小郡環の人生(六)
その人生に、親は初めからいなかった。おそらく生後間もなく捨てられたのだろう。物心つく前から12歳になる現在まで、私は9人の子供達と一緒に寺で育てられた。
寺院はとても古くて、歩けばミシミシ音が鳴って床が割れてしまいそうだし、あちこちから隙間風吹くボロ屋だ。形ばかりの本堂と、12畳ほどの奥の部屋、そこで私達はぎゅうぎゅうになりながら暮らしている。
僧侶の法蔵さん(そう呼べと言われている。)は、私達に対して放任で、養育に積極的ではなかった。身寄りのない子供に居場所だけ与え、子供同士で助け合えというタイプ。食事も作らないし、洗濯だってしてくれないから法蔵さんの分まで私達がやった。お酒を好んで飲み、魚も鶏肉も食べる生臭坊主だ。だれど、自身の少ない給金から調味料や必要な物を買ってくれたし、檀家さんから貰った着物を与えてくれたり、彼なりに精一杯、私達と向き合ってくれていると感じた。
「みんな、ご飯できたよ!」
ひび割れた木椀に大根とじゃがいもの薄い味噌汁を注ぎ、順番に渡していく。あとは沢庵と玄米が我々の夕食である。
「たまきのご飯おいしい!」
一番小さい私達の妹・ふくは、にこお、と可愛らしく笑って、いつも私の料理を褒めてくれる。だけど美味しい、なんて嘘だ。こんな味が薄くて具材も野菜ばかり、量だって全然足らないだろう。ここにいる子供達はみんな食べ盛りなのに、こんな食事じゃ栄養不足決定だ。しかし、こんな家庭はこの周辺にはいくらでもある。私達が特別に貧乏なわけではなかった。
寺の裏で細々と野菜を育て、近隣と分け合ったりしているが、昨今は雨不足で作物がよく育たない。作物が育たなければ物々交換で得ていた米が貰えない。檀家さんから頂いたお米もあとわずか、死活問題である。
「やっぱり俺らも田んぼ欲しいよな」
一番年上の長太郎がぼそり呟いた。
「そうだね、でも分けてもらえる土地なんてないよ。やっぱり与助さんところの手伝いをする?」
長太郎の発言に同意しつつも、小蝶が控えめに提案する。けれど長太郎はぶんぶん顔を横に振って「駄目だ」と切り捨てる。
「あいつは意地が悪いからタダ働きされるに決まってる!前もそうだったろ」
「でも、この辺りじゃ与助さん家以外は私達を受け入れてくれないよ」
しょんぼりと肩を落とす小蝶、私はその肩に手を置いて「大丈夫、明日から雨がうんと降るよ」と言った。
「ほんとっ?」
小蝶と長太郎、他の子供達はわっと笑顔になった。私の天気予報を彼らは疑わない。なぜなら百発百中だからだ。
いつからか、雲の動きと風の流れ、髪や肌にあたる湿気、木々や土の状態から天気の模様が読めるようになった。年の功、というやつかもしれない。
「未来には、天気予報があってね、テレビで教えてくれるんだよ。でもあまり当てにならない、私の方が確実。未来に戻ったら天気予報士になろうかな」
「あはは、また始まった」
「環の未来人発言!」
子供達は口々に私の発言を笑ったけれど、からかったり馬鹿にしたりといったものでなく、この場を取り巻く空気は穏やかだ。「本当なのになぁ」と追撃するが、小蝶は「はいはい」とあしらってくる。彼らは誰一人、私が未来から来た未来人であると信じていない。あくまで冗談で妄言、今でいう「設定」のようなものだと考えているのみたい。
それでも、私の「設定」を気味悪がったりしない。だからと言って深追いもしない。心地い距離感で「設定」を受け止めてくれている。ここは、未来から過去へ飛ばされ、3度の死を経験した私が得た初めての居場所。
この頃の私は、確実に精神に異常を来たしていたはずだ。けれど自己を守るための「設定」と、友好的で温かい仲間達に囲まれているおかげか問題行動を起こすことなく安定していた。ちゃんと「原因不明だが、未来から飛ばされてきてしまった小郡環」をやれていた。既に3度死んだことなどなかったかのように振る舞った。そして、ここへ来る前の人生は、両親に愛され、何事も問題なく育ったと記憶をすり替えた。
きっと私は何かしらの理由があってここへ飛ばされたのだ、この現象には意味がある。自分に出来ることを全うすればいつかきっと未来に戻れる。現実と真摯に向き合い、日々を過ごそう。 この時の私は馬鹿正直で、本気でそう考えていた。必死にそう自分に言い聞かせた。
誰より早く起きて本堂の弥勒菩薩に手を合わせ、床を水拭きし、畑の様子を確認し、朝餉の支度をする。子供達の世話も率先して行い、檀家さんや近所との付き合いが不得手な法蔵さんのアシスタント役もした。
私達が作った野菜は、何も特別なことはしていないのになぜか大振りで味も良かった。なので近隣からも喜んで調味料や雑穀と交換してくれた。(米はほんのちょっとだけ。)
「あ、また蛙さんだ!」
弟の太助が畑の端を指差した。確かに、そこには茶色い蛙がちょこんと座っている。
子供達は面白がって触ろうとするので、「優しくだよ、ちょんって触るだけ」と教えた。太助とふくは素直に従い、小さい指先で蛙の頭に触れる。不思議なことに、蛙は逃げなかった。
「蛙さんが畑を守ってくれてるんだね、ありがとう」
私がそう良い子ぶって言うと、子供らも真似て「ありがとう!」と手を合わせた。するとその数日後、法蔵おじさんが貰ってきたかぼちゃの種から芽が出た。当時かぼちゃはとても珍しく、栽培法がまだ普及されておらず適当な種まきをしたので、近所で芽が出たのはうちだけだった。のち、大きくて甘いかぼちゃが5つも成った。
子供らは口々にこう言った。「あの蛙は弥勒法師様の使いだ!」と。
とある日、帳簿に記録を付けていると、酒瓶片手の法蔵さんが手元を覗いてきた。プーン、とお酒の匂いがした。
法蔵さんは感心したように言う。
「お前は字が読めるし書けるから助かるよ。ここらで字の読み書きや算術できるのはお前くらいなもんだ。おかけで他の子供らも随分賢くなった」
「あはは、そうでしょ。だって私は――」
「未来から来たから、だろ?」
「うん」
「未来じゃ貧乏金持ち関係なく、子供は六つになったら寺子屋通って勉強するんだっけか。未来ってのはいいなぁ」
「寺子屋じゃなくて学校だよ。学校にも色々あるけどね、ちゃんと勉強するよ」
「じゃあ、お前に弥勒菩薩様はぴったりだな」
「え?」
「弥勒菩薩様は、未来仏だ。今じゃなくて、未来にお現れになる」
「そうなの?」
「ああ、未来への希望の象徴だ」
しみじみと言った口調で法蔵さんは呟き、一口酒を煽る。
法蔵さんはあまり仕事のこと、つまり弥勒菩薩様や仏様について私達に語らない。今日はいつも以上に酔っているのか、珍しくそんな話をしてくれた。
彼の目線の先には弥勒菩薩様がある。あちこち錆付き、お世辞にも綺麗とは言えないが、確かに人が気軽に触れるのを躊躇わせる荘厳さがあった。
弥勒菩薩様を見つめ過ごしていた静かな午後は、長太郎、太助、ふく、大吉のけたたましい足音と騒がしい声が終わらせた。
「法蔵さん!大変だ!こいつを診て!」
洗濯していた着物が大風に飛ばされ、慌てて追いかけて行った彼らだったが、取り戻したのは着物だけではなかったようで、長太郎の腕の中には着物に包まれた子供がいた。年頃は4つか5つ、髪は伸びっぱなしで細い身体と白い顔した不健康そうな男の子だった。
「着物が飛ばされてさ!追いかけてったらあっちの蔵にへばり付いて!肩車して取ったら、蔵ん中にこいつが閉じ込められてた!」
「勝手に連れてきたんか!?」
「ちがうよ、連れてっていいって家の人がいったもん」
非難めいた法蔵さんの言葉に、大吉は不満そうに言い返した。どうやらこの子も家の人間から厄介に思われていたらしく、「連れて行きたいなら連れて行け」と屋敷の主に言われたのだとか。
法蔵さんは大きいため息を吐き、肩をがっくり落とした。気持ちは分かる、食い扶持が増えるから。畑仕事や墓掃除の働き手として使えればまだいいが、その子は無理だろう。だって、右手と右足がないもの。
長太郎の「こいつを診て」という言葉の意味は、鬼畜の両親に手足を切り落とされたかもしれない、と考えたからだろう。普通なら先天性の障害だと思うが、親に手酷く扱われた過去がある長太郎だからこその発想だ。
私は筆を起き、立ち上がる。そして、怯えるでも抵抗するでもなく、ただ大人しく長太郎に抱えられたままでいる少年の粗末な着物の裾を捲り、つるんと丸まった手先を露にした。
「生まれつきだよね?」
そう問うと、少年は無表情のまま、こくんと小さく頷いた。
おそらく、あの家の人達は障害を持った子供がいると人に知られたくなかったのだろう。だから子供を蔵に閉じ込めておいた。
生まれつきと知った長太郎の表情が少し和らいだが、この子が親から要らないと言われてしまった現実も、これから働き手にならない子の面倒を見なくてはならない事実も変わらない。
法蔵さんは呆れ顔を隠さないが、それでも少年を戻してこいと言わず、追い返す気もないようだ。小さい頭を撫でながら「まあ、出来ることをしてくれや」と薄く微笑む。その様子を見て、長太郎達は安心したように笑い合った。
「じゃあ、環、こいつに新しい名前考えてやってくれよ。こいつ、凶とか、すげえ嫌な名前付けられたから。小蝶のときみたいに、良い名前考えてやって」
長太郎の言う通り、自分の名前が嫌いだと嘆く親友のため、新しい名を私が考えた。花に留まる美しい蝶が目の前にいたから、といういい加減な理由だったが、小蝶という名を、優しい親友はとても喜んでくれた。
命名権を突然与えられ、私は一瞬怯んだ。肝心の少年は変わらず無表情のまま、じっとこちらを見ている。名付けに特に要望はないようだが、その真っ黒な瞳の奥には期待のような感情の揺らめきが確かにあって、余計に緊張した。
「じゃあ、――未来」
緊張の中、幾度も焦がれてきた単語を私が口にすると、皆がわっと笑い出した。
「ははっ、またそれかよ」
「環は未来が大好きだもんね」
「まあ、いいんじゃねえか?この古寺の子供にはぴったりの名だ」
法蔵さんに釣られるように弥勒菩薩様へ顔を向ける。何かを思案するように、右手の指先を口元に添えている弥勒菩薩様を皆で眺めていると、少年がふいに口を開いだ。これが彼の記念すべき第一声である。
「弥勒菩薩、未来仏ですか」
随分大人びた口調と、子供に似合わぬ博識ぶりに皆一様に目を丸くし、法蔵さんは嬉しそうにする。「よく知ってるな、さすがいい所の子供だっただけある」と。
法蔵さんの言う通り、裕福な家の子だっただけあって、その歳で高い教養があるようだ。敬語まで使っている。
けれど、新たに仲間となった小さな彼の続く台詞に、高揚した本堂の空気は一気に鎮静する。
「神なんて、いませんよ」
ああ、やはり、それなりに裕福な家の子だっただけあって高い教養がある。その歳で、神がいないことをちゃんと知っている。




