第4話 包み葉の昼飯
明け方まで、屋根を叩く雨の音がしていた。
起きた頃には上がっていたけれど、北の斜面はしばらく足場が悪いだろう。濡れた岩の冷たさは、掌がまだ覚えている。今日は採取を休んで、前から決めていたことに充てる。買い出しの日だ。
通りに出ると、雨上がりの匂いがした。濡れた石の匂いに、土の匂いが混ざっている。軒先の縁からは、まだ数えられる速さで雫が落ちて、石畳の窪みの水たまりを、そのたびに小さく震わせた。屋台はもう店を開け始めていて、湿った炭のいぶる白い煙が、通りの低いところを這っていく。
まず、湯気の立つ屋台の前で足が止まった。麦と豆の粥を、欠けた椀で一杯、二百レム。今日は歩き回る日だから、朝だけは温かいものにすると決めていた。立ったまますすると、塩気の薄い熱が、喉から胃へ、ゆっくり落ちていく。椀を返すと、女将は次の客の粥をよそいながら、「あいよ」とだけ言った。僕は「ごちそうさまでした」と頭を下げて、屋台を離れた。
腹が温まったところで、雑貨屋へ向かった。
狭い店の中は、油と麻と鉄の匂いがした。天井から籠や紐が吊るされ、壁の棚は床から天井まで升目に仕切られて、そのひとつひとつに、金具や、革の切れ端や、大きさ違いの釘が、種類ごとに沈んでいる。僕は目当てのものだけを選んだ。目の細かい布袋を二枚と、麻紐をひと巻き。それから、棚の奥の小鎌を三本、順に手に取って、刃を光にかざした。二本目は刃先が波打っている。三本目は柄の木が若すぎる。一本目がいちばんましだ。値札を見て、少しだけ迷って――僕はそれを、棚に戻した。刃物なら、もう三本も提げている。街でしか使わない道具を、旅に出る背中は増やせない。摘んだ草を裸のまま袋に突っ込むのは、もうやめると決めた。湿らせた苔と、この布袋。それで次のステリアは、光を落とさずに運べるはずだ。
百レムを数えて渡すと、店の親父は黙って頷いた。
「ありがとうございました」
返事はなかった。親父はもう、次の客の釘を数えていた。
次はパン屋の屋台。焼きたての白パンの、ふわりと甘い匂いが鼻先をかすめたけれど、僕が指差したのは、棚の端の黒パンだった。固く焼き締めた保存用で、白パンの倍は日持ちする。拳二つ分の大きさがあって、ずっしり重い。
「白いのじゃなくていいのかい」
「はい。旅の備えなので」
「そうかい」
それだけだった。銭を払い、「ありがとうございます」と頭を下げて、僕は黒パンをリュックに沈めた。
それから、干し肉の屋台へ。
軒先に、黒っぽい肉の塊が何本も吊るされている。燻した香りと、獣脂の匂い。台の隅には、切り出しで出た端の切れ端が、笊にまとめて盛られていた。形は不揃いで、筋も多い。でも、味は塊と同じだ。
「切れ端を、ひと掴みください」
親父は無言で笊から掴み取り、台の脇に積んであった濃い緑の葉で、慣れた手つきでくるりと包んだ。バルゴの葉だ。そこらの空き地にいくらでも茂っている低木で、葉が強烈に苦いから、誰も食べない。でも肉を包んでおくと傷みにくいから、この手の屋台では包み紙がわりの定番だった。
「あの、葉っぱ、あと二枚つけてもらえますか」
親父の眉が、ほんの少し動いた。
「……構わんが」
百レム。「ありがとうございます」と受け取って、僕は屋台を離れかけた。
「……おい」
振り向くと、親父は僕を見ずに、次の肉を吊るし直しながら言った。
「東の川沿い。雨の後は、クルサがよう伸びる。朝に出りゃ、昼前には着く」
「――ありがとうございます。行ってみます」
親父はもう、こちらを見なかった。ただ、笊の葉を一枚、僕の包みの上に無造作に足した。
昼は、井戸端の広場で食べることにした。
城壁ぎわの日だまりに、荷下ろし用の古い木箱が転がっている。その一つに腰を下ろすと、雨上がりの陽が、湿った服をゆっくり乾かしてくれた。広場では女たちが順番に水を汲んでいて、釣瓶の縄が軋むたび、冷たい水の匂いがこちらまで届く気がした。荷車が一台、石畳をゴロゴロと鳴らして通り過ぎていく。
僕は膝の上で包みを開いた。
黒干し肉の切れ端。そのままでは顎が疲れるだけの硬さだから、小刀で、繊維に逆らって薄く削いでいく。削いだ肉を、ちぎったバルゴの葉にのせて、くるりと巻く。指が勝手に動いて、葉の端がきれいに折り込まれた。
ひと口で頬張る。
最初に来るのは、葉の苦味だ。舌の根がきゅっと縮むような、容赦のない苦さ。でも、噛んでいるうちに、その苦味が肉の獣臭さを洗い流していく。そして肉の奥から、燻した香りと、じんわりした甘みが染み出してきた。苦い葉と、臭い肉。別々ではどうしようもない二つが、口の中で、ちゃんとひとつの飯になる。
二口目は、削いだ肉を少し厚めにして巻いてみる。苦味が勝つ。三口目は薄く戻して、葉を小さめに。今度はちょうどいい。同じ百レムでも、組み立て方で味は変わる。そういうのを確かめながら食べるのが、僕は昔から好きだった。
百レムの切れ端と、タダで付いてくる包み紙。それでこの味なら、五百レムの串焼きにだって、そんなに負けていないと思う。
ふと視線を感じて顔を上げると、水汲みを待つ列の端から、荷運びらしい少年がこちらを見ていた。目が合う。その目は僕の手元の、緑の包みに釘付けだった。……ああ、包み紙ごと食べる奴を、初めて見たんだろう。
僕は残りの葉を一枚、少年のほうへ差し出してみた。
少年は、ぶんぶんと首を横に振って、順番も待たずに走っていってしまった。
「……そっか」
まあ、そうだよな。僕は苦笑して、その一枚も自分の肉に巻いた。もったいない。こんなにうまいのに。
宿に戻ったのは、夕方前だった。
帳場のエルマさんに宿代を払った。革袋の底から、一万レムを一枚。昨日、指でなぞったやつだ。
釣りの千レムが四枚、板を滑って戻ってくる。掌の上で、四枚は軽かった。
エルマさんは、僕の膨らんだリュックを一瞥した。
「引っ越しでもすんのかい」
「いつかは。……まだ先ですけど」
「稼いでからお言い」
それだけ言って、帳面に目を戻す。僕は部屋に上がって、寝台の上に戦利品を並べた。
黒パン。干し肉の残り。布袋と麻紐。それから、バルゴの葉が三枚。葉は窓の桟に並べて置いた。乾かしておけば、香りは弱るけれど日持ちする。旅の道中、硬いパンと臭い肉しかない夜に、この一枚があるとないとでは大違いだ。
革袋の中身を数える。今日、買い出しに使ったのは、しめて八百レム。粥と切れ端で済ませて、串焼きを我慢したぶんだけ、旅の備えが増えた。リュックの底で、保存食が静かに嵩を増している。それが、ちょっと嬉しい。
窓の外で、夕焼けが屋根の連なりを赤く染めていた。
僕はリュックの口に、ギルドカードと受注証を挟んだ。明日の朝、門でまごつかないように。行き先は、もう決めてある。東の、川沿いの草地。雨を吸ったクルサが、どれだけ濃い汁を溜めているか。あの親父の言うことなら、たぶん、外れじゃない。
窓辺のバルゴの葉が、乾きながら青い匂いをさせている。僕はそれを一度だけ指先で裏返して、寝台に潜り込んだ。




