第1話 当たり前の隣
朝六時。
目覚まし時計が鳴るより少し早く、俺は目を覚ました。
もう癖みたいなものだ。
隣のベッドを見るとそこではまだ、蓮が静かに眠っていた。
昔から蓮は寝起きが悪い。
だけど、俺が先に起きるのも昔からだった。
「……蓮」
小さく名前を呼んだけど、返事はなくて、規則的な寝息が聞こえてきた。
俺は笑いながら布団を軽く揺らした。
「朝だよ」
「……ん」
眠そうに目を開けた蓮は、俺を見て小さく頷いた。
それだけ。
たったそれだけなのに、何故だろう。
今日もちゃんと居てくれた。
そんな当たり前のことに、少しだけ安心している自分がいる。
「今日、学校午前だけだよな?」
「……あぁ」
「帰ったら買い物行こうよ」
「好きにしろ」
出会った5歳の頃から相変わらず愛想はない。
でも、それでいい。
蓮が俺にはちゃんと返事をくれる。
それだけで十分だった。
制服に着替えて、一階の食堂へ降りると職員さん達が笑顔で迎えてくれる。
「おはよう!」
「おはようございます!」
俺も笑って返した。
朝食の匂いと食器の音。
小さい子達の笑い声が響く食堂。
ここには毎日、同じ朝がある。
俺が五歳の頃から変わらない朝だ。
だけど、あと数ヶ月で俺達は十八歳になる。
ここを出て、それぞれの人生を歩いて行くようになる。
それが児童養護施設の決まりだった。
「蒼真くん、蓮くん」
「はい?」
園長先生が優しく笑う。
「進路の書類、今日一緒に確認しましょうね」
「はい」
俺は笑顔で返事をした。
でも胸の奥が少しだけ苦しくなる。
ここを出る。
それは嬉しいことのはずなのに。
どうしてこんなに怖いんだろう。
ふと隣を見ると蓮は何も言わずに朝ご飯を食べていて、園長先生の言葉にもただ頷いただけだった。
いつもの無表情に俺は少しだけ笑う。
大丈夫。
蓮がいる。
そう思うだけで、不思議と心が落ち着いた。
昔からそうだった。
嬉しい時も、悲しい時も。
何も言わなくても。
隣には、蓮がいた。
それだけで、俺は安心できた。
1人の暗い部屋で眠らずにすんだ。
朝食を食べ終えると、俺達は鞄を肩へ掛け、玄関へ向かった。
「いってきます」
自然と口から出るその言葉に、職員さん達が笑顔で手を振る。
「いってらっしゃい」
昔は、この”いってらっしゃい”が少し苦手だった。
どう返せばいいのか分からなかったから。
だけど今は違う。
ここには帰って来られる。
そう思える場所になっていた。
靴を履き終え、玄関の扉を開けると、朝の少し冷たい風が頬を撫でた。
「今日も寒いなぁ」
俺が空を見上げると、隣から小さな声が返ってくる。
「……もう秋だからな」
「そっか」
2人で歩き始める通学路。
施設から学校までは歩いて二十分。
昔から変わらない通学路だった。
前を歩く小学生達や職員さんに手を引かれて歩く幼い子。
その姿を見ながら、ふと笑ってしまう。
「懐かしい」
「何が」
「俺達もあんなだったなぁって」
「……覚えてねぇ」
「えぇー?絶対嘘だ」
蓮は何も答えなかった。
でも、いつもの無表情な横顔の口元が少しだけ緩んだ気がした。
多分、気のせいじゃない。
昔は泣き虫だった俺の手を、蓮はよく黙って引っ張ってくれた。
何も言わず、慰める訳でもなく。
ただ隣を歩いてくれた。
あの頃から変わらない。
俺が歩けば、蓮も歩く。
蓮が立ち止まれば、俺も待つ。
それが当たり前になっていた。
「蒼真」
「ん?」
「信号」
「あっ」
危うく赤信号を渡りそうになっていた俺の制服を、蓮が軽く掴む。
「危なっ……ありがとう」
「ぼーっとすんな」
「はーい」
呆れたように息を吐く蓮を見て、思わず笑ってしまう。
こんな何気ない朝も、あと数か月。
十八歳になれば、この施設を出る。
同じ部屋で眠ることも、一緒に学校へ行くことも、“いってきます”を言うことも、きっと、今日みたいにはいかなくなる。
そう思うと、胸の奥が少しだけ締め付けられた。
一緒にいる事が当たり前だと思っていたのに。
この日常が続けばいいのに。
────俺はまた、暗い部屋に1人になるのかもしれない。




