間、キャスパードの短剣が奔る。狙いは俺の心臓。

 間に合わない。ああ、死んだな。


 ――と思っていた。


 レイストフが体当たりをし、そのまま短剣が彼の胸元に突き刺さる。


「やれッ!」


 濁った声。血を吐きながら吼えている。

 返事はしない。

 振りかぶった槍が吸い込まれるようにキャスパードの頭部をかち割った。


『〈ゼロ〉の発動を確認。〈短剣術Ⅷ〉、〈格闘術Ⅶ〉、〈魔術Ⅴ〉、〈神聖術Ⅲ〉から選んでください』


 〈短剣術Ⅷ〉、〈格闘術Ⅶ〉は魅力的だ。これがあれば歴史に名を刻むことだってできるほどに優れたものだ。

 〈魔術Ⅴ〉だって、食べていく分には十分すぎるほど。なんだったらかなり贅沢な暮らしだってできてしまう。

 Ⅹに近いということはそれだけで優れているということなのだ。


 だけど――


「レイストフ、少し歩けるか」

「……ああ、いいぜ」


 レイストフに肩をかして、アリアリアのところまで連れていく。

 血濡れの服はもう使えないだろう。アリアリアの隣に寝かされたレイストフは右腕を天井に向かって上げると何かを掴む仕草をした。


 アリアリアは土気色になった顔に、諦めの念が張り付いている。


「もうあたし駄目みたい。神聖術を使えるシヌーンも死んじゃったし」

「オレもそろそろ駄目そうだ。だけど最期にあの〈肉切り〉を倒したんだ。最高だろ」


 俺は力の抜けた二人の手を握る。


「――回道の七、治癒(ヒール)


 みるみるうちに治っていく二人の怪我。致命傷だったそれは、逆さまに傷が塞がれていく。

 傷が癒えていくと、二人の目に驚愕の色が浮かぶ。


「イリアス、貴方……」


 土気色の顔のまま、アリアリアは何かを言おうとしていて。

 おおよそ、「貴方〈神聖術〉は使えなかったはずじゃ」とでも言いたいのだろう。


 そう。

 俺は〈短剣術Ⅷ〉も〈格闘術Ⅶ〉も、〈魔術Ⅴ〉も選んでいないのだ。

 俺の手は――〈神聖術Ⅲ〉を選んだ。大した力もないそれを。


 たとえ愚かだと笑われようとも、俺は彼らを助けたかった。

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