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僕の世界  作者: 0u0
第二章
59/63

第27話 次はどこへ

――ノア


 村から戻った次の朝、ギルドへ寄った。


 帳場《ちょうば》には、受付の男がいた。

 帳簿に線を引いている。指の腹で紙を押さえながら、次の行へ移っていく。爪《つめ》が短く切ってあって、書き仕事の人の切り方だった。


「荷は、ありますか」

「東の枝道なら、ある」


 男は顔を上げなかった。

 枝道《えだみち》。街道を東へ半日行って、右手へ折れる道だ。


「……今日は、採取にします」

「好きにしな」


 外へ出ると、風が乾いていた。


 クルサ(止血草)は、街道沿いを歩いていれば籠《かご》に入る。ただし日陰の、湿った土のところほど汁が濃くなるので、そういう場所を選んで這《は》うことになる。近いところのものは、たいてい先に採られている。同じ値なら濃いほうから売れるので、奥まで入るしかない。


 三日ぶんをまとめて採ることにした。外で寝れば、そのあいだの宿代も浮く。


 この街に来てからは配達ばかりで、一日じゅう薬草を探して歩いた日が、しばらくなかった。


 東へ行く道は、街の反対側にある。僕は、西側の門から出た。



 街道を西へ半日で、低い森に入る。


 入口のあたりは日が入るので、草が高くて硬《かた》い。分けて進むたびに乾いた種が跳《は》ねて、足首のあたりに引っかかった。低いほうへ下ると木の下が一段暗くなって、土の匂《にお》いが変わる。上は埃《ほこり》っぽいのに、下は水の匂いが混じっていた。


 根と根のあいだに、細い流れがあった。

 前に来たときと同じところを、同じ幅で流れている。手を入れると指の節まで冷たくて、掬《すく》って飲むと、鉄の味が少しした。


 流れの縁《ふち》に沿って、クルサが並んでいた。


 膝《ひざ》をついて、葉の裏から見ていく。

 日の当たるところのものは葉が厚くて色が濃く、よく育っているように見えるけれど、茎を折ると汁が薄い。日陰で少し徒長《とちょう》したくらいのほうが、切り口の赤が濃く出る。指へ垂らして擦《こす》り合わせると、粘りで分かった。


「……こっちだ」


 声が出ていた。誰も聞いていない。


 根の泥《どろ》は、その場で落とす。持って帰る泥は重いだけで、値にならない。小刀の背で撫《な》でるように払ってから根元を揃《そろ》えて、蔓《つる》で二か所を縛る。縛る位置が上すぎると、運んでいるあいだに真ん中で折れてしまう。


 束がひとつできると、少しうれしい。

 これは、たぶん一生直らない。


 鳥が二度鳴いて、そのあとは水の音だけになった。

 日が傾くまでに、三束できた。



 夜は、街道へ戻って窪《くぼ》みで寝た。


 石が転がっているだけの、街道から少し外れたところだ。前に一度ここで寝たときは、鳥型の魔物に包み葉をひとつ持っていかれた。今度は袋の口を体の下に敷いておいた。


 火を熾《おこ》して、干し肉を炙《あぶ》る。脂《あぶら》が落ちて、そのたびに小さく音が鳴った。

 バルゴ(包み葉)は前のを畳んで取ってある。葉ごと噛《か》むと苦い。苦いのに、肉の脂と混ざると急に甘《あま》くなって、噛むほど味が戻ってくる。表通りの人は葉を捨てるけれど、捨てるところがいちばんうまい。


「……うまい」


 言ってから、火の粉がひとつ上がって消えた。


 風は東から来ていた。

 この風は、あの村のほうから来ている。

 僕は火の位置を少し直した。


 草の擦れる音がしたのは、火が落ちかけたころだった。


 石の向こうだ。低い。地面すれすれを、こちらへ回り込んでくる。

 匂いが先に来た。獣の匂いで、土と、腐った根が混じっている。


 火の縁で、目が光った。

 ひと組ではなかった。


 白目まで黒く濁《にご》っている。焦げ茶の硬い毛と、指の長さほどの前爪。ザグル(穴熊型の魔物)だ。三匹いた。餌の匂いを追ってきて、そのまま人の火のそばまで出てくる。


 僕は立って、燃えている枝を一本、抜いた。


 追うのではない。振り回すのでもない。

 袋を背のほうへ寄せて、火を体の前へ出す。


 一匹が横へ動いた。僕も、同じだけずれた。袋へ回る道に、体を入れた。

 もう一匹が、火の脇まで来た。爪が石を擦る音が、近い。


 僕は枝の先を地面へ突いて、火の粉を散らした。


 鳴き声が短く二つ重なって、光っていたものが順に向きを変えた。草を擦る音が遠ざかって、それきりになった。


 息を吐いた。指が落ち着くまで、しばらくかかった。震えは毎回くる。慣れることと、震えないことは、たぶん別のことだ。


「……行った」


 火を足して、干し肉の残りを袋の奥へ押し込んだ。



 翌朝、流れの低いほうへ下りた。


 水気の多い、湿地寄りの土のところに、アマラ(解熱草)とレニス(湿布草)が並んで生えている。アマラは根を掘るので、指を土へ入れて、崩さないように横から起こす。レニスは葉を一枚ずつ透かして、縁の傷んだものを外した。買い取る人は必ず透かすから、こちらで外しておかないと、その場で弾かれる。


 束に混ぜれば、小銭の足しになる。

 足しにしかならないものが、僕はけっこう好きだった。


 昼を過ぎても、手を止めなかった。

 膝が濡《ぬ》れて、指の腹が水でふやけて、皺《しわ》が寄った。爪のあいだに黒い土が入って、押し出しても、また入った。


 根は、掘った順に並べて日陰へ置く。日に当てると縮んで、値が落ちる。葉のほうは重ねすぎると下のが蒸れるので、途中で一度、束をほどいて入れ替えた。ほどくと薬草の匂いがまた立って、そのたびに腹が減った。


 夕方までに、クルサがもう二束と、根が半袋になった。



 街の門を入ったのは、次の日の昼過ぎだった。


 ギルドの帳場《ちょうば》に束を並べると、受付の男は一枚ずつ透かして、傷んだ葉を弾《はじ》いていった。査定用の天秤《てんびん》が鳴って、皿が傾く。

 硬貨が木目《もくめ》の上を滑ってきた。数えると、思っていたより多かった。


「汁の濃いクルサを採ってくるやつは、そう多くない」

「……ありがとうございます」

「値も上がってる。東の村から、けが人が運ばれてきてる」


 手が、止まった。


「教会の支部へ回すぶんもある。助かる」

「……はい」


 男は次の束へ移っていた。

 誰が運ばれてきたのかは、言わなかった。訊かなかった。訊いても、たぶんこの人も知らない。


 あの夜、僕が後ろを持った人も、その中にいるのかもしれない。



 湯屋は、宿の裏の通りにあった。


 入り口の脇《わき》に薪《まき》が積んである。太いのが下、細いのが上で、切り口が全部こちらを向いていた。乾き具合を見て並べ替える人がいる積み方だ。


 五百レム硬貨を一枚、台の上へ置いた。


 湯は、思っていたより熱かった。

 肩まで入ると、背中の張っていたところが順番にほどけていく。腕の付け根と、腰の右のところだ。あの夜に変な持ち方をしてから、まだ残っている。膝の泥は指で擦ると簡単に落ちて、爪のあいだの黒いのだけが、しばらく残った。


 誰かが柄杓《ひしゃく》で湯を掬う音が、石に反響して長く伸びた。


 湯の面に、薬草の匂いが少し立った。

 自分の腕から出ている匂いだった。三日ぶん、袖《そで》に入っている。


「……はー」


 声が出た。

 隣で湯を使っていた年寄りがこちらを見て、少し笑った。僕も笑った。それだけだ。


 出るとき、番をしている女の人に礼を言った。

 女の人は、うちは湯を落とすのが遅いから明日も来なと言った。明日も来ますと答えた。



 飯屋は、大通りから一本入ると安くなる。


 麦の粥《かゆ》と、煮た豆と、塩気の強い漬物《つけもの》が出た。粥は椀《わん》の底のほうが熱くて、掻《か》き混ぜると湯気が上がり、豆の匂いが立った。腹へ入ると、指の先まで温かくなっていく。漬物は塩が勝っていて、そのぶん粥が甘く感じた。


 奥の卓で、男が三人、飲んでいた。


「――で、助かったんだと」

「助からんて言われとったんじゃろ」

「言われとった。腕が、こう、内側へ折れてな」


 匙《さじ》が止まった。


「それが、次の日には繋《つな》がっとったと」

「そんなことがあるか」

「あるかい。だから言うとる」


 断言したほうの男は、話しながら卓を指で叩《たた》いていた。二回叩いて、一度置いて、また二回。話が本当かどうかとは関係のない、癖の音だった。


「そのかわり、声は出んようになったと」

「そりゃ、割に合うとるほうじゃ」


 男たちは笑った。

 叩いていた指が、笑っているあいだだけ止まった。


「教会の人が来たんだろ」

「来た。来たけどな」


 その先は聞こえなかった。誰かが椀を置いて、話はよそへ移っていった。荷が高い、冬が早い、今年の芋の出来。そういう話に混ざってしまうと、火の話は、もう戻ってこなかった。


 僕は粥を食べ終えた。

 椀から手を離すまでに、少しかかった。


 助かった人がいる。

 それは、いいことだ。


 あの朝、水路の縁にいた人の腕には、僕が布を巻いた。指の色のことと、声が出ないことは、あとで見る人にそのまま渡した。


 腕は、繋がった。

 声は、戻らなかった。


 僕が渡した二つのうち、片方だけだった。

 誰が繋いだのかは、分からなかった。



 外へ出ると、日が低くなっていた。


 通りの人が、道の端へ寄っていくのが見えた。

 荷車ではない。歩いている。前に二人、後ろに二人。黒っぽい上着で、真ん中に一人いた。


 両腕を前で揃えて、縄《なわ》で縛ってあった。

 口のところにも、幅のある布が回してあった。


 顔は下を向いていた。

 顔を見なくても分かった。指の付け根に藁《わら》の跡がついている手だ。硬いところが、まだ黒く残っている。あの夜、火のそばで縄をなっていた手だった。


 列が、僕の前を通った。


 男は顔を上げなかった。

 僕は、袋の紐《ひも》を持ち直した。


 言えば、足が止まる。それが分かっていた。


 列は通りの先で曲がって、見えなくなった。見ていた人たちも、じきに散った。近くにいた女の人が連れの人に、何かあったのかね、と訊いていた。連れの人は、さあ、と答えた。


 僕は、宿のほうへ歩いた。


 袖に、まだ薬草の匂いが残っていた。湯で流したのに抜けていない。三日も持っていれば、そうなる。


 同じ道の草の高さを、僕はもう覚えてしまっている。


 次はどこへ行こうかと、久しぶりに考えた。

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