第21話 縄をなう音
――ノア
両側から草が寄ってくる。
枝道へ入ったのは、昨日の昼を回ってからだった。四度目になると、押しのけ方を覚える。膝の高さで一度払って、あとは体で分ける。そうすれば袖が濡れない。
荷は重い。油紙で巻いた包みが六つ。前は三つだった。
依頼票は、アルテンのギルドで受け取った。受付の男は、届け先の下を指で叩いてから寄越した。そこに、僕の名前が書いてあった。
「名指しだ。急ぎで、ってさ」
「はい」
急ぎの理由は、書いていなかった。
村へ着いたのは、日が傾きはじめた頃だった。木立の切れ目から、低い屋根が並んでいるのが見える。畑の畝の間を、細い水路が光って通っていた。
畑の男が、鍬を止めてこちらを見た。
「おう。また来たな」
「はい。また来ました」
「セラさんとこだろ。もう言わんでいいな」
男はそれきり、鍬を入れ直した。土の匂いが上がる。掘り返したばかりの、湿った匂いだ。
分所の戸は、掛け金だけが下りていた。窓の隙間から、蝋燭が一本、灯っているのが見える。誰も入っていない。
道の途中に、直しかけの垣根があった。新しい木と古い木が半分ずつ組んであって、その先はまだ杭だけが立っている。若い男がひとり、しゃがんで縄を回していた。手はゆっくりだ。掌を上に向けて、木の当たるところを一度撫でてから、また縄を回した。
井戸のそばで、女の人がふたり、桶を下ろして話していた。
「明日は下を起こすんだと」
「早かないかね」
「言い出したら聞かないよ、あの人は」
片方が僕を見て、それから見ないことにした。
セラさんの家は、村の突き当たりにある。軒下に薬草が吊るしてあるので、遠くからでも分かる。
戸は開いていた。
「あんたか」
セラさんは、こちらを見ずに言った。薬研を挽く手も止めない。
「置きな。そこじゃない。棚の前だ」
言われたところに下ろした。包みを解くと、乾いた薬草の匂いが上がった。
セラさんが薬研から手を離した。ひとつ手に取って、指で押して、また戻す。それを六つ、全部やった。途中で一度、匂いを嗅いだ。
それから、棚に並べはじめた。
壁一面の棚には、仕切りがいくつも空いていた。前に来たときも空いていた。
空いていたところが、埋まっていく。
最後のひとつを入れて、セラさんは棚の端から端まで、一度だけ目で辿った。
「……そうかい」
それだけだった。礼は言われなかった。前もそうだったので、待たなかった。
戸口に人が立った。女の人と、男の子だ。
「セラさん、すみません。この子が、また」
「見せな」
男の子が腕を出した。肘の下に、白い線が一本ある。細くて、まっすぐな線だ。
「そっちじゃない。今日はどこだい」
「……ここ」
男の子が指したのは、反対の手のひらだった。棘が入っている。
セラさんが針を出して、まばたきの間に抜いた。男の子は声も出さなかった。
「終わりだ。帰りな」
女の人が頭を下げて、男の子の背を押して出ていった。
白い線のほうには、誰も触れなかった。
納屋は、村の端の家で借りた。百レムが二枚、ちょうど残っていた。
「藁は好きに使いな」
年寄りは、前と同じことを言った。それから、土間の囲炉裏を顎で示した。
「食っていけ」
椀をひとつ渡された。中身は前と同じ、根と豆だ。塩気の薄いところも変わらない。
前に来たときは、この土間に人が集まっていた。あれは肉があったからで、今夜は年寄りと、村長さんと、脛の悪い年寄りがひとりいるだけだった。
外はもう暗い。どこかの家で鍋が鳴っている。板を打つ音もする。女の人が子どもの名を呼んで、二度目で返事があった。
脛の年寄りは、火のほうへ足を投げ出して、皮の硬くなったところを親指で押していた。痛むふうではない。癖のようだった。押しては離し、押しては離している。
「明日は、下の畑を起こす」
納屋の年寄りが、誰にともなく言った。
「まだ早かろう」と村長さんが言った。
「早いくらいでいい。去年は遅れた」
「雨が来たらどうする」
「来たら、やめるだけだ」
村長さんは、それきり黙って火を見ていた。それから思い出したように言った。
「垣根は、どうなった」
「あれは、まだだ」
「触っとらんのか」
「触っとらん。手のほうは、とうに治っとるがな」
脛の年寄りが、火のほうへ鼻を鳴らした。笑ったのだと、少し経ってから分かった。
「治ってから、遅うなるやつはおる」
「そういうもんだ」
誰も、それ以上は言わなかった。
火のなかで薪が一本、熾きの上で折れた。誰も直さない。火は、勝手に低くなっていった。
村長さんが僕のほうを見た。
「あんた、蜂のときの人だな」
「はい」
「そうか」
そう言って、また火のほうへ目を戻した。
囲炉裏の縁に、椀が三つ並んでいた。どれも同じくらいの高さまで減っている。
外へ出ると、風が冷えていた。
納屋へ戻る途中、火のそばに人がいた。ひとりだ。
縄をなっている。藁を継ぎ足しては撚り、継ぎ足しては撚る。手が止まらない。前に来たときも、この人の手だけが早かった。あのときは肉を切っていた。手の運びが、同じだ。
「あのときは、ありがとうございました」
男の人は、手を止めなかった。
「……ああ」
藁が継ぎ足されて、撚られる。
何か言ったほうがいい気がして、僕は街で聞いたことを言った。
「見回りが、増えたそうです。街のほうで、そう言っていました」
手が、一度だけ止まった。
すぐにまた動きだした。
「ここまでは、来んよ」
低くて、平らな声だった。とうに済んだことを言うときの言い方だった。
顔を上げて、僕を見た。火から離れているので、目のあたりだけが見えた。
落ち着いた目だった。
「……そうですか」
僕は、それだけ言って通り過ぎた。
納屋へ入って、戸を閉めた。藁の匂いがした。
外で、縄をなう音が、まだしていた。




