第24話 三枚目の戸板
――ノア
明るくなってから、数えられるようになった。
井戸のそばに、十七人いた。
夜のあいだは、数えられる並び方ではなかった。運ばれた順に置かれて、置かれたところがそのまま列になっていた。朝の光が入ると、人と人のあいだが見えるようになった。空いているところと、詰まっているところがある。空いているのは、夜のうちに自分で起きて、家のほうへ戻っていった人のいた場所だ。
匂いは、夜より濃くなっていた。
燃えているあいだは熱が上へ抜けていくので、匂いも一緒に上がっていた。冷えると下りてくる。焦げた藁と、濡れた灰と、その下から湿った土の匂いが混じって、地面のあたりに溜まっていた。
僕は端から順に水を配った。
桶の水は汲んだばかりで冷たかったが、口をつけると鉄と土の味がした。夜のあいだに何度も汲み上げたので、底のほうが混ざっている。起き上がって飲める人と、飲めない人がいた。飲めない人には布を濡らして唇へ当てた。それで口の動く人と、動かない人がいた。動かない人のところでは、そばにいる誰かが布を受け取った。僕が当てるより、そのほうが早かった。
背中と腕は、動かしはじめが重かった。動かしているうちに、痛いところが二つに分かれた。腕の付け根と、腰の右側だ。どちらも昨日の夜に、変な持ち方をしたところだった。
手の甲に、火脹れがひとつできていた。いつできたのかは覚えていない。指で押すと、皮の下で水が動いた。
東の空は、もう白かった。
夜のあいだは、どこが空で、どこが煙なのか分からなかった。今は分かれている。煙は焼け終わったところから低く上がって、途中で横へ流れていた。燃えているのではない。下のほうで、まだ燻っている。灰の上を歩くと、表面だけが乾いていて、その下が湯気を吐くように温かった。
鳥が鳴いていた。
昨日と、たぶん同じ鳥だった。
村長さんの家は、柱が四本だけ立っていた。
屋根が無くなると、家はあんなに小さい。焼けた柱は根元が太くて、上へいくほど細くなって、途中で折れているものもあった。地面には灰が積もっていて、風が来ると表面だけが動いた。下は湿っている。夜のあいだに何度も水をかけたところだ。
入口寄りの分所は、石積みが四角く残っていた。石は焼けない。囲いの中に炭が溜まって、そこだけが黒かった。近くを通ると、獣脂の焼けた匂いがした。蝋燭だ。一本だけ灯っているのを、昨日の夕方に見た。
朝のうちは、まだ運ぶものがあった。
焼け跡から出せるものを出す。鍋、鎌、壺。まだ熱を持っているので、濡らした布で掴んで、地面へ並べる。布ごしでも縁は熱くて、置いたあとに指の腹がしばらく痛んだ。底についた灰が移って、掌がざらついた。
並べると、どれが誰の家のものか分かる人がいた。分からないものは、井戸のそばへまとめて置いた。
「あんた、素手か」
「布を巻いてます」
巻いてはいた。二重にしただけだった。女の人は僕の手をしばらく見ていたが、何も言わずに自分の桶を持ち上げた。
三枚目の戸板が出たのは、日が昇ってからだった。
焼け残った家の人が、自分の戸を外していた。外して、地面へ寝かせて、その上へ人を移す。縄で二か所を留めて、二人で担ぐ。
夜のうちは、外す家が見つからなかった。明るくなったから見つかったのではない。
僕が後ろを持った人が、どうなったかは分からない。
村の外れで、待っていた二人へ渡した。手を離したとき、掌に縄の痕が残った。痕は、朝になってもまだあった。
納屋の年寄りに訊いた。
「あの人は」
「知らん」
年寄りは焼け跡のほうを見たままだった。
「街まで、二日ある」
それだけだった。
年寄りの手の甲は、赤くなって皮が浮いていた。昨日の夜には無かったものだ。本人は、それを見ていなかった。僕が水で冷やすように言うと、そうすると言った。そうしなかった。
セラさんは、井戸のそばにいた。
昨日運んだ薬を地面へ置いたまま、端から順に回っていた。前掛けの中から包みを抜いて、開いて、指で量って、また閉じる。誰にどれを使うかを、いちいち言わなかった。包みを開くたびに乾いた薬草の匂いが上がって、焦げた匂いのなかで、そこだけが違った。
僕は言われたものを持って、後ろについて回った。渡すのと、水を汲むのと、布を裂くのが、僕にできることだった。布は、着替えの上のほうから裂いた。
「そっちは」
「浅いです」
「なら、あとだ」
セラさんは、深いほうから回っていた。浅いほうは、待っていれば治る。
日が高くなるころ、手が止まった。
包みが空になっていた。
「足りませんか」
「足りるわけがない」
セラさんは空の包みを畳んで、前掛けへ入れた。
昨日、棚から抜いて持ち出したのは、選んで抜いたぶんだ。選ばなかったぶんは、家の棚に残っている。家は、焼けなかった。
「セラさん、家の棚に」
「あれは、別の病人のだ」
それきりだった。
「街へ戻るんだろう」
「はい」
「なら、行きな」
礼は、今日も言われなかった。
水路の縁に、垣根の男がいた。
昨日巻いた布は、そのままだった。腫れは肘の上まで来ていた。触ると温かい。温かいのに、指の先だけが白かった。
僕は、解かなかった。あとで見る人のほうが、僕よりも上手い。
男は目を開けていた。口の形だけが動いて、声は出なかった。
煙を吸うと、そうなる。前にも見たことがある。そのあとどうなるのかは、見ていない。
何か答えたほうがいい気がしたが、何を訊かれたのか分からなかった。
「水を持ってきます」
男は、それには首を振った。
井戸へ戻って、セラさんに言った。指の先が白いことと、声が出ないことを。
セラさんは手を止めずに聞いていた。
「見る」
順番のどこに入るのかは、言わなかった。
煙を吸った子は、母親の膝で水を飲んでいた。腕の白い線は、朝の光では見えにくかった。飲むたびに小さく咳をして、そのたびに母親の手が背中で止まった。
僕を見て、それから母親の袖へ顔を入れた。
母親が頭を下げた。僕も下げた。それで終わりだった。
脛の悪い年寄りのほうは、家の前にいた。家は残っていた。座って、皮の硬いところを親指で押している。押しては離し、押しては離していた。昨日と同じだった。
背負ったことには、触れなかった。僕も言わなかった。
納屋は焼けていなかった。村の端で、風の下にならなかったからだ。
戸を開けると、藁の匂いがまだ残っていた。昨日の夜にここで目を開けたときと、同じ匂いだ。その上に、煙の匂いが薄く乗っている。
中に、荷を置いたままにしていた。油紙が六枚。空のまま散らばっていたのを拾って、畳んで、括った。軽い。行きは、これで肩が痛かった。
水袋は空だった。外側に煤が乗っていて、擦ると指が黒くなった。井戸で水をかけて落とした。二度目でも少しついた。三度目で、指に何もつかなくなった。
革袋の口を開けて、また閉じた。
百レムは、昨日の納屋銭で尽きていた。
出るときに、戸を閉めて、ありがとうございましたと言った。誰も聞いていなかった。
外で、畑の男が鍬を担いで戻ってきた。畑を見に行っていたらしい。土の匂いを連れていた。
「水は回っとる」
「焼けとらんか」
「焼けとらん。泥だ」
それから、思い出したように言った。
「街から人が来るぞ」
「役所のか」
「そういうもんらしい」
いつ来るのかと誰かが訊いた。誰も答えなかった。
僕は、荷を背負った。
村を出るとき、誰にも言わなかった。
言う相手が、みんな手を動かしている途中だった。
村の外れの畑に、人が二人いた。
ひとりは畦に座っている。もうひとりは、畝のあいだの泥へ膝をついて、両手で泥を掻いていた。
掻いているほうは、黒っぽい上着を着ていた。村の人の着るものではない。裾に泥が跳ねていた。
道の脇に、馬が繋いであった。村に馬はいない。
男は泥を端から順に掻いていた。掻いて、指のあいだから水を落として、また掻く。同じ幅で、同じ順に、少しずつ横へずれていく。水の落ちる音だけが、規則正しく続いていた。何を探しているのかは分からなかった。落としたのだろう、とだけ思った。
畦のほうは、手を膝の上に置いていた。
手首から肘の上まで、縄が巻かれていた。二周してから上へ上がって、袖の上で止まっている。ほどける巻き方ではなかった。
顔に泥がついていた。
知っている顔だった。
男が顔を上げた。
目が合った。
落ち着いた目だった。昨日と、同じだった。
男は何も言わなかった。僕も言わなかった。
泥を掻いている男は、こちらを見なかった。手も止めなかった。
僕は通り過ぎた。
枝道の草は、行きと同じ高さで寄ってきた。払い方は、四度目に覚えている。五度目でも、同じでよかった。分けるたびに青い匂いが立って、村の匂いが、そのあたりで切れた。
しばらくして、後ろから足音がした。
村の若い男だった。走ってきて、僕の横で速さを落とした。息が上がっている。ギルドへ知らせに行くのだと言った。それから、二人ともしばらく黙って歩いた。草を分ける音が、二人ぶんになった。
「捕まったらしいぞ」
「はい」
「畑で捕まえたと。政府の人だと」
男は、そこまでしか知らなかった。誰が捕まったのかは言わなかった。訊けば答えたかもしれない。僕は訊かなかった。
「二か所から出たんだ」男は言った。「火だ。両方からやられた」
「そうですか」
「そうですかって、あんた」
男は返事を待たなかった。歩く速さを上げて、先へ行った。
喉の奥に、まだ粉の味が残っていた。水を飲むといったん薄くなって、しばらくすると戻ってくる。
掌の縄の痕は、昼を過ぎて消えた。
日が傾くころ、一度だけ振り返った。
木立の切れ目は、もう遠かった。煙が一本、細く立っている。畑に回った水が光っているのが、そこからでも見えた。
風は、こちらへは来ていなかった。焦げた匂いは、もうしなかった。
縄をなう音は、もうしていなかった。




