第5話 壁の銭
門の前に、列ができていた。
アルテンの街門は、リメンのそれより、二回りは大きかった。石を高く積んだ壁が、昼の光を半分だけ受けて、片側を濃い影に落としている。門の下は日が差さず、そこだけ夜の残りが溜まっているみたいに、ひやりとしていた。
先頭で、荷馬車の検めが始まっている。
商人が革の筒から書き付けを出して、門番に渡す。門番は幌をめくって、樽の頭を拳で二度、三度と叩いた。中身と数を、書き付けと突き合わせているらしい。それが済むと、門番は指を折って何かを数え、商人が革袋から硬貨をいくつか出した。荷にかかる分なのだろう。
列は、少しずつ進んだ。
僕の番が来た。
「カードを」
リュックの口に挟んでおいたカードを出す。門番は日に傾けて、僕の顔と見比べた。
「よそからか」
「はい。……この街は、初めてで」
「なら、一枚だ」
言われて、意味が、すぐには分からなかった。門番は面倒くさそうに、顎で壁を示した。
「壁の銭だよ。よそもんが入るならな」
……ああ、と思う。壁を、保つための銭。育った街では、聞いたことのない仕組みだった。それでも、門番の言い方に、それ以上の含みはなかった。毎朝、何百人に同じことを言っているのだろう。
革袋から、百レムを一枚。門番の手のひらに落とすと、乾いた音がした。それきり、門番の目は、もう次の列へ移っていた。
「……ありがとうございます」
声は、たぶん、届いていない。
門をくぐる。
一歩、内側へ入っただけで、音が増えた。荷車の軋み、呼び売りの声、どこか高いところで打つ槌の音。それが幾重にも重なって、壁に跳ね返って、頭の上から降ってくる。リメンの宿場の、あのまばらな朝とは、まるで違った。
足が、少しだけ速くなった。
冒険者ギルドは、大通りを一本入ったところにあった。
樫の扉を押すと、人と紙と、酸っぱいエールの匂いが、いっぺんに顔にぶつかってくる。ハルヴェンの、あの朝いちばんの匂いと、そう変わらない。肩の力が、少しだけ抜けた。
依頼板の前に立った。
紙が、びっしり貼ってある。荷運び、採取、近場の護衛。その上のほうには、小型の魔物討伐や、長い護衛の口も見えた。ハルヴェンより、口の数も、実入りのいいものも、ずっと多い。指で、上から順になぞっていく。
その一枚で、指が止まった。中位向けの、街道の護衛。報酬は、この街で十日は宿に泊まれる額だった。
その紙を、もう一度は見なかった。見れば、欲しくなる。
受付へ回った。
「依頼を、受けたいんですけど」
カードを台に置く。受付の男は、それを手に取って、ひっくり返した。傾けて、しばらく眺めて、それから、ふと手を止めた。
「……よそのか」
「はい」
「写しは」
「……写し?」
「登録の写しだよ。出せるかい」
僕は、首を横に振るしかなかった。持っていない。持ってこいと、誰にも言われなかった。
男は、小さく息を吐いた。
「ハルヴェンで、言われなかったのか」
言われなかった。けれど、それを言ったところで、何も始まらない気がして、口をつぐんだ。
男は、カードを台に置いた。
「照会をかける。あんたのカードが本物か、階級がいくつか、出したところに訊くのさ。返ってくるまで、こっちじゃ確かめようがない」
そう言って、男は板を一枚めくった。
「千レムだ。ハルヴェンなら、近い。遠けりゃ、もっと張る」
僕は、革袋から千レムを一枚出して、台に置いた。
「……どのくらい、かかりますか」
「十日は見な。それまでは、見習いの口しか回せない」
見習い。
その言葉を、口の中で転がしてみる。少し、おかしかった。この何日か、いい仕事が続いて、そこそこ褒められて――気づかないうちに、少し背伸びをしていた気がする。それが、いきなり、いちばん下だ。
でも、悪くない、とも思った。見習いから、もう一度。
板の、いちばん下。見習い向けの口が、隅にまとめて貼ってあった。配達。荷運び。溝さらい。僕は、そこから配達の口を一枚、剥がした。
受付の男に渡すと、判を押して、受注証を寄こした。
「明日の朝だ。遅れるなよ」
「はい。……ありがとうございます」
宿は、ギルドの近くで探した。
安宿の相場は、この街でも、そう変わらなかった。素泊まりで、八千レム。ハルヴェンより、気持ち、高い。帳場の女に千レムを並べて渡すと、女は数えもせずに、鍵をひとつ、こちらへ滑らせた。
部屋は、二階のいちばん奥だった。窓は小さく、藁を詰めた寝台がひとつ。板の隙間から、夕方前の光が、細く差し込んでいる。
寝台に腰を下ろして、僕は、明日の配達のことを考えた。この街の道は、まだ頭に入っていない。届け先を探して回るなら、早めに出たほうがいい。それくらいのことを、寝る前に、ぼんやり並べた。
配達の口は、思っていたより、街を歩かせた。
革の袋を一つ預かって、書かれた家を、順に回る。路地は、大通りと違って、日が差さず、足元は湿っていた。角を二度ほど曲がり損ねて、戻って、また探す。それでも、届け先の名を、店の者に確かめながら、一軒ずつ潰していった。歩くたびに、この街の骨組みが、少しずつ分かってくる。どこが表通りで、どこが抜け道か。それを覚えていくのは、思ったより、悪くなかった。
最後の一軒に袋を渡すと、受け取りの判が押された。
ギルドへ戻る。受付で受注証を見せると、男は帳面を確かめて、硬貨を数えた。僕の手のひらに、百レムが数枚、落ちる。
握ると、軽かった。
半日、街じゅうを歩いて、これだ。仕事は、悪くなかった。届けるべき物を、届けるべき場所へ、ちゃんと届けた。ただ、手のひらの軽さは、正直だった。
宿へ戻ると、帳場で、千レムを八枚、もう一度並べた。女は数えもせず、同じ鍵を台へ滑らせた。
二階へ上がり、寝台の上で、そろばんを弾いた。
今日の稼ぎ。手持ち。宿代、素泊まりで八千レム。次の街まで、あとどれだけ要るのか。何度、並べ替えても、答えははっきりしていた。
この稼ぎでは、資金は、減っていく一方だ。
見習いの口は、宿代を払えば、ほとんど残らない。十日、この街で配達を回しても、貯金はたぶん、増えるどころか、目減りする。初心に帰るのはいい。ただ、革袋は、それに付き合ってはくれない。
窓の下から、飯の匂いが上がってきた。どこかの店で、何かを煮ている。腹が、小さく鳴った。……何か、温かいものを、食べよう。小銭で足りる汁物でいい。そう思うと、少しだけ、気持ちがほどけた。ほどけたまま、僕は、別のことを考えはじめた。
門を入るとき、壁の外に、森が見えていた。
街道から少し逸れた、低い森。濃い緑が、昼の光の中で、こんもりと盛り上がっていた。あの奥に、何があるのか。どんな獣がいて、どんな木の実が生って、水がどこを流れているのか。門をくぐる前に、ほんの一瞬、そう思ったのを、覚えている。
その森のことが、また、頭に浮かんだ。
どうせ十日、待つのだ。街の路地を覚えるのも面白いけれど、この際、あの森を見て回るのも悪くない。宿代はかからないし、獣を獲って、木の実を拾って、火を焚けば、夜は越せる。革袋が軽くなっていくのを、指をくわえて眺めているよりは、ずっと、僕の性に合っていた。
そうと決めると、少し、わくわくした。
受注証を、リュックの口から抜いて、皺を伸ばす。配達は、今日でおしまいにしよう。明日、朝のうちに、門を出る。
窓の外で、街の音は、まだ鳴りやまなかった。その音を背中で聞きながら、僕は、明日持っていく物を、頭の中で並べはじめた。




