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僕の世界  作者: 0u0
第一章
10/31

第7話 秤の指

 薬屋の戸口は、朝から開いていた。


 昨日と同じ、乾いた草とほこりと、煮詰めた蜜のようなにおい。一歩入ると、その匂いが層になって濃くなった。天井まで届く棚に、口をひもしばった紙包みがぎっしり並んで、はりからは干し草の束が何十と下がっている。奥の台で、薬研やげんがごり、ごり、と鳴っていた。昨日の、あの刻む音の正体だ。台の脇には刻んだ根が山になっていて、その隣に、塗り薬らしい小さなつぼが蓋を開けたまま並んでいる。量り売り用の木のさじが、使い込まれて飴色あめいろになっていた。


 その手が止まって、棚の陰から、小さな顔がのぞいた。


 せた、年寄りの女の人だった。白髪しらがをきっちり後ろでまとめて、腰は少し曲がっているのに、目だけが棚の紙包みみたいにきちんと整っている。


「おや。昨日、表で張り紙を見てた子だね」


 見られていたのか。声は、湯冷ましみたいに柔らかかった。


クルサ(止血草)の買取を、お願いしたくて」

「お出し」


 台の上で布袋を開けると、老婆は束をひとつ取って、慣れた指で葉を裏返した。くきを折り、切り口を目の高さに上げて、にじむ汁の色を確かめる。残りの五束も、ひとつずつ手に取っては、指先で葉をはじいて戻す。一束に、三呼吸もかけない。手つきだけで分かる。この人は、草で食ってきた人だ。


「いい汁だ。雨あがりに、日陰のを選んだね」


 褒められて、少しうれしくなった。背筋が、勝手に伸びる。その口で、老婆は続けた。


「ただねぇ、あいにく今日は出回りが多くて。束、六百ってとこかね」


「雨あがりの濃いものなら、ギルドで八百五十つきます」


 染みついた手癖が、考えより先に口から出た。


 出すつもりは、なかった。


 薬研やげんの余韻まで消えて、店の中が静かになった。通りの荷車の音が、急に近くなる。


「……ずいぶん、知ってるね」


 老婆が言った。


 しまった、と思った時には、もう遅かった。


「……あ、いや。前に、受付で聞いたような気がして」


 少し考えて、僕は困ったように笑った。


「たぶん、そんな感じのことを」


 老婆は僕をもうひと呼吸ぶん見て、それから、ふ、と息だけで笑った。


「いい受付に当たったね。――八百七十。六束ぜんぶ、ここに置いていくなら」


 ギルドより上だ。うなずくしかなかった。


「あと、こっちの雑いのも見てもらえますか。湿地の、アマラ(解熱草)の根と、レニス(湿布草)の葉です」

「お出し」


 老婆は袋の中身を台に空けて、まず選り分けた。アマラの根は右へ。レニスの葉は、一枚ずつかして、ふちの傷んだものを容赦なく左へはねていく。はねられた葉が、みるみる小さな山になった。文句は言わなかった。実際、はねられた葉は、昨日の僕が欲を出してつまんだ、下の方の古い葉だった。


 残った分を、老婆ははかりに載せた。皿が沈んで、分銅ふんどうが鳴る。その皿の縁に、老婆の小指が、そっとえられていた。


 ……見てしまった。


 見てしまって、今度は口を動かさなかった。動かさない代わりに、目が、その小指から離れるのに一拍遅れた。


 老婆が、僕の目線の先を追った。


「――おや」


 小指が、皿からすっと離れる。老婆は悪びれもせず、乾いた声で、くく、と笑った。


「目もいいんだねぇ、あんた」

「……いえ」

「五百八十。指の分は、まけとくよ」


 どこまでが冗談なのか、分からない笑い方だった。僕は黙って頭を下げた。奥歯が、一度だけ、み合った。


 支払いは、五百レムと百レムで、しめて五千八百レム。ギルドで売るより、確かにいくらか良い。そのかわり、油断したら指一本ぶん、静かに削られる。ここは、そういう店だ。


「ときに、あんた」


 硬貨を数える僕の手元へ、老婆の声が落ちてきた。


「採取は、どこで覚えたんだい。手際が、拾い仕事の子のじゃないよ」

「……あちこちで。薬草の、多い土地にいたので」


 老婆は「ふぅん」とだけ言って、それ以上は聞かなかった。聞かないことが、この人の値踏みの続きのような気もした。


 帰りかけて、僕は足を止めた。リュックのいちばん上の、こけの袋。


「あの。ステリア(傷薬の高級草)は、買ってもらえますか」


 老婆は袋の口を開け、苔の間の青い光をひと目見て、すぐ閉じた。


「うちじゃ等級の判が押せない。それはギルドへお持ち」


 それから、袋の苔を、しわだらけの指でひと()でして、返してよこした。


「……ふぅん」


 今度の「ふぅん」は、さっきより半音だけ低かった。


「クルサは、また持っておいで。雨のあとのなら、いつでも」


「はい。ありがとうございました」


「――ルタ」


 え、と振り向く。


「あたしの名前だよ。次から、表で迷わないようにね」


「……ノアです」


 背中に言った。ルタさんは振り向かなかった。ただ、薬研の音が、一度だけ止まった。

 それから、ごり、ごり、という音が、僕の背中を戸口まで送った。


 革袋に硬貨を落とすと、袋はてのひらの上で、昨日より確かな重さになった。目標までは、まだ遠い。でも、進んでいるのが分かる重さだった。


 店を出ると、朝の光が目に刺さった。通りの音が戻ってくる。


 夕方のギルドは、朝とは匂いが違う。汗と、革と、こぼれた麦酒。依頼から戻った連中のざわめきの中を、僕は列に並んで、順番を待った。


 カウンターの木の飴色が、り灯りの下で鈍く光っている。順番が来て、僕は苔の袋を台に載せた。


 メルナさんは僕の顔を見て、袋を見て、口を開けた。何か言いかけて――こけの下の、青い光に気づいて、止まった。


 片方のまゆが、ゆっくり上がる。


 メルナさんは何も言わずに、査定のふだへ手を伸ばした。


 株をひとつずつ、明かりに透かして数える。指が、五回、止まった。それから札に、走り書きで数字を書いて、こちらへ滑らせた。


 一万三千レム。


 ……一万三千。


 思わず、札とメルナさんの顔を見比べた。浅場あさばの、あんなに小さな株で。今日ルタさんに売った一日ぶんの稼ぎの、倍以上だ。


「あ、ありがとうございます……!」


「礼はいいよ。――苔の分だ。裸で持ってきてたら、半分にもならなかった」


 メルナさんは素っ気なく言って、硬貨を数え始めた。でも、その一言が、なんだか胸の奥をあたたかくした。教わったことが、ちゃんと、値段になっている。


 宿への帰り道、僕は何度も革袋の重さを確かめた。小銭とは違う、一万レム硬貨の、ずしりとした冷たさ。目標の、二割を越えた。音じゃなく重さで、革袋が自分を主張し始めていた。


「……やった」


 誰もいない路地で、少しだけ、口に出した。てのひらには、まだ苔の湿りが残っている気がした。

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