第6話 人に通じる薬草
土手を降りきると、川の音が世界の底に敷かれた。
瀬を走る水の音と、岸の石を洗う音。雨を集めた流れは白く速くて、川面を渡ってくる風が、登りで汗ばんだ首筋を冷やしていく。僕はリュックを乾いた石の上に下ろし、布袋と麻紐だけを腰に差した。
クルサの帯は、思っていたより長かった。
湿った裾に沿って、上流へも下流へも、ぎざぎざの葉が点々と続いている。僕は下流の端から取りかかることにした。膝をついて、株の根元を確かめる。雨を吸った茎は太くて、折り口からにじむ汁も濃い。根を残して、小刀で茎だけを刈る。ひと株、ふた株。手が調子をつかむと、あとは呼吸と同じだった。刈って、束ねて、布袋へ。袋がひとつ埋まるたび、麻紐で口を縛って、石の上のリュックまで運ぶ。
陽が高くなる。川風がなければ、汗だくになっていたところだ。
束は、もう六つになっていた。北の斜面なら、丸一日粘って三束がいいところ。あの親父の言った通り、いや、それ以上だ。刈っても刈っても、帯の先はまだ視界の外へ続いている。欲をかいて全部は採らない。根を残して、来る奴のぶんも残して――それでも、今日の袋は久しぶりに、腕に食い込む重さになりそうだった。
途中、腰を伸ばして、僕は手袋を外し、水際で手を洗った。手袋の掌は、赤い汁と土で、もう黒く染まっている。素手の指先にも色は移っていて、洗っても爪の際にうっすら残った。ギルドの査定台に立つ資格の色、みたいなものだと思うと、ちょっとだけ誇らしい。
「……よし、次」
昼は、川原の平たい石に腰を下ろした。
黒パンを削いで、干し肉と、乾いたバルゴの葉で巻く。指はもう、見ないでも巻けるようになっていた。川の水を手ですくって飲むと、歯の根が痺れるほど冷たくて、うまい。対岸の茂みでは、名前を知らない小鳥が、さっきからずっと同じ節を繰り返している。人の声のしない場所の、にぎやかさだった。
「……いい場所だな、ここ」
半分は草に、半分は自分に言って、僕は残りをひと口で片付けた。
昼を回った頃、土手の張り出しの下に、日の差さない岩陰を見つけた。
湿った石の匂い。張り出しの奥に、見覚えのある細い葉が、ひと群れ。葉脈が、弱いけれど確かに青く光っている。ステリアだ。裏斜面のものより株は小さい。それでも、二株、三株……五株はある。
「いた」
声が弾んだ。けれど、今回は前と違う。
僕は川へ戻って、流れの緩い淀みの石から、湿った苔を手のひらぶん、そっと剥がした。布袋の底に苔を敷いて、掘り上げたステリアを一株ずつ、根の土ごと寝かせる。最初の一株は、慌てて葉を折り曲げてしまった。指先から力を抜いて、袋の布ごと持ち上げるようにして、やり直す。二株目からは、うまくいった。上からまた苔を被せて、袋の口はゆるく縛る。締めすぎると葉が蒸れる。……たぶん。メルナさんの言葉を、手の中で思い出しながらやる作業は、教わった時の倍、時間がかかった。
「これで、いいはずです」
誰にともなく言って、僕はその袋だけ、リュックのいちばん上に置いた。
午後は、湿地寄りの草を見て回った。
水気の多い土には、乾いた草地とは別の顔ぶれが生えている。すり潰して湯に溶く、アマラの根。洗って、そのまま貼る、レニスの葉。どれもクルサほどの値はつかないけれど、束に混ぜれば銭の足しにはなる。僕は買い手のつくものだけを選んで、別の布袋に集めていった。
その中に、一株。
深い緑の、艶のある葉。買われる草のあいだに、当たり前の顔で混ざっている。
摘みかけた指を、僕は手前で止めた。メルナさんが言っていた。昔は毒草ばかり掴まされた、と。――新人が、間違えて摘む草だ。屈んだまま、葉の照りと緑の深さを見比べて、確かめる。これは、摘まない草だ。
その株だけを残して、次へ手を伸ばした。
僕は手袋の泥を払って、立ち上がった。教わったとおりに、できた。買われる草だけを、僕は袋に詰めていく。それが仕事で、それでいい。いいんだけど――リュックはちゃんと重いのに、なんだか少しだけ、軽い気もした。
引き上げる前に、水を汲もうと上流へ少し歩いた。
瀬の脇のぬかるみで、足が止まった。
草が、潰れている。獣道の踏み跡にしては幅が広くて、潰れ方が深い。雨に洗われて輪郭は崩れているけれど、泥の窪みは、僕の広げた手より大きかった。犬なら、大型の。……いや。
鳥の声が、上流のほうだけ薄いことに、そのとき気づいた。昼にあれだけ節を繰り返していた、あのにぎやかさが、ない。
僕は水を汲むのをやめて、来た道を戻った。慌てはしない。ただ、今日はここまでで十分だ。リュックを背負い、革帯を締めて、土手を登る。登り切って一度だけ振り返ると、川は何事もなく白く走っていて、あのぬかるみは、張り出しの陰に隠れてもう見えなかった。
帰りの街道は、行きより長く感じた。リュックの重さが肩に食い込んで、一歩ごとに革帯が鳴る。西陽が轍の水たまりを金色にして、追い越していく荷馬車の御者が、歩きの僕をちらりと見下ろした。急ぐ理由は、今日はもう、こっちにもない。
東の街門に戻ったのは、陽が傾き始めた頃だった。
朝の衛兵がまだ立っていて、リュックの膨らみに目を落とした。
「早いな」
「はい。風が出る前に、と思って」
「そうかい」
それだけだった。忠告を覚えていた奴、と思われたのか、どうか。門をくぐると、夕方の街の音が、川の音と入れ替わりに戻ってきた。
ギルドへ向かう途中、薬屋の前で足が止まった。
間口の狭い店で、軒先に干した草の束がいくつも吊るされている。その脇の柱に、薄茶の紙が一枚、貼ってあった。
――クルサ・薬草各種、買イ取リマス。
開けっ放しの戸口から、乾いた草と、埃と、煮詰めた蜜のような匂いが流れてくる。店の奥で、とん、とん、と何かを刻む音がしていた。手は見えるのに、顔は棚の陰で見えない。
ギルドの買取と、薬屋の買取。同じ草でも、出す先で値は変わるんだろうか。張り紙の字は不揃いで、けれど「買イ取リマス」のところだけ、妙に大きかった。
リュックの肩紐を握り直して、僕は決めた。
明日、ここに寄ってみよう。




