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僕の世界  作者: 0u0
第二章
32/66

第5話 壁の銭

 門の前に、列ができていた。


 アルテンの街門は、リメンのそれより、二回りは大きかった。石を高く積んだ壁が、昼の光を半分だけ受けて、片側を濃い影に落としている。門の下は日が差さず、そこだけ夜の残りが溜《た》まっているみたいに、ひやりとしていた。


 先頭で、荷馬車《にばしゃ》の検《あらた》めが始まっている。


 商人が革の筒から書き付けを出して、門番に渡す。門番は幌《ほろ》をめくって、樽《たる》の頭を拳《こぶし》で二度、三度と叩《たた》いた。中身と数を、書き付けと突き合わせているらしい。それが済むと、門番は指を折って何かを数え、商人が革袋から硬貨をいくつか出した。荷にかかる分なのだろう。


 列は、少しずつ進んだ。


 僕の番が来た。


「カードを」


 リュックの口に挟んでおいたカードを出す。門番は日に傾《かたむ》けて、僕の顔と見比べた。


「よそからか」

「はい。……この街は、初めてで」

「なら、一枚だ」


 言われて、意味が、すぐには分からなかった。門番は面倒くさそうに、顎《あご》で壁を示した。


「壁の銭だよ。よそもんが入るならな」


 ……ああ、と思う。壁を、保つための銭。育った街では、聞いたことのない仕組みだった。それでも、門番の言い方に、それ以上の含みはなかった。毎朝、何百人に同じことを言っているのだろう。


 革袋から、百レムを一枚。門番の手のひらに落とすと、乾いた音がした。それきり、門番の目は、もう次の列へ移っていた。


「……ありがとうございます」


 声は、たぶん、届いていない。


 門をくぐる。


 一歩、内側へ入っただけで、音が増えた。荷車の軋《きし》み、呼び売りの声、どこか高いところで打つ槌《つち》の音。それが幾重にも重なって、壁に跳ね返って、頭の上から降《ふ》ってくる。リメンの宿場の、あのまばらな朝とは、まるで違った。


 足が、少しだけ速くなった。



 冒険者ギルドは、大通りを一本入ったところにあった。


 樫《かし》の扉を押すと、人と紙と、酸っぱいエールの匂《にお》いが、いっぺんに顔にぶつかってくる。ハルヴェンの、あの朝いちばんの匂いと、そう変わらない。肩の力が、少しだけ抜けた。


 依頼板《いらいばん》の前に立った。


 紙が、びっしり貼ってある。荷運び、採取、近場の護衛。その上のほうには、小型の魔物討伐や、長い護衛の口も見えた。ハルヴェンより、口の数も、実入りのいいものも、ずっと多い。指で、上から順になぞっていく。


 その一枚で、指が止まった。中位向けの、街道の護衛。報酬は、この街で十日は宿に泊まれる額だった。


 その紙を、もう一度は見なかった。見れば、欲しくなる。


 受付へ回った。


「依頼を、受けたいんですけど」


 カードを台に置く。受付の男は、それを手に取って、ひっくり返した。傾けて、しばらく眺めて、それから、ふと手を止めた。


「……よそのか」

「はい」

「写しは」

「……写し?」

「登録の写しだよ。出せるかい」


 僕は、首を横に振るしかなかった。持っていない。持ってこいと、誰にも言われなかった。


 男は、小さく息を吐いた。


「ハルヴェンで、言われなかったのか」


 言われなかった。けれど、それを言ったところで、何も始まらない気がして、口をつぐんだ。


 男は、カードを台に置いた。


「照会をかける。あんたのカードが本物か、階級がいくつか、出したところに訊《き》くのさ。返ってくるまで、こっちじゃ確かめようがない」

 そう言って、男は板を一枚めくった。

「千レムだ。ハルヴェンなら、近い。遠けりゃ、もっと張る」

 僕は、革袋から千レムを一枚出して、台に置いた。

「……どのくらい、かかりますか」

「十日は見な。それまでは、見習いの口しか回せない」


 見習い。


 その言葉を、口の中で転がしてみる。少し、おかしかった。この何日か、いい仕事が続いて、そこそこ褒められて――気づかないうちに、少し背伸びをしていた気がする。それが、いきなり、いちばん下だ。


 でも、悪くない、とも思った。見習いから、もう一度。


 板の、いちばん下。見習い向けの口が、隅にまとめて貼ってあった。配達。荷運び。溝《どぶ》さらい。僕は、そこから配達の口を一枚、剥《は》がした。


 受付の男に渡すと、判を押して、受注証《じゅちゅうしょう》を寄こした。


「明日《あした》の朝だ。遅れるなよ」

「はい。……ありがとうございます」



 宿は、ギルドの近くで探した。


 安宿の相場は、この街でも、そう変わらなかった。素泊まりで、八千レム。ハルヴェンより、気持ち、高い。帳場《ちょうば》の女に千レムを並べて渡すと、女は数えもせずに、鍵をひとつ、こちらへ滑《すべ》らせた。


 部屋は、二階のいちばん奥だった。窓は小さく、藁《わら》を詰めた寝台がひとつ。板の隙間《すきま》から、夕方前の光が、細く差し込んでいる。


 寝台《しんだい》に腰を下ろして、僕は、明日の配達のことを考えた。この街の道は、まだ頭に入っていない。届け先を探して回るなら、早めに出たほうがいい。それくらいのことを、寝る前に、ぼんやり並べた。



 配達の口は、思っていたより、街を歩かせた。


 革の袋を一つ預かって、書かれた家を、順に回る。路地は、大通りと違って、日が差さず、足元は湿《しめ》っていた。角を二度ほど曲がり損ねて、戻って、また探す。それでも、届け先の名を、店の者に確かめながら、一軒ずつ潰《つぶ》していった。歩くたびに、この街の骨組みが、少しずつ分かってくる。どこが表通りで、どこが抜け道か。それを覚えていくのは、思ったより、悪くなかった。


 最後の一軒に袋を渡すと、受け取りの判が押された。


 ギルドへ戻る。受付で受注証を見せると、男は帳面《ちょうめん》を確かめて、硬貨を数えた。僕の手のひらに、百レムが数枚、落ちる。


 握ると、軽かった。


 半日、街じゅうを歩いて、これだ。仕事は、悪くなかった。届けるべき物を、届けるべき場所へ、ちゃんと届けた。ただ、手のひらの軽さは、正直だった。



 宿へ戻ると、帳場で、千レムを八枚、もう一度並べた。女は数えもせず、同じ鍵を台へ滑らせた。


 二階へ上がり、寝台の上で、そろばんを弾《はじ》いた。


 今日の稼ぎ。手持ち。宿代、素泊まりで八千レム。次の街まで、あとどれだけ要るのか。何度、並べ替えても、答えははっきりしていた。


 この稼ぎでは、資金は、減っていく一方だ。


 見習いの口は、宿代を払えば、ほとんど残らない。十日、この街で配達を回しても、貯金はたぶん、増えるどころか、目減りする。初心に帰るのはいい。ただ、革袋は、それに付き合ってはくれない。


 窓の下から、飯の匂《にお》いが上がってきた。どこかの店で、何かを煮ている。腹が、小さく鳴った。……何か、温かいものを、食べよう。小銭で足りる汁物でいい。そう思うと、少しだけ、気持ちがほどけた。ほどけたまま、僕は、別のことを考えはじめた。



 門を入るとき、壁の外に、森が見えていた。


 街道から少し逸《そ》れた、低い森。濃い緑が、昼の光の中で、こんもりと盛り上がっていた。あの奥に、何があるのか。どんな獣がいて、どんな木の実が生って、水がどこを流れているのか。門をくぐる前に、ほんの一瞬、そう思ったのを、覚えている。


 その森のことが、また、頭に浮かんだ。


 どうせ十日、待つのだ。街の路地を覚えるのも面白いけれど、この際、あの森を見て回るのも悪くない。宿代はかからないし、獣を獲って、木の実を拾って、火を焚《た》けば、夜は越せる。革袋が軽くなっていくのを、指をくわえて眺めているよりは、ずっと、僕の性に合っていた。


 そうと決めると、少し、わくわくした。


 受注証を、リュックの口から抜いて、皺《しわ》を伸ばす。配達は、今日でおしまいにしよう。明日《あした》、朝のうちに、門を出る。


 窓の外で、街の音は、まだ鳴りやまなかった。その音を背中で聞きながら、僕は、明日持っていく物を、頭の中で並べはじめた。

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