↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕の世界  作者: 0u0
第二章
35/62

第8話 空いた棚

 枝道《えだみち》は、街道より、ずっと頼りなかった。


 両側から草がせり出して、道の真ん中で触れ合っている。人が通らないから、道が細るのだ。荷の紐《ひも》を握り直して、その草を分けて進んだ。街道を行き交う車の音は、もう、背中の後ろに遠い。虫の声と、自分の足音ばかりになった。


 ゆうべは、道端の木の下で、一晩を明かした。枝道に入って、もう二日になる。


 二日目の、日が傾《かたむ》きかけた頃、木立《こだち》が切れて、村が見えた。


 畑があった。畝《うね》の間を、細い水路が通っている。低い家が、身を寄せ合うように並んで、どの屋根からも、薄い煙が上がっていた。畑の端で、鍬《くわ》を持った男が手を止めて、こちらを見ている。よそ者が珍しいのだろう。村の外れに、小さな建物があった。屋根に、簡素な印。教会の、分所らしい。


 畑があって、煙があって、人がいる。慎ましいけれど、ちゃんと、暮らしがそこにあった。


 畑の男に、荷の届け先を訊《き》いた。男は、鍬の先で、村の奥の一軒を指した。


「薬師《くすし》んとこだ。突き当たりの、薬草を干してある家さ」


 言われた通りに行くと、その家の軒下《のきした》には、束ねた薬草が、幾つも吊《つ》るしてあった。乾いた、青い匂《にお》いがする。戸は、開いていた。


「配達で、来ました。街のギルドから」


「ああ」


 中で、薬研《やげん》を挽《ひ》いていた女が、手を止めて立ってきた。四十半ばくらいだろうか。荷を受け取ると、その場で紐を解いて、中を検《あらた》める。晒《さらし》。丸めた布。小さな包みが、幾つか。指が、一つ一つを迷わずに検めていく手つきは、ひどく慣れていた。


 女が荷を検めているあいだ、僕は、その家の中を、見るともなしに見ていた。


 壁という壁が、棚だった。素焼きの壺《つぼ》と、木の箱が、ずらりと並んでいる。苦いような、薬くさい匂いが、家じゅうに満ちていた。こんな辺鄙《へんぴ》な村にも、こういう家が、ちゃんとある。


 ただ、その棚の、ところどころが、がらんと空いていた。壺の口が、いくつも、開いたままになっている。街から少しずつ取り寄せている理由も、それで知れた。


「……足りてる。ご苦労さん」


 受注証《じゅちゅうしょう》と引き換えに、女は、硬貨を数えて寄越した。千レムが、幾らか。派手な数ではない。それでも、街から枝道を、荷を負って歩いた分が、こうして手のひらに乗る。革袋の、いつもの場所へ落とした。


 これで、用は済んだ。頭を下げて、戸口を出ようとした、その時だった。


 子どもの泣き声が、近づいてきた。


 母親らしい女が、男の子を抱えるようにして、駆け込んでくる。子は、片腕を押さえて、しゃくり上げていた。押さえた指の間から、赤いものが滲《にじ》んでいる。頬《ほほ》が、上気して赤い。


「セラさん、この子が、鎌《かま》で」


「見せな」


 セラ、と呼ばれた女は、もう子の腕を取っていた。傷を検める。深くはない。けれど子は、痛みと、これから何をされるかという怖さで、体を捩《よじ》って泣いた。


「じっとしとき」


 そう言いながら、セラさんは、片手で水を汲《く》もうとする。もう片手は、子の腕を離せない。手が、二つでは、足りていなかった。


 僕は、戸口で、足を止めていた。出て行くきっかけを、失っていた。


 竈《かまど》の脇《わき》に、湯の沸いた鍋があるのが、目についた。僕は、それをそっと桶《おけ》の水に足して、ぬるくした。布を浸して、絞る。セラさんの手の届く所へ、置いた。頼まれる前に、体が動いていた。旅の間、怪我の手当ては、いつも自分一人でやってきた。手順は、体が覚えている。


 セラさんは、ちらとこちらを見たが、何も言わずに、その布を取った。


 子は、まだ暴れていた。傷に触れられるのが怖いのだ。このままでは、洗えない。


 僕は、しゃがんで、子と目の高さを合わせた。


「――ほら、あっち。屋根の上に、鳥がいる」


 低い声で、そう言う。子が、つられて、上を見た。指さした先には、本当は、何もいない。それでも、子の体から、ほんの少しだけ、力が抜けた。その隙に、セラさんの手が、傷を洗い終える。子が「あ」と気づいた時には、いちばん痛いところは、もう済んでいた。


 馬を宥《なだ》めた時と、同じだ。怖がっているものは、痛みそのものより、次に来る痛みを、怖がっている。だから、気を、そっちからよそへ、逸《そ》らしてやればいい。


 子の額が、まだ、赤かった。傷の痛みと、走ってきたのとで、熱を持っている。セラさんの手は、傷のほうで塞《ふさ》がっている。僕は、別の布を水で冷やして、子の額に、そっと乗せた。頬の赤みが、少しずつ薄くなった。


 子は、ひやりとした布に、少し驚いた顔をしてから、大人しくなった。


 セラさんは、傷に薬を塗り、晒《さらし》を巻いた。手際は、早い。巻き終える頃には、子はもう、泣き止んでいた。額の布も、いつのまにか、機嫌のいい顔で、自分から押さえていた。


「膿《う》まないように、明日《あした》また来な」


 母親が、何度も頭を下げて、子を連れて出て行った。戸口の向こうに、二人の足音が遠ざかる。


 家の中に、二人が残った。セラさんは、使った道具を片付けながら、ようやく、僕をまともに見た。


「……あんた、手慣れてるね」


「旅を、してるので。自分の分は、自分でやるくせが、ついてて」


 セラさんが、湯を椀《わん》に汲《く》んで、一つ、僕のほうへ押し出した。


「飲みな。もう、日が暮れる」


 愛想の欠片《かけら》もない声だった。けれど、突き放しても、いなかった。


 椀を受け取って、少し迷ってから、僕は訊《き》いた。


「……この村では、深い怪我をした人は、どうするんですか」


 セラさんの手が、一瞬、止まった。それから、壁の棚のほうへ、ちらと目をやった。あれだけの物の詰まった、棚のほうへ。


「街の教会まで、運ぶしかない。戸板で担いで、二日だ」


 それきり、間があった。


「この棚にあるもんで治せるのは、ここまでさ。腹をやられたら、あたしの薬じゃ何ともならない。……教会まで、持つか持たないかだ。間に合った者もいる。間に合わなかった者も、いる」


 窓の外で、日が落ちかけていた。畑も、水路も、影になっていく。教会の分所の、簡素な印が、その暮れ方の中に、小さく見えた。あの祠《ほこら》には、たぶん、聖療師《せいりょうし》はいない。


 椀の湯を、飲み干した。ぬるくて、けれど、温かかった。


「今夜、この村で、泊めてもらえますか」


「納屋《なや》なら、貸すよ。藁《わら》はある」


 礼を言って、荷を肩にかけ直した。納屋へ向かいかけて、足が止まった。


 暮れかけた分所の印を、もう一度だけ見た。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
ハルヴェンを出てから、同じ冒険者でも土地が変わるとまた知らないことばかりになるのが面白かったです。 ギャルラに食料を取られたり、アルテンでは登録の照会が必要だったりと、旅をするたびにその土地の常識を覚…
『僕の世界』、第一章から第二章まで読ませていただきました。 最初に思ったのは、「異世界ファンタジーなのに、全然急がない作品だな」ということ。 薬草を採って、ギルドで換金して、飯を食べて、宿代を払っ…
Xの企画から来ました。 ここまで読ませていただきました。 派手な力や大きな使命から始まるのではなく、薬草を一束ずつ集め、食費や宿代を計算しながら生きていく――そんな名もなき駆け出し冒険者の日々が、と…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。