第5話 隣にいる理由
どれくらい座っていたんだろうか…。
気付けば空はすっかり暗くなっていて、施設の窓から漏れる明かりを、俺は庭のベンチからぼんやり眺めていた。
もうすぐ夕食の時間になるのに、それでも、部屋へ戻る気にはなれなかった。
蓮に何て言えばいいのか分からない。
謝ればいいななんてことは分かっている。
だけど……。
———一人で平気なお前には分かんない。
あの時の蓮の顔が、頭から離れなかった。
「……馬鹿だな、俺」
蓮が一人で平気なのかなんて、俺は知らない。
蓮は自分のことをほとんど話さない。
昔のことも、家族のことも、何を考えているのかも。
十二年も一緒にいるのに、何も知らない。
俺は蓮のことを、どれくらい知っているんだろう。
そんなことを考えていた時だった。
「……おい」
聞き慣れた声がして、顔を上げた。
「蓮……」
そこに立っていた蓮は、呆れたような顔で俺を見ていた。
「晩飯の時間」
「……うん」
返事はしたけどベンチから立ち上がろうとしない俺を見て、蓮は俺の隣へ座った。
何も言わずただ、隣に。
それだけでさっきまで苦しかった胸が、少しだけ楽になった。
「……ごめん」
俺は俯いたまま言った。
「何が」
「一人で平気なお前には分かんないって言ったこと」
「……別に」
「別にじゃない。俺、蓮のこと何でも分かってる気になってた」
十二年も一緒にいて、誰よりも近くにいたから。
俺は蓮のことを知っている。
そう思っていたんだ。
「でも、違うよな」
「……」
「蓮が一人でいたいのと、一人で平気なのって……多分、違うんだよな」
蓮は僅かに目を見開くと前を向いた。
「……知らねぇよ」
「そっか」
それ以上は聞かなかった。
蓮が話したくないなら、それでいい。
昔からそうしてきた。
五歳の頃、同じ部屋になったばかりの蓮は、ほとんど喋らなかった。
「ねぇ、蓮くん」
「……」
「これ、一緒にやる?」
お気に入りだったおもちゃを差し出しても、蓮は見向きもしなかった。
「面白いよ?」
「……」
「そっか」
一緒に遊べたら楽しいかと思ったけど、俺は一人で遊んだ。
でも次の日も、また声を掛けた。
「蓮くん、ご飯行こう」
「……」
「今日ハンバーグだって」
「……」
「俺、ハンバーグ好き」
「聞いてねぇ」
「あ、喋った」
蓮の声が聞けて嬉しくて笑ったら、蓮はものすごく嫌そうな顔をした。
それでも、次の日も話しかけた。
その次の日も毎日、話しかけた。
別に仲良くなろうと思っていたわけじゃない。
ただ一人でいるのが嫌だった5歳の俺は、蓮が同じ部屋にいる事が嬉しかった。
だから俺は、ずっと話しかけた。
ある日、目を覚ますと、まだ夜中で部屋は暗かった。
暗くて静かだった。
隣を見ると蓮のベッドが空いていた。
「……蓮?」
そこにいるはずの蓮がいない。
思わず名前を呼んだけど返事があるはずもない。
胸が苦しくなって、身体が勝手に震えた。
———……置いて行かれた。
「蓮……?」
ベッドから降りて、部屋を出て蓮の姿を探した。
廊下も暗くて怖かった。
だけど、どこに行ったのか分からない蓮を探した。
1人にしないで、置いていくなよ。
心の中は叫び声をあげていた。
「蓮……」
泣きそうになりながら廊下を歩いて、階段の近くまで来た時だつた。
「何してんだよ」
声がして、振り向くと蓮が立っていた。
「……蓮!」
すぐに駆け寄って、そのまま蓮の服を掴んだ。
「どこ行ってたの……」
「トイレ」
「いなくなったと思った……」
「は?」
「帰ってこないかと思った……」
涙を流す俺を蓮は困ったように見ていた。
「……何で泣くんだよ」
「だって……」
「トイレ行ってただけだろ」
「でも……」
言葉が続かなかった。
蓮はしばらく俺が落ち着くまで、待ってくれていた。
「……戻るぞ」
蓮は俺の手を振り払わなかった。
俺は蓮の服を掴んだまま、部屋へ戻った。
だけど、ベッドに入っても怖くて眠れなかった。
「蓮」
「何だよ」
「……いる?」
「いるだろ」
「明日も?」
蓮からの返事がなくて、やっぱり変なことを聞いたんだと思って、布団を頭まで被ろうとした時だった。
「……いるよ」
暗闇の向こうから声がした。
「ほんと?」
「明日になったら分かるだろ」
「……うん」
その夜、俺は安心して眠った。
そして次の朝、目を覚ますと本当に蓮がいた。
その次の日も、また次の日も。
何度朝を迎えても蓮はそこにいた。
「……覚えてる?」
俺が聞くと、隣に座る蓮は小さく息を吐いた。
「何を」
「昔、蓮がトイレ行っただけで俺が泣いたこと」
「……あぁ」
「覚えてんじゃん」
「お前が面倒くさかったからな」
「ひど」
俺が少し笑うと蓮の口元も、ほんの少しだけ緩んだ。
「でもさ」
「ん」
「あの時、蓮が『いるよ』って言ってくれたの、俺ずっと覚えてる」
蓮は何も言わずに聞いてくれていた。
「あれから朝起きるの、怖くなくなったんだ」
「……」
「目が覚めれば蓮がいたから」
口にしてから、少し恥ずかしくなって鼻を掻いた。
「なんか重いな、俺」
「今更だろ」
「否定してよ」
「事実だろ」
「蓮、冷たい」
今度はちゃんと笑えた。
「……蒼真」
「ん?」
「俺も」
蓮は珍しく、言葉を探しているようだった。
「お前が思ってるほど、一人で平気じゃねぇのかもしれない」
俺は蓮を見たけど、蓮はこっちを見なかった。
「……そっか」
だから、それだけ答えた。
嬉しかった。
蓮が初めて自分の気持ちを話してくれたから。
でも、何があったのかは聞かなかった。
蓮が話したくなった時に話せばいい。
十二年前から、それでよかった。
「飯、みんな待ってる」
蓮が立ち上がった。
「腹減った」
俺も立ち上がり、施設の玄関へ向かって、二人で並んで歩いた。
「蓮」
「何だよ」
「県外行ってもさ」
「ん」
「……たまには帰ってくる?」
聞いてから後悔した。
また俺は、誰かが帰ってくるか確認している。
五歳の頃から何も変わっていない。
だけど蓮は笑わなかった。
「帰るよ」
短い返事に俺は立ち止まった。
「……そっか」
「何だよ」
「いや」
また歩き出す。
胸の奥にあった不安が、ほんの少しだけ小さくなった。
帰ってくる。
その言葉を、俺はまだ怖いくらい信じてしまう。
でも蓮の言葉だけは、十二年前からずっと――
信じても大丈夫だった。




