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僕の世界  作者: 0u0
第二章
31/63

第4話 声の回る夜

 歩きながら、革袋を一度だけ、揺すってみた。昨日《きのう》もらった一万二千レムは、納屋《なや》を出る前に、布で包んで袋の底へ沈めてある。上から小銭を重ねてあるから、鳴らない。


「よし」


 荷紐《にひも》を握り直す。


 しばらく歩いて、気がついた。今朝、誰も「行くぞ」と言わなかった。荷の紐《ひも》を確かめて回る足音も、頭《かしら》の咳払《せきばら》いもなかった。歩き出す時刻を、僕が決めていた。


 昼前に、向こうから隊が来た。荷馬車《にばしゃ》が二台。先頭の槍《やり》の護衛が僕を一度だけ見て、目を外す。値踏みの目ですら、なかった。荷の軋《きし》みと、馬の息。すれ違うあいだ、誰も、何も言わなかった。


 過ぎてしまうと、道はまた、僕の足音だけになった。


 昼、木陰に足を止めて、水を飲んだ。座ってから、どれだけ休むのかを、まだ決めていないことに気がついた。六日のあいだ、休みは頭の「よし」で始まって、「よし」で終わった。僕は水袋の口を締めて、影が石ひとつぶん動くまで、と決めた。


 午後、右手に細い道が分かれていた。草が両側から寄って、轍《わだち》がひと組、奥へ続いている。その先は木立《こだち》に呑《の》まれて見えない。道標《みちしるべ》は、なかった。


 僕は、通り過ぎた。


 誰もいない一本道で、踵(かかと)で中敷きを踏み直す。腰。裾《すそ》。足と指の腹に、硬さが三つ。それだけ確かめて、また歩いた。


 日が傾《かたむ》いて、足を止めた。街道から少し外れた、石の転がる窪(くぼ)み。風が抜けにくく、火が外から見えにくい。ここでいい。荷を下ろした。


 薪《まき》を組んで、手が止まった。


 多い。


 六日のあいだ、火はずっと、隊のための大きさだった。囲む背中の数だけ、薪がいった。組んだ半分を、脇《わき》へ戻す。鍋の水も、汲《く》みすぎていた。半分、捨てた。


 火種を落として、息で育てる。小さい火が、小さいなりに立った。


 干し肉を炙(あぶ)って、黒パンと食べた。包み葉の匂《にお》いが、指に残った。葉の残りは畳んで、リュックの口に戻した。


 火の向こうは、もう暗い。


 右の茂《しげ》みで、鳥が鳴いた。


 短くて、高い声だった。夜に鳴く鳥は、いる。気にせず、薪を一本足した。


 左で、鳴いた。


 同じ声だった。


 ……同じ声?


 右と左は、火を挟んで反対側だ。飛んで回ったにしては、羽音がなかった。二羽か。いや、今度は後ろ。三羽? 声の間隔が、近すぎる。


 首の後ろが、すっと冷えた。


「……何羽いるんだ」


 口に出しても、茂みは同じ声で鳴くだけだった。


 僕は、声で数えるのをやめた。


 剣を鞘《さや》ごと、膝《ひざ》の横に置く。火に薪を足して、明かりの届く縁《ふち》を広げた。風は右の頬《ほほ》から来ている。声は、風と関係なく跳んでいた。近づいたと思えば、遠くなる。遠さが、読めない。


 一度、声が止《や》んだ。


 薪がひとつ、崩れた。それきり茂みは静かで、僕は、詰めていた息をそっと吐いた。


 ――右で、鳴いた。


 息ひとつぶん、置いてから。左。まただ。跳ぶ声。そういう生き物なのか、それとも、数なのか。分からないまま、僕は火のそばで待った。


 どれくらい経ったころか、包み葉が、鳴った。


 火明かりの端。リュックの口。煤(すす)けた色の羽が、畳んだ葉を咥(くわ)えて――目が、火を映していなかった。


 石を掴(つか)んで、投げた。


 外れた。羽音がひとつ、闇の上へ抜けて、それきり戻らない。リュックの口を見る。包みが、ひとつ足りない。


 残りの包みを、リュックごと膝に抱えた。背中を石に預けて、剣は膝の横のまま。


 そのあとも、声は鳴った。もう、荷を狙う羽音はない。ただ、右で鳴いて、左で鳴いた。数えても仕方のないものを、耳が勝手に数えようとする。僕は剣の柄《つか》に手を置いたまま、何度も目を開けた。火が細くなるたび、薪《まき》を足した。


 夜は、長かった。


 朝の火の跡は、白かった。


 包み葉を数え直す。ひとつ、ない。分かっていたけれど、数えた。


「……一枚か」


 肩の紐が、昨日より食い込んだ。荷は、減ったのに。


 昼を回ったころ、道の先に、壁が見えた。


 高い。ハルヴェンの壁より、高い。門はまだ遠いのに、壁の上の見張り台の屋根まで見えた。


 同じか、どうか。この目で、見にきた。


 重たい足が、勝手に速くなった。街道の左右に畑と小屋が増えて、荷馬車と、荷を背負った人が増えた。道の脇に、茶を売る屋台まで出ている。壁は、近づくほど上へ伸びた。


 門の前は、列だった。


 荷馬車の列と、徒歩の列。僕は徒歩の列の後ろについた。前は、空(から)の荷車を引いた男だった。男が振り向いて、僕の顔を見る。


「兄ちゃん、夜、やられたな」


 ……顔に、出ているらしい。


「ギャルラだよ。声だけ増える鳥だ。袋、火のそばに置いたろ」

「……置きました」

「吊《つ》るしな。声と数くらべしても、勝てやしねえ」

「吊るすと、来ないんですか」

「来るさ。けど、まず取られはしねえ」


 男はそれだけ言って、前へ向き直った。列が、少し進む。


 ギャルラ。


 口の中で、知らない名前をひとつ、転がしてみる。壁の影が、列の上まで伸びてきた。


 僕は一歩ぶん、前へ詰めた。

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