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僕の世界  作者: 0u0
第一章
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第3話 どこも同じだ

 朝のギルドは、扉を開ける前から音が漏れていた。


 押し開けると、外の冷えた空気と入れ替わりに、人いきれと、革と、灯したての油の匂いが、ひとまとまりになって顔に当たった。


 依頼板《いらいばん》の前のざわめき。紙を擦(こす)る音。誰かの欠伸《あくび》。僕は列に並んで、順番を待った。リュックの中の青い光のことを思うと、掌《てのひら》の擦(す)り傷が、昨日より少しだけ誇らしいような気がした。


 カウンターの木は、何年分の袖に擦られたのか、角がすっかり丸くなって、飴色《あめいろ》に光っていた。インクと、乾いた羊皮紙と、昨日の蝋燭《ろうそく》の匂い。順番が来て、僕は台の前に立った。


 カウンターの向こうには、メルナさんがいた。


 僕の顔を見て、それから泥の跡が残るブーツに目を落として、片方の眉《まゆ》を上げる。


「朝から何だい」

「買取をお願いします。クルサ(止血草)と――あと、これを」


 麻布の包みを開いて、僕はステリア(傷薬の高級草)を台に並べた。六株。葉脈の青い光は、昨日、宿の窓辺で見たときより、また少し弱くなっている気がした。


 メルナさんの手が、止まった。


 一株を摘み上げて、光に透(す)かす。それから提出票の採取地の欄《らん》に目を落として、低い声で言った。


「北の裏斜面。……あんた、正気かい」

「門番さんには、気をつけろと言われました」

「言われて行くやつの台詞《せりふ》じゃないよ、それは」


 呆《あき》れたように息を吐いて、それでもメルナさんの手は動き始めた。一株ずつ、光に透かしては、台の右と左に分けていく。右に二株。左に四株。


「ステリアってのは、光で値が決まる。で、この光は摘んだ時から落ち始める。――あんた、これ、袋に裸で突っ込んできたね」

「……はい」

「湿らせた苔《こけ》で包むんだよ。薬師《くすし》に卸(おろ)すもんは、摘んでからの扱いで等級が変わる。覚えときな」


 知らなかった――いや、正確には、ずれていた。何の薬草か、どこに生えるか、どんな効き目か。摘めば光が弱っていくことだって、知っている。


 でも、ここでは効き目じゃなく、光に値がつく。売り場に届いたとき、どれだけ光っているか。それを保つためだけの苔なんて、僕の頭のどこにもなかった。


「それとね」


 メルナさんは左に分けた四株を、指の先で軽く叩《たた》いた。


「裏斜面のは、しょせん浅場《あさば》のステリアだ。寒くて暗い奥で育ったやつほど強く光る。一万レムになるのはそういう代物《しろもの》で、街から半日の斜面に生えてるようなのは、元から中の下。命懸(いのちが)けで採ってくる場所じゃないよ」


 右の二株で八千。左の四株で四千。クルサの束に八百。しめて一万二千八百レム。


 メルナさんは硬貨を数えて、台に置いた。一万レムが一枚、千レムが二枚、五百レムが一枚と、百レムが三枚。木の台の上で、硬貨同士が触れて、短く硬い音を立てた。


 一万レム硬貨を受け取るのは、初めてだった。他の硬貨よりひと回り大きくて、ずっしりと冷たい。掌に載せると、擦り傷の上に、その重さがちゃんと乗った。


「――ありがとうございます」

「礼を言う相手は草だろ。次」


 メルナさんはもう、僕の後ろの冒険者を見ていた。


 その日は遠出をせず、街の近くの草地でクルサを摘んで戻った。誰でも入れる浅い草地は、とっくに摘み荒らされていて、残っているのは汁の薄い痩《や》せた株ばかり。それでも手ぶらで帰るよりはましだった。


 宿に戻ると、帳場《ちょうば》のエルマさんが顔を上げた。

「今日は早いね」

「近場だけにしたので」

「そりゃ結構」

 それだけ言って、宿代を受け取り、また帳面に目を戻す。僕は部屋に上がって、革袋の底に一万レム硬貨を沈め、上から小銭を被《かぶ》せた。夕方の食堂は、煮込(にこ)みの匂いと、汗と、安い酒の匂いがひとつに混ざっていた。


 今日くらいは、と思って、僕は煮込みを一杯だけ頼んだ。千レム。欠けた木の椀《わん》の中で、骨付きの肉と豆が湯気を立てている。顔を近づけると、湯気が頬《ほお》に触れた。ひと口すすると、脂と塩気が、冷えた体の芯《しん》まで届いた。二口目を運ぶ手が、勝手に早くなっていた。周りでは、木の長椅子が軋(きし)み、賽子《さいころ》の転がる音と、誰かの笑い声が、煙のように天井へ昇っていく。稼いだ日の飯は、同じはずのものが、少しだけ違う味がする。


 底に残った汁まで匙《さじ》ですくって、椀を空にしてから、僕は隅の席で、泥の染みたブーツの手入れを始めた。革紐《かわひも》を抜いて、布で泥を落として、油を薄く伸ばす。


「――北の裏で採ってきたって?」


 隣の席から、声がした。


 見ると、年かさの冒険者が、槍《やり》の穂先《ほさき》を布で拭(ふ)いながら、こちらを見ていた。四十絡(よんじゅうがら)み。日に焼けて、髭《ひげ》に白いものが混じっている。革の胸当(むねあ)ては色が抜けるほど使い込まれていたが、留め具はどれも新しく、槍の柄には、握りの位置にだけ布が固く巻いてあった。長いこと、大事に使われてきた道具だ。いいな、と思った。


「ギルドで聞いた。ゴブリンの出る斜面に、新入りが一人で入ったって」

「……薬草を採りに、少しだけ」

「少しだけ、ね」


 男は笑わなかったが、責める調子でもなかった。穂先を布でもうひと拭きして、それを窓の光に透かす。


「デュランだ。この街で冒険者をやってる」

「ノアです」


 それだけ言って、しばらくお互い、手元の仕事に戻った。革に油の染みる音と、布が金属を擦る音だけが、隣り合っていた。こういう間合(まあ)いは、嫌いじゃなかった。


「それで」と、先に口を開いたのはデュランさんだった。「命懸けで稼いで、何に使うんだ」

「金を貯めてるんです。次の街へ行きたくて」


 デュランさんの手が、少しだけ止まった。


「次の街?」


 それから、彼は初めて笑った。苦いものを噛(か)んだような、短い笑いだった。


「やめとけ。どこも同じだ」

「……同じ、ですか」

「ギルドがあって、依頼板があって、安宿があって、俺たちみたいなのが飯を食ってる。看板の名前が変わるだけだ」


 言い切ってから、デュランさんは僕のブーツに目をやった。


「手入れは悪くないな。……だが、この街の泥は油と相性が悪い。白い粉が混じってるのが見えるか。北の土は石灰《せっかい》気だ。水気で拭(ぬぐ)って落とさずに油をかけると、粉ごと革に塗り込めることになる。ひと冬で硬くなって、割れるぞ」


 言われて布を見ると、泥の跡に、たしかに白っぽい粉が残っていた。卓の水差しが、僕のほうへ滑ってきた。押した手は、もう槍に戻っていた。僕はその水で布を湿(しめ)らせて、拭き直した。


「知りませんでした。……ありがとうございます」


 デュランさんは頷(うなず)きもせず、もう自分の槍に目を戻していた。


 部屋に戻ると、階下《かいか》のざわめきが、床板越しに低くくぐもって届いた。窓の隙間から入る夜気《やき》が、昼の汗の残る首筋を撫《な》でていく。僕は寝台の上で革袋を開けた。


 一万レムを一枚、指でなぞる。冷たかった硬貨が、掌の熱で、ゆっくりぬるくなっていく。誰も見ていないのをいいことに、窓の明かりにもう一度だけ透かして、僕は少しだけ、にやけた。路銀と、道中の食料と、次の街で仕事が見つかるまでの当座《とうざ》の宿代。全部を足した目標の、今日でやっと一割半。この調子なら、あと、ひと月半――いや、雨で出られない日を数えれば、ふた月か。


 どこも同じだ、とデュランさんは言った。長くやってきた人の言葉だ。きっと、嘘《うそ》じゃない。


 でも、と僕は思う。同じかどうかは、この目で見てから決めたい。ギルドと依頼板と安宿の向こうに、こことはまるで違う景色が、きっとあるはずだ。あると、信じたい。それを確かめたくて、僕は育った街を出てきたのだから。そう思ったら、口元が緩んだ。


 革袋の口を縛って、枕《まくら》の下に押し込む。目を閉じると、メルナさんの声がした。寒くて暗い奥で育ったやつほど、強く光る。


 薬草の話だ。分かっている。


 それでもその言葉は、なぜだか少しだけ、胸の奥に残った。

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― 新着の感想 ―
デュランさんが靴の手入れのやり方を黙って直してくれる場面が良かったです。 「どこも同じだ」と言いながらも、ちゃんと見てくれているのが伝わってきました。 続きも楽しみです。
Xから来ました 寒く暗い奥ほど強く光るという言葉が、誰もいない劇場で幕が開く場面と静かに響き合っていて印象的でした。
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