第5話 東の門
東の空が、屋根の上でようやく白み始めた頃、僕は列の後ろに並んだ。
東の街門は、北とは別の顔をしていた。門そのものが二回り大きく、扉の前には荷馬車が三台、鼻息の白い馬ごと順番を待っている。幌の油布の匂いと、馬の体温の匂い。石畳の轍に朝靄が薄く溜まって、蹄が鳴るたび、ゆっくりかき混ぜられた。
先頭の荷馬車で、検めが始まっている。
商人が革の筒から書き付けを出して、衛兵に渡す。荷の目録らしい。衛兵はそれを片手に幌をめくり、樽の頭を拳で二度、三度と叩いた。中身と書き付けを突き合わせる、乾いた音。商人は揉み手も世間話もせず、ただ黙って待っている。毎朝のことなのだろう。
二台目で、列が止まった。
樽がひとつ、書き付けと数が合わないらしい。年かさの衛兵が、奥へ短く声をかける。もうひとり出てきて、荷馬車ごと門の脇へ寄せられた。商人が何か言いかけたが、その衛兵が首をひとつ横に振ると、それきり黙った。声を荒げる者はいない。ただ、通してもらえない荷が、朝の門にはちゃんとある。列は、さっきより少しだけ静かになった。
残りの列は、また少しずつ進んだ。
僕の前には、四人組の冒険者がいた。
先頭の大柄な男は、縁の潰れた盾を背負っている。その後ろに槍持ちがひとり、穂先に革の鞘を被せたまま欠伸をしていた。三人目は弓で、矢筒の口を雨除けの布で縛っている。最後のひとりだけ荷が軽く、身のこなしも軽い。腰の短剣と、丸めた細引きの縄。たぶん、道読みの斥候だ。
「急げ、商隊が先に出ちまう」と盾の男が振り返らずに言い、槍持ちが欠伸を噛み殺したまま頷いた。護衛の合流だろう。四人はカードを扇のように束ねて掲げただけで、通された。衛兵が顔を覚えている歩き方だった。
すれ違いざま、斥候らしい男の目が、僕の上をすっと撫でていった。左腰の長剣、リュック、それから――連れのいない、僕の後ろ。何も言わなかった。ただ、通り過ぎる半歩のあいだだけ、憐れむような、呆れるような、短い間があった。
列が進むあいだ、訊かれそうなことを、頭の中で一度だけ並べておく。行き先。用件。戻り。……生まれ。最後のひとつだけ、舌の上で転がして、しまい直した。
僕の番が来た。
「カードと受注証」
言われる前に、リュックの口に挟んでおいた二枚を出す。夕べのうちに、ここに差しておいてよかった。衛兵は僕のカードを朝の光に傾けて、顔と見比べた。
「採取か」
「はい。東の川沿いまで」
衛兵は受注証を裏に返して、ギルドの判を親指でなぞった。常設の採取依頼。判は今月のもの。それだけ確かめると、書き付けの束に何かを短く書き込んだ。出た者の数でも数えているのかもしれない。日が暮れて数が合わなければ、誰かが戻っていない、ということだ。
「一人でか」
「はい」
衛兵はもう一度だけ僕を見た。カードを見て、顔を見て、それで終わりだった。
「川は昼過ぎから風が出る。戻りは早めにしろ」
「はい。ありがとうございます」
受注証を返してよこす手つきは、もう次の荷馬車を見ていた。並べておいた答えは、結局ひとつも使わなかった。僕は二枚をリュックの口に戻して、門をくぐった。
街道が、朝陽に向かってまっすぐ延びている。両側にはまだ露を乗せた草地が続いて、その果てが、淡い金色の空に溶けていた。壁の中では、空はいつも屋根に切り取られている。ここでは、切るものが何もない。
「……広いな」
声が、白い息と一緒に漏れた。
後ろから来た荷馬車に道を譲って、僕は街道の端を歩いた。荷馬車が追い越していくたび、轍の泥が朝の光を弾く。馬の尻で、御者の背中が上下に揺れて、やがて小さくなった。急ぐ理由のない足には、この速さでちょうどいい。歩くたび、左腰の長剣がかすかに鳴って、リュックの革帯が肩の上で馴染んだ音を立てる。
しばらく行くと、字の掠れた石の道標が、草の中から肩だけ出していた。彫られた地名は、風と雨で読めなくなっている。それでも道はまっすぐで、迷いようがなかった。向こうから来る朝いちの荷車と一度すれ違い、御者と目が合って、どちらからともなく小さく頭を下げた。
途中、歩きながら朝飯にした。黒パンの端を小刀で削いで、干し肉のかけらと、窓辺で乾かしてきたバルゴの葉を小さくちぎって、一緒に口へ放り込む。乾いた葉は青い香りが薄れたぶん、苦味が丸くなっていた。硬いパンを奥歯でふやかしながら歩くと、朝の冷たい空気まで、なんだか味のうちに思えてくる。
「……悪くない」
旅は、まだ始まってもいない。街から半日も離れない川へ行くだけだ。それでも僕は足を止めずに、歩きながら二口目を齧った。門の中では、こんな食べ方はしない。
道の右手から、少しずつ、水の音が近づいてきた。
最初は気のせいくらいの、細い音。それが歩くほどに太くなって、草の匂いに、濡れた石と水苔の匂いが混ざり始める。街道が緩くうねった先で、木立が切れて、光る帯が見えた。川だ。思っていたより幅があって、雨を集めた水が、音を立てて東へ急いでいた。
街道を外れて、土手の上に立つ。
川に沿って、背の低い草地が上流にも下流にも続いている。土手の斜面は日当たりがよく、川に近い裾は湿って色が濃い。日向と日陰と、乾いた土と湿った土。ひと目で分かるくらい、草の緑が場所ごとに違っていた。
川は、思っていたより速い。雨を集めた水が岸の石を洗って、ところどころ、白い筋を立てている。渡るのは、今日はやめておいたほうがいい。幸い、目当ての草地はこちら側にある。
僕は裾の、いちばん色の濃いあたりへ目を凝らした。
見慣れた、ぎざぎざの葉。ひと株じゃない。点々と、いや、帯のように、湿った裾に沿ってずっと続いている。雨を吸って、どの株も葉先までぴんと張っていた。あの親父の言った通りだ。雨の後の川沿いには、クルサがよく伸びる。
「……当たりだ」
腰の後ろのポーチから、薄手の作業手袋を引き出してはめる。指を二、三度握って、革を馴染ませた。
僕は土手の草に手をついて、斜面を降り始めた。




