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僕の世界  作者: 0u0
第一章
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第4話 包み葉の昼飯

 明け方まで、屋根をたたく雨の音がしていた。


 起きた頃には上がっていたけれど、北の斜面はしばらく足場が悪いだろう。れた岩の冷たさは、てのひらがまだ覚えている。今日は採取を休んで、前から決めていたことに充てる。買い出しの日だ。


 通りに出ると、雨上がりのにおいがした。濡れた石の匂いに、土の匂いが混ざっている。軒先のきさきの縁からは、まだ数えられる速さでしずくが落ちて、石畳のくぼみの水たまりを、そのたびに小さく震わせた。屋台はもう店を開け始めていて、湿った炭のいぶる白い煙が、通りの低いところを()っていく。


 まず、湯気の立つ屋台の前で足が止まった。麦と豆のかゆを、欠けたわんで一杯、二百レム。今日は歩き回る日だから、朝だけは温かいものにすると決めていた。立ったまますすると、塩気の薄い熱が、喉から胃へ、ゆっくり落ちていく。椀を返すと、女将おかみは次の客の粥をよそいながら、「あいよ」とだけ言った。僕は「ごちそうさまでした」と頭を下げて、屋台を離れた。


 腹が温まったところで、雑貨屋へ向かった。


 狭い店の中は、油と麻と鉄の匂いがした。天井からかごひも()るされ、壁の棚は床から天井まで升目ますめに仕切られて、そのひとつひとつに、金具や、革の切れ端や、大きさ違いの釘が、種類ごとに沈んでいる。僕は目当てのものだけを選んだ。目の細かい布袋を二枚と、麻紐をひと巻き。それから、棚の奥の小鎌こがまを三本、順に手に取って、刃を光にかざした。二本目は刃先が波打っている。三本目は柄の木が若すぎる。一本目がいちばんましだ。値札を見て、少しだけ迷って――僕はそれを、棚に戻した。刃物なら、もう三本も提げている。街でしか使わない道具を、旅に出る背中は増やせない。摘んだ草を裸のまま袋に突っ込むのは、もうやめると決めた。湿らせたこけと、この布袋。それで次のステリア(傷薬の高級草)は、光を落とさずに運べるはずだ。


 百レムを数えて渡すと、店の親父(おやじ)は黙って(うなず)いた。


「ありがとうございました」


 返事はなかった。親父はもう、次の客の釘を数えていた。


 次はパン屋の屋台。焼きたての白パンの、ふわりと甘い匂いが鼻先をかすめたけれど、僕が指差したのは、棚の端の黒パンだった。固く焼き締めた保存用で、白パンの倍は日持ちする。こぶし二つ分の大きさがあって、ずっしり重い。


「白いのじゃなくていいのかい」

「はい。旅の備えなので」

「そうかい」


 それだけだった。銭を払い、「ありがとうございます」と頭を下げて、僕は黒パンをリュックに沈めた。


 それから、干し肉の屋台へ。


 軒先に、黒っぽい肉のかたまりが何本も吊るされている。いぶした香りと、獣脂じゅうしの匂い。台の隅には、切り出しで出た端の切れ端が、ざるにまとめて盛られていた。形は不揃(ふぞろ)いで、筋も多い。でも、味は塊と同じだ。


「切れ端を、ひと(つか)みください」


 親父は無言で笊から掴み取り、台の脇に積んであった濃い緑の葉で、慣れた手つきでくるりと包んだ。バルゴの葉だ。そこらの空き地にいくらでも茂っている低木で、葉が強烈に苦いから、誰も食べない。でも肉を包んでおくと傷みにくいから、この手の屋台では包み紙がわりの定番だった。


「あの、葉っぱ、あと二枚つけてもらえますか」


 親父のまゆが、ほんの少し動いた。


「……構わんが」


 百レム。「ありがとうございます」と受け取って、僕は屋台を離れかけた。


「……おい」


 振り向くと、親父は僕を見ずに、次の肉を吊るし直しながら言った。


「東の川沿い。雨の後は、クルサ(止血草)がよう伸びる。朝に出りゃ、昼前には着く」


「――ありがとうございます。行ってみます」


 親父はもう、こちらを見なかった。ただ、笊の葉を一枚、僕の包みの上に無造作に足した。


 昼は、井戸端いどばたの広場で食べることにした。


 城壁ぎわの日だまりに、荷下ろし用の古い木箱が転がっている。その一つに腰を下ろすと、雨上がりの陽が、湿った服をゆっくり乾かしてくれた。広場では女たちが順番に水を()んでいて、釣瓶つるべの縄が(きし)むたび、冷たい水の匂いがこちらまで届く気がした。荷車が一台、石畳をゴロゴロと鳴らして通り過ぎていく。


 僕はひざの上で包みを開いた。


 黒干し肉の切れ端。そのままではあごが疲れるだけの硬さだから、小刀で、繊維に逆らって薄くいでいく。削いだ肉を、ちぎったバルゴの葉にのせて、くるりと巻く。指が勝手に動いて、葉の端がきれいに折り込まれた。


 ひと口で頬張ほおばる。


 最初に来るのは、葉の苦味だ。舌の根がきゅっと縮むような、容赦のない苦さ。でも、()んでいるうちに、その苦味が肉の獣臭(けものくさ)さを洗い流していく。そして肉の奥から、燻した香りと、じんわりした甘みが染み出してきた。苦い葉と、臭い肉。別々ではどうしようもない二つが、口の中で、ちゃんとひとつの飯になる。


 二口目は、削いだ肉を少し厚めにして巻いてみる。苦味が勝つ。三口目は薄く戻して、葉を小さめに。今度はちょうどいい。同じ百レムでも、組み立て方で味は変わる。そういうのを確かめながら食べるのが、僕は昔から好きだった。


 百レムの切れ端と、タダで付いてくる包み紙。それでこの味なら、五百レムの串焼きにだって、そんなに負けていないと思う。


 ふと視線を感じて顔を上げると、水汲みを待つ列の端から、荷運びらしい少年がこちらを見ていた。目が合う。その目は僕の手元の、緑の包みに釘付(くぎづ)けだった。……ああ、包み紙ごと食べる奴を、初めて見たんだろう。


 僕は残りの葉を一枚、少年のほうへ差し出してみた。


 少年は、ぶんぶんと首を横に振って、順番も待たずに走っていってしまった。


「……そっか」


 まあ、そうだよな。僕は苦笑くしょうして、その一枚も自分の肉に巻いた。もったいない。こんなにうまいのに。


 宿に戻ったのは、夕方前だった。


 帳場のエルマさんに宿代を払った。革袋の底から、一万レムを一枚。昨日きのう、指でなぞったやつだ。

 釣りの千レムが四枚、板を滑って戻ってくる。てのひらの上で、四枚は軽かった。

 エルマさんは、僕の膨らんだリュックを一瞥いちべつした。


「引っ越しでもすんのかい」

「いつかは。……まだ先ですけど」

「稼いでからお言い」


 それだけ言って、帳面に目を戻す。僕は部屋に上がって、寝台の上に戦利品を並べた。


 黒パン。干し肉の残り。布袋と麻紐。それから、バルゴの葉が三枚。葉は窓のさんに並べて置いた。乾かしておけば、香りは弱るけれど日持ちする。旅の道中、硬いパンと臭い肉しかない夜に、この一枚があるとないとでは大違いだ。


 革袋の中身を数える。今日、買い出しに使ったのは、しめて八百レム。粥と切れ端で済ませて、串焼きを我慢したぶんだけ、旅の備えが増えた。リュックの底で、保存食が静かにかさを増している。それが、ちょっとうれしい。


 窓の外で、夕焼けが屋根の連なりを赤く染めていた。


 僕はリュックの口に、ギルドカードと受注証を挟んだ。明日あしたの朝、門でまごつかないように。行き先は、もう決めてある。東の、川沿いの草地。雨を吸ったクルサが、どれだけ濃い汁をめているか。あの親父の言うことなら、たぶん、外れじゃない。


 窓辺のバルゴの葉が、乾きながら青い匂いをさせている。僕はそれを一度だけ指先で裏返して、寝台に(もぐ)り込んだ。

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