第4話 声の回る夜
歩きながら、革袋を一度だけ、揺すってみた。昨日もらった一万二千レムは、納屋を出る前に、布で包んで袋の底へ沈めてある。上から小銭を重ねてあるから、鳴らない。
「よし」
荷紐を握り直す。
しばらく歩いて、気がついた。今朝、誰も「行くぞ」と言わなかった。荷の紐を確かめて回る足音も、頭の咳払いもなかった。歩き出す時刻を、僕が決めていた。
昼前に、向こうから隊が来た。荷馬車が二台。先頭の槍の護衛が僕を一度だけ見て、目を外す。値踏みの目ですら、なかった。荷の軋みと、馬の息。すれ違うあいだ、誰も、何も言わなかった。
過ぎてしまうと、道はまた、僕の足音だけになった。
昼、木陰に足を止めて、水を飲んだ。座ってから、どれだけ休むのかを、まだ決めていないことに気がついた。六日のあいだ、休みは頭の「よし」で始まって、「よし」で終わった。僕は水袋の口を締めて、影が石ひとつぶん動くまで、と決めた。
午後、右手に細い道が分かれていた。草が両側から寄って、轍がひと組、奥へ続いている。その先は木立に呑まれて見えない。道標は、なかった。
僕は、通り過ぎた。
誰もいない一本道で、踵で中敷きを踏み直す。腰。裾。足と指の腹に、硬さが三つ。それだけ確かめて、また歩いた。
日が傾いて、足を止めた。街道から少し外れた、石の転がる窪み。風が抜けにくく、火が外から見えにくい。ここでいい。荷を下ろした。
薪を組んで、手が止まった。
多い。
六日のあいだ、火はずっと、隊のための大きさだった。囲む背中の数だけ、薪がいった。組んだ半分を、脇へ戻す。鍋の水も、汲みすぎていた。半分、捨てた。
火種を落として、息で育てる。小さい火が、小さいなりに立った。
干し肉を炙って、黒パンと食べた。包み葉の匂いが、指に残った。葉の残りは畳んで、リュックの口に戻した。
火の向こうは、もう暗い。
右の茂みで、鳥が鳴いた。
短くて、高い声だった。夜に鳴く鳥は、いる。気にせず、薪を一本足した。
左で、鳴いた。
同じ声だった。
……同じ声?
右と左は、火を挟んで反対側だ。飛んで回ったにしては、羽音がなかった。二羽か。いや、今度は後ろ。三羽? 声の間隔が、近すぎる。
首の後ろが、すっと冷えた。
「……何羽いるんだ」
口に出しても、茂みは同じ声で鳴くだけだった。
僕は、声で数えるのをやめた。
剣を鞘ごと、膝の横に置く。火に薪を足して、明かりの届く縁を広げた。風は右の頬から来ている。声は、風と関係なく跳んでいた。近づいたと思えば、遠くなる。遠さが、読めない。
一度、声が止んだ。
薪がひとつ、崩れた。それきり茂みは静かで、僕は、詰めていた息をそっと吐いた。
――右で、鳴いた。
息ひとつぶん、置いてから。左。まただ。跳ぶ声。そういう生き物なのか、それとも、数なのか。分からないまま、僕は火のそばで待った。
どれくらい経ったころか、包み葉が、鳴った。
火明かりの端。リュックの口。煤けた色の羽が、畳んだ葉を咥えて――目が、火を映していなかった。
石を掴んで、投げた。
外れた。羽音がひとつ、闇の上へ抜けて、それきり戻らない。リュックの口を見る。包みが、ひとつ足りない。
残りの包みを、リュックごと膝に抱えた。背中を石に預けて、剣は膝の横のまま。
そのあとも、声は鳴った。もう、荷を狙う羽音はない。ただ、右で鳴いて、左で鳴いた。数えても仕方のないものを、耳が勝手に数えようとする。僕は剣の柄に手を置いたまま、何度も目を開けた。火が細くなるたび、薪を足した。
夜は、長かった。
朝の火の跡は、白かった。
包み葉を数え直す。ひとつ、ない。分かっていたけれど、数えた。
「……一枚か」
肩の紐が、昨日より食い込んだ。荷は、減ったのに。
昼を回ったころ、道の先に、壁が見えた。
高い。ハルヴェンの壁より、高い。門はまだ遠いのに、壁の上の見張り台の屋根まで見えた。
同じか、どうか。この目で、見にきた。
重たい足が、勝手に速くなった。街道の左右に畑と小屋が増えて、荷馬車と、荷を背負った人が増えた。道の脇に、茶を売る屋台まで出ている。壁は、近づくほど上へ伸びた。
門の前は、列だった。
荷馬車の列と、徒歩の列。僕は徒歩の列の後ろについた。前は、空の荷車を引いた男だった。男が振り向いて、僕の顔を見る。
「兄ちゃん、夜、やられたな」
……顔に、出ているらしい。
「ギャルラだよ。声だけ増える鳥だ。袋、火のそばに置いたろ」
「……置きました」
「吊るしな。声と数くらべしても、勝てやしねえ」
「吊るすと、来ないんですか」
「来るさ。けど、まず取られはしねえ」
男はそれだけ言って、前へ向き直った。列が、少し進む。
ギャルラ。
口の中で、知らない名前をひとつ、転がしてみる。壁の影が、列の上まで伸びてきた。
僕は一歩ぶん、前へ詰めた。




