第7話 待つ人と、探す人
森を出ると、足の裏に伝わる土が、急に硬くなった。
幾日ぶりの、踏み固められた街道。腐った葉の、あの柔らかさは、もうどこにもない。乾いて締まった道が、まっすぐ、アルテンの壁へ続いている。
門の前には、また、列ができていた。荷馬車が二台、その後ろに、徒歩の旅人が数人。アルテンへ来た日と、同じ光景だった。ただ、並んでいる顔ぶれだけが、そっくり入れ替わっている。
僕は、列の最後尾についた。
順番が来て、門番にカードを見せる。門番はそれを光に傾けて、僕の顔と、一瞬だけ見比べた。それから、手のひらを、こちらへ向ける。
「壁の銭。百レム」
この街へ来た日に、一度、聞いた文句だった。二度目は、もう驚かない。革袋から百レムを一枚出して、その手のひらに落とす。乾いた音がした。門番の目は、もう次の列へ移っていた。
一歩、内側へ入る。荷車の軋み、呼び売り、どこか高いところで打つ槌の音。幾日も、森の静けさに浸っていた耳には、その全部が、いっぺんに雪崩れ込んできた。
大通りを、ギルドのほうへ歩く。
途中、こぢんまりとした石造りの教会の前を通った。尖った屋根に、小さな鐘。扉は開いていて、その奥は、ひんやりと暗い。いちばん奥で、小さな灯りが、いくつか、静かに揺れている。腰の曲がった年寄りが一人、扉のほうへ、ゆっくりと歩いていく。この街の、支部なのだろう。
こういう教会は、どこの街にもある。深い傷や重い病を診てもらえるのも、こういう場所だ。ただ、扉の脇には、寄付を受けるための鉢が、ひとつ、置いてあった。年寄りは、その鉢の前で少し指を握り、何も落とさないまま、暗がりの中へ入っていった。奥で咳がひとつして、長椅子の端が、かすかに軋んだ。
その少し先、石造りの四角い建物があった。扉は固く閉じられ、板壁に、木の札が何枚も打ちつけてある。字が、びっしりと書いてある。人が二、三人、それを見上げている。読んでいるというより、何かを探している目だった。
僕は、どちらの前でも、足を止めなかった。用があるのは、その先の、いつものところだ。
ギルドの樫の扉を押すと、人と紙と、酸っぱいエールの匂いが、まとめて顔にぶつかってきた。昼前のギルドは、朝ほど混んでいない。
受付には、アルテンへ来た日と同じ男が座っていた。
僕がカードを出すと、男はそれを一目見て、片方の眉を上げた。
「……ああ、あんたか」
男は、少し、意外そうだった。
「てっきり、消えたもんだと思ってたぜ。配達を一件やったきり、ふらっといなくなったからな。まあ、この稼業だ。来て、消える奴は珍しくねえ。次の街で気楽にやってるか――そうでなけりゃ、どこかの街道で、野垂れてるか」
男はそう言って、また板に目を落とした。僕が消えようが戻ろうが、めくる手の速さは、変わらなかった。
「すみません。ちょっと、森を、見て回っていて」
「森?」
男は、板の束をめくる手を、少しだけ止めた。物好きな、とでも言いたげだった。それでも、それ以上は訊かなかった。
一枚を抜いて、僕のカードと、何かを見比べる。
「照会は、返ってきてる。ハルヴェンからだ。カードは本物、階級は一般。……もう、見習いの口に縛られることはねえ。一般の依頼が、受けられる」
十日、宙ぶらりんだった何かが、やっと、地に足をつけた。僕は、カードを受け取って、リュックの口に、しまい直した。
「あと……素材を、買い取ってもらいたいんですが」
「素材? 奥だ。査定に出しな」
男は、顎で、奥の窓口を示した。
奥の窓口に、皮を出した。森で仕留めて、幾日もかけて乾かした、あの一枚。
査定の男は、それを台に広げると、指で、毛の流れを撫でた。裏を返し、光に透かす。傷の一つ一つを、爪の先で辿っていく。手つきに、迷いはなかった。
「カモスだな」
ひとりごとのような、低い声だった。
「上等ってわけじゃねえ。だが、穴は少ない。乾かし方も、悪くない」
皮を、もう一度、端から端まで眺めてから、男は、指を何本か折った。
「千レムで、このくらいだ」
台の上に、硬貨が並ぶ。数えるまでもない、軽い数だった。それでも、森で過ごした十日が、こうして、手のひらに乗る形になるのは、悪くなかった。僕は、その硬貨を、革袋の、いつもの場所へ落とした。
帰りがけに、依頼板の前で、足を止めた。
一般の口が、並んでいる。街道沿いの護衛、薬草の採取、近くの村への使い。その中の一枚に、目がとまった。
配達。届け先は、街道から枝道に入って、一日か二日の、小さな村。荷は、重くない。報酬は、リメンの時ほどではないけれど、悪くもなかった。
僕は、その紙を剥がして、受付へ持っていった。
男は、紙の村名で、目を止めた。
「その村か。……まあ、いい。だが、辺鄙だぞ。教会の分所と、薬師が一人いるきりだ。何かあっても、街みたいにはいかねえ」
「はい。……行ってみます」
「受注証だ。落とすなよ」
男は受注証と、届ける荷を台へ滑らせた。宛先を確かめ、受注証はリュックの口へ深く挟む。荷紐を、肩へ掛けた。
ギルドを出ると、日は、もう高かった。
門のほうへ、街を戻る。行きに通った教会の扉は、まだ開いたままだった。中の暗がりで、誰かが、手を借りるのを待っているのだろう。掲示の前にも、さっきとは違う顔が、二、三人。字を、探すように見上げている。人が入れ替わっても、待つ人も、探す人も、途切れはしない。そういう街なのだ、と思った。
門を出て、街道をしばらく行くと、右手に、細い分かれ道があった。両側から、草が、道の真ん中へせり出している。あまり、人が通らないのだろう。枝道は、街道より、ずっと心もとなかった。
歩きながら、頭の中で、そろばんを弾く。皮の分で、千レムが数枚、戻った。森で、宿代を浮かせた分もある。それでも、目標には、まだ、ずいぶん遠い。減り続けるのは、止まった。けれど、アルテンへ来た日の額には、まだ戻っていない。
細い道の先に、小さな村がある。教会の分所と、薬師が一人きりの、辺鄙な村。
どんなところだろう。荷の紐を、肩にかけ直して、僕は、その道へ、足を踏み入れた。




