小郡環の人生(五)
人間は死んで終わりではない、生まれ変わりというものがあるのだと、生まれ変わってから初めて知った。そして、前世の記憶を引き継ぐのだということも。
しかし皆が皆そうではないらしい。今の両親は、前世の記憶があるとは到底思えないほど教養も良識もなく、まるで動物のように欲望に忠実で稚拙だった。兄姉らも両親に似て乱暴者で、助け合いや分かち合いの精神など欠片も持ち合わせていない。今も、私のお膳からわずかしかない沢庵を兄がかっぱっていった。当然、父も母も気づくはずもなく酒盛り中。(気付いたとして注意するはずもない。)
この家は弱肉強食、非力な私はいないも同然の扱いだった。
「ほら、あんたは水汲んで来な」
一番上の姉に蹴られるように追い出され、空腹のまま手桶を肩に担いで歩き出した。
まるで死の行進だと思った。水を汲みに行くだけだのに、確実に死に近づいていく。
粗末な草履は薄っぺらくて、小石を踏み付ける度に痛みが伝わる。痛いけど、もう慣れた。まだ私は6才だけど、足の裏は黒ずんで固い。
毎日考える。自分はどうしてこんな場所にいるんだろうって。あの日公園から謎の森に飛ばされて、生きながら熊に頭を潰された。衝撃が強すぎて痛みを殆ど感じず死ねたのは幸運だったと思う。あの後きっと私は食べられてしまったんだろうな。問題はその次だ。
私はなぜか昔の日本に生まれ着いた。なぜ、未来ではなく過去なのか、輪廻転生とはそういうものなのか。生まれる先は必ずしも未来とは限らないということか。なぜ前世の記憶があるままなのか。皆こうやって命を繋いでいくのか。
誰かにこの疑問を共有したくても、両親も兄姉も人間やるのが一回目のご様子。聞くだけ無駄だ。
だから自問自答した。何度も、何度も、どうしてこうなったのかを考えた。もちろん、答えなんて出ない。
毎日が辛かった。空腹、孤独、凍える日を何日も耐えた。子供を作ることだけに熱心な両親と、食料を奪い合う存在としか互いに見ない兄姉らの中で、私は息を殺して生きていた。
循も、こんな風に隅で震えていた。やせ細った身体で、絶望した真っ黒い目をして、自分に暴力が向かわぬよう祈りながら時間が過ぎ去るのを待つ。あのログハウスにいたのは2日程度だったけれど、循は何年もあそこにいたのだ、どんなに辛かったろうか。循の苦しみを分かったつもりだったけど、全然足りていなかった。こんなに辛いなんて、もう泣く気力もないや。もし帰ることが叶うなら循に謝りたい。
帰りたい。
帰して、お願い。
なんでもするから、病気で辛いのも我慢するから。
椿ちゃん、循。
助けて。
私はここにいるよ。
助けに来て。
いくら願っても祈っても、私のところに救世主は現れない。
二度目の死は、もうすぐ7才になるという頃。一番上の兄の数字の書き違えを修正したことが発端だった。不完全な数字の四を、こっそり書き足して修正したところを、一番狡い性格をしている3番目の兄に密告された。私に馬鹿にされたと勘違いした一番上の兄は、雪混じる雨が降る夜、薄い着物一枚の私を容赦なく外へ追い出した。家の中から兄姉らの笑い声がする。私の扱いはいつもこうだ、からかい馬鹿にしていい最下位の存在で、やり返してもこない弱者だと思われている。実際、この時の私にやり返す気概なんてなかった。
隙間風の入るボロ家の中ですら寒さで震えるのに、みぞれ雪に直接吹き付けられると、身体はたちまち凍えてしまう。
冷たい、痛い。
中に入れてよ。
どうしてこんな酷いことが出来るの?
戸を叩こうと握り拳を作って「中へ入れて」と言おうとしたけれど、やめた。この行動に、一体どんな意味があるというの。この家の中に希望は存在しない。私はいつだって、安全な部屋の中には連れてってもらえない。
振り上げた拳を下ろし、氷上のような地面にへたり込む。そしてそのまま寝転んで天を仰いだ。顔に次々みぞれが降る。
冷たい。
痛い。
冷たい。
痛い。
でも、もう冷たくない。
痛くもない。
ガチガチと歯が打ち付け合う音が止み、硬直していた身体から力がふっと抜ける。空腹感も消えたみたい。兄姉らの嫌な笑い声ももう聞こえない。ふわふわ身体が浮くような、不思議な感覚がした。この7年間で、一番気が安いだ瞬間だった。
――次に意識を取り戻した時、私はキヨと呼ばれる子供に生まれ変わっていた。
キヨはそれなりに裕福な農商の家の長女だった。飯炊きをする使用人もいたくらいで、前世とは大違いの幼少期を過ごした。年子の弟との仲は良好で、生まれて間もない妹はとても可愛い。私はここぞとばかりに『いい子』『いい姉』を演じ、自分はこの家にとって有益な存在であるとアピールした。捨てられること、嫌われるとこ、疎まれることを極端に恐れていたからだ。(簡単に言えば、寝食に困らないこの生活を失いたくなかった。)
だから、弟妹の世話を積極的にし、読み書きも教えた。使用人の手伝いも率先して行った。そのおかげで、私のこの家のみならず、町一番の『いい子』と評判だった。
熊に喰われたり、寒空の下で死にたくなくて、とにかく必死だった。
ちょうどこの辺りから、自身の置かれた状況を冷静に分析し始めた。
何かの原因や理由があって、自分は生まれ変わりを繰り返している。この現象を止め、全てを終わらせるためにはどうすればいいのか。自分以外に同じ現象に巻き込まれている人間はいないのか。
しかし、考えても考えても、欲しい答えも真実も見つからない。行動範囲も極端に限られ、仲間探しに出るのも難しかった。
「キヨは自慢の娘よ、あなたはうちのお天道様ね」
優しく穏やかなキヨの母は、度々そう言って頭を撫でてくれた。
この人は、私と血の繋がった本当の母親。前世の母も私を産み育てたに違いはないが、比べてしまってはこの人に申し訳ない。そう思えるくらい、この人は素晴らしい母だった。
愛おしそうに自分を見つめてくれる母に微笑み返し、ほっと一息つく。未だに、夢から覚めると現実に絶望するし、打開できない現状に不安にもなるが、この家にいる限り、身の安全は保障される。この頃の私の精神は比較的安定していたと思う。
けれど、この穏やかな日々は泡沫の夢に過ぎなかった。
「なんか、臭い」
弟が眉根を寄せ、そんな台詞を呟いた。心臓が跳ねた。匂いの原因は自分ではないか、そう思ったから。
慌てて着物の裾の鼻を押し付けた。臭い気もするが、自分の匂いなんてよく分からない。
しかしこの日を境に、体調は急激に変化していった。もちろん、悪い方に。
「ど、どうしたのキヨ、その顔は」
昨日までなかった吹き出物が顔にいくつも出来始め、膿が溢れた。顔のみならず、腕や背中にも。あっという間に、平々凡々の容貌は見る影もなく醜く変わり、化け物のようになった。身体から漂うこの悪臭に、この見た目はぴったり似合う。
母は、身体に良いとされる薬草を私に与え、高いお金を出してお医者を呼んでもくれた。けれど体調は改善するどころか悪くなるばかり。代わる代わるやって来たお医者も症状を見て一様に顔を顰め、首を傾げていた。
母は回復しない娘に向き合うのが辛くなったのか、鬱症状を発症。お医者や父の助言を受けて私から距離を置くようになった。
いつしか、家の半地下にある日の入らない座敷が私の部屋になった。狐の祟りとか、鬼の呪いだとか村中の人が噂をし出し、私はこの家のお天道様から疫病神へ様変わり。
泣きたかったが、泣いてどうなるのかと自問自答する。けれどやっぱり涙は自然と溢れた。
母の次は子供に関わるのをあまり好まなかった父、その次はまだ幼い妹が私から離れた。よく見舞いに来てくれた弟はもう一カ月も顔を出さない。きっともう来ないだろう。世話は使用人がしてくれたが、終始嫌そうな顔をしている。そりゃそうだ、肉親だって匙を投げるのだ。病気が移るかもと心配もしただろう。
ああ、循ならどうしたろう。
循だったら、きっと毎日来てくれたろうな。
私が臭い化け物になっても、そばにいてくれたと思う。
・・・そう、思いたい。
そんなことを考えていたら、枯れたはずの涙がまた零れてきた。
冷たく暗い奥座敷で、布団の上に寝かされて、荒い呼吸をしながら天井を見上げる私のそばで、ふいに聞きなれない音がした。自分以外が発する音は久々だ。
それは、蛙の鳴き声だった。ゲコ、とまるで気泡が弾けるような音だった。霞む視界の先にはやはり茶色の蛙がいた。どこから入り込んだのだろう。 また、ゲコ、と控えめに鳴く。
枯れ枝のように細く干からびた腕を、懸命に蛙の方へ伸ばす。行動の意図は特にない。この牢獄のような場所に自分以外の生命体がいるのが嬉しくて、無意識的に手が伸びたのだ。
蛙は逃げなかった。逃げないどころか、私の方へぴょんと近づいてきた。人差し指で小さい身体にちょんと触れると、指先から湿った感触が伝わってくる。蛙はそれでも逃げないので、震える指先で頭を撫でてみた。昔の私だったら絶対にしない行動だ。蛙に触れたいと思ったことなどなかったから。
頭を撫でられても、蛙は逃げなかった。もっと撫でていたかったけど腕が重たくて限界だった。どんぐりが地面が転がる程度の音を立て、腕が落ちる。
すると、どういう訳か、蛙が手のひらの上に乗ってきた。さらにはガニ股の足をばたつかせる。タップダンスのようだった。今度は小さくて不揃いな手を上げたり下げたり大忙し。盆踊りのようだった。その光景があまりにも不思議で、あまりにも可愛くて、あまりにも不格好で、あまりにも可笑しくて、思わず口元を緩めた。
「かわいい」
そんな台詞が、自然と口から出た。もう一度、蛙の頭を親指の腹で優しく撫でてやる。 蛙は私を励ましてくれたのかもしれない。蛙は否定するだろうが、勝手にそう思うことにした。
その夜、今度こそ終わりを迎えられますようにと祈りながら私は逝った。
しかし、それでも私に終わりはやって来ない。この辺りから、私は正気を失っていった。目の前の現実を夢と錯覚するようになったのだ。
次に生まれた家は貧しいが家族仲は良かった。私は末っ子で、父母と兄2人も善良な人達だったが、時折気が狂ったように喚いたり、自分は未来から来たのだと訴える私に困り果て、これでは働き手にもならず、嫁の貰い手もないと判断されたのか、ざんまに詰められ山へ捨てられた。(貧しさも手伝ったのだろう。)
月の出ない夜のことで、私はこれも夢だと思った。だけどお腹が空いてどうしようもない。ざんまから転がり出て、目に付いたキノコに食らいついた。正気を失い、ただ食欲に支配された動物としての本能がそうさせた。結果それが毒キノコで、しばらく地面をのたうち回ったのち、泡を吹いて死んだ。映画の序盤で死ぬ端役のように無様で、なんともあっけない4度目の死だった。




