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僕の世界  作者: 0u0
第二章
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第3話 橋、の字

 町に入ると、先に音が増えた。

 荷馬車《にばしゃ》の輪が石を踏む音。荷を下ろす男たちの、短い声。どこかで馬が鼻を鳴らし、桶《おけ》の水が撥(は)ねる。ハルヴェンの市場とも、村の道とも違う。荷と人が、すれ違いながら入れ替わっていく音だった。

 荷を継ぐ町だ、と御者《ぎょしゃ》は言っていた。荷はここで隊を替える。人も、ここで道を替えるらしい。


 通りの両側に、荷馬車が何台も尻を寄せていた。

 大きな隊は、静かだった。声より先に手が動いて、荷が順に、決まった場所へ下りていく。若い隊は、にぎやかだった。ひとつの樽《たる》を二人で抱えて、行き先を二度、聞き直している。どの隊も、外套《がいとう》の色より、くたびれ方のほうに差があった。


 僕らの隊は、通りの奥の蔵の前で止まった。

 帳面《ちょうめん》を持った男が出てきて、荷の数を読み上げる。頭《かしら》が、短く応える。荷が、ひとつずつ蔵に入っていく。僕も最後まで運んだ。六日担いだ荷は、下ろすときも重かった。

 全部が入ると、帳面の男が判を押した。それで、荷は僕らのものじゃなくなった。


 頭が、こっちに来た。

「十二だ」

 革の袋から千レムを出して、僕の掌《てのひら》に、一枚ずつ置いていく。載るたび、掌の上で硬い音がした。

「数えな」

「……十二枚。確かに、あります」

「そうかい」

 頭は頷《うなず》いて、それで終わりだった。顔はもう、蔵の中の荷のほうを向いていた。次へ継ぐ算段が、始まっているらしかった。

 六日ぶんが、掌に載っていた。冷たくて、重い。頬《ほほ》がゆるみかけて、僕はそれを、袋の底へしまった。口を固く縛(しば)る。

 荷台の向こうから、御者がこっちを見ていた。例の木の実の袋を、ちょっとだけ持ち上げてみせる。僕は、頭を下げた。それだけだった。それで、ちょうどよかった。


 通りには、軒を連ねて店が出ていた。旅の者が使う店ばかりだ。

 僕は、日持ちのする黒パンをふたつと、干し肉をひと束、それに塩を少し買った。

「明日《あした》、発つのか」

「はい。東へ」

「なら、焼き締めのほうにしときな。日は持つ」

 店の親父《おやじ》は、柔らかいほうのパンを棚へ戻して、石みたいなやつを袋に入れた。干し肉は、バルゴ(包み葉)の葉で包んであった。しめて、七百レム。千レムを一枚出すと、釣りの百レムが三枚、戻ってきた。


 それから、宿を見に行った。

 継ぎ場の宿は、どこも表に馬をつなぐ場所があって、灯《あか》りが早かった。一番小さそうな一軒の土間《どま》で、値を聞く。

「素泊まりで、八千」

「……飯は」

「つかない。それでも、今夜は埋まるよ」

 宿の主は、悪びれもしなかった。荷と人が毎日入れ替わる町だ。軒の下は、それだけで銭になるらしい。

 僕は礼を言って、外に出た。八千。ハルヴェンの宿より高い。六日歩いて増えた十二枚は、ふた晩ももたない勘定だった。


 通りを外れると、家々の裏に、納屋《なや》が並んでいるのが見えた。

 飼い葉を運んでいる年寄りがいたので、声をかけた。

「すみません。……納屋の隅を、ひと晩だけ、貸してもらえませんか」

 年寄りは手を止めて、僕を上から下まで見た。荷と、外套と、腰の剣。それから、短く言った。

「二百レム。藁《わら》は使っていい。火は、使うな」

「使いません」

「なら、いい」

 僕は百レムを二枚、その掌《てのひら》に載せた。


 納屋の中は、藁と、乾いた土の匂《にお》いがした。

 隅に藁を寄せて、荷を下ろす。壁板の隙間《すきま》から、通りの灯りが細い筋になって入っていた。晩飯は、買ったパンの端と、干し肉をひと切れ、葉ごと。

 癖で、火口(ほくち)の袋に手が伸びかけて、やめた。火は、使うな。約束だ。

 六日のあいだ、夜には必ず火があった。囲む顔があって、順番に薪《まき》を足す音があって、僕の椀《わん》にも、汁が入った。今夜は、それがない。

 通りの灯りが一本ずつ消えて、隙間の筋が減っていくと、納屋の中は、ほんとうに暗くなった。暗いのは、平気だ。……ただ、火の周りの声が、六日で癖になっていたらしい。

 屋根と壁のある寝床《ねどこ》は、それだけで上等だった。革袋は、腹の下に入れて寝た。

 夜のあいだ、何度か、遠くで荷馬車の音がした。こんな時間にも、着く隊があるらしい。音は、壁一枚の向こうを通って、遠ざかっていった。


 まだ暗いうちに、目が覚めた。

 藁を戻して、隅を来たときの形にする。世話になった場所は、そうして出る。

 外へ出ると、空の端が、灰色から色を変えはじめていた。通りには、もう起きている隊がいた。馬に飼い葉をやる音と、荷を締め直す音。町は、朝の前から動いていた。


 町はずれで、道が分かれていた。

 辻《つじ》の真ん中に、古い道標《みちしるべ》が立っている。木の柱に、腕木《うでぎ》が何本か。彫(ほ)った字は浅くなっていて、朝の薄い光では、読むのに少しかかった。一本は、僕の行く先。別の一本には、橋、の字が読めた。

 僕は、その下で、一度だけ立ち止まった。

 振り返る。

 来た道は、家並みの間を抜けて、畑の向こうへ下りていって、そこから先は、もう見えなかった。六日、歩いた道だ。あの端に、ハルヴェンがある。ルタさんの薬屋があって、デュランさんが槍《やり》を拭《ぬぐ》ってた食堂があって、エルマさんの宿の、あの階段がある。

 前を向く。

 こっちの道は、朝の光の中を、まっすぐ伸びていた。先は見えない。でも、次の街は、この先にある。

 ――リメンから先は、戻るより、次の街のほうが近い。

 メルナさんの言った言葉が、初めて、足の裏の話になった。戻る道は、六日ぶん。行く道は、それより短い。それだけのことだ。それだけのことで、荷紐《にひも》を握り直した。

 荷を背負い直して、僕は歩き出した。

 辻を過ぎると、道は、ひとすじになった。

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