第3話 橋、の字
町に入ると、先に音が増えた。
荷馬車の輪が石を踏む音。荷を下ろす男たちの、短い声。どこかで馬が鼻を鳴らし、桶の水が撥ねる。ハルヴェンの市場とも、村の道とも違う。荷と人が、すれ違いながら入れ替わっていく音だった。
荷を継ぐ町だ、と御者は言っていた。荷はここで隊を替える。人も、ここで道を替えるらしい。
通りの両側に、荷馬車が何台も尻を寄せていた。
大きな隊は、静かだった。声より先に手が動いて、荷が順に、決まった場所へ下りていく。若い隊は、にぎやかだった。ひとつの樽を二人で抱えて、行き先を二度、聞き直している。どの隊も、外套の色より、くたびれ方のほうに差があった。
僕らの隊は、通りの奥の蔵の前で止まった。
帳面を持った男が出てきて、荷の数を読み上げる。頭が、短く応える。荷が、ひとつずつ蔵に入っていく。僕も最後まで運んだ。六日担いだ荷は、下ろすときも重かった。
全部が入ると、帳面の男が判を押した。それで、荷は僕らのものじゃなくなった。
頭が、こっちに来た。
「十二だ」
革の袋から千レムを出して、僕の掌に、一枚ずつ置いていく。載るたび、掌の上で硬い音がした。
「数えな」
「……十二枚。確かに、あります」
「そうかい」
頭は頷いて、それで終わりだった。顔はもう、蔵の中の荷のほうを向いていた。次へ継ぐ算段が、始まっているらしかった。
六日ぶんが、掌に載っていた。冷たくて、重い。頬がゆるみかけて、僕はそれを、袋の底へしまった。口を固く縛る。
荷台の向こうから、御者がこっちを見ていた。例の木の実の袋を、ちょっとだけ持ち上げてみせる。僕は、頭を下げた。それだけだった。それで、ちょうどよかった。
通りには、軒を連ねて店が出ていた。旅の者が使う店ばかりだ。
僕は、日持ちのする黒パンをふたつと、干し肉をひと束、それに塩を少し買った。
「明日、発つのか」
「はい。東へ」
「なら、焼き締めのほうにしときな。日は持つ」
店の親父は、柔らかいほうのパンを棚へ戻して、石みたいなやつを袋に入れた。干し肉は、バルゴの葉で包んであった。しめて、七百レム。千レムを一枚出すと、釣りの百レムが三枚、戻ってきた。
それから、宿を見に行った。
継ぎ場の宿は、どこも表に馬をつなぐ場所があって、灯りが早かった。一番小さそうな一軒の土間で、値を聞く。
「素泊まりで、八千」
「……飯は」
「つかない。それでも、今夜は埋まるよ」
宿の主は、悪びれもしなかった。荷と人が毎日入れ替わる町だ。軒の下は、それだけで銭になるらしい。
僕は礼を言って、外に出た。八千。ハルヴェンの宿より高い。六日歩いて増えた十二枚は、ふた晩ももたない勘定だった。
通りを外れると、家々の裏に、納屋が並んでいるのが見えた。
飼い葉を運んでいる年寄りがいたので、声をかけた。
「すみません。……納屋の隅を、ひと晩だけ、貸してもらえませんか」
年寄りは手を止めて、僕を上から下まで見た。荷と、外套と、腰の剣。それから、短く言った。
「二百レム。藁は使っていい。火は、使うな」
「使いません」
「なら、いい」
僕は百レムを二枚、その掌に載せた。
納屋の中は、藁と、乾いた土の匂いがした。
隅に藁を寄せて、荷を下ろす。壁板の隙間から、通りの灯りが細い筋になって入っていた。晩飯は、買ったパンの端と、干し肉をひと切れ、葉ごと。
癖で、火口の袋に手が伸びかけて、やめた。火は、使うな。約束だ。
六日のあいだ、夜には必ず火があった。囲む顔があって、順番に薪を足す音があって、僕の椀にも、汁が入った。今夜は、それがない。
通りの灯りが一本ずつ消えて、隙間の筋が減っていくと、納屋の中は、ほんとうに暗くなった。暗いのは、平気だ。……ただ、火の周りの声が、六日で癖になっていたらしい。
屋根と壁のある寝床は、それだけで上等だった。革袋は、腹の下に入れて寝た。
夜のあいだ、何度か、遠くで荷馬車の音がした。こんな時間にも、着く隊があるらしい。音は、壁一枚の向こうを通って、遠ざかっていった。
まだ暗いうちに、目が覚めた。
藁を戻して、隅を来たときの形にする。世話になった場所は、そうして出る。
外へ出ると、空の端が、灰色から色を変えはじめていた。通りには、もう起きている隊がいた。馬に飼い葉をやる音と、荷を締め直す音。町は、朝の前から動いていた。
町はずれで、道が分かれていた。
辻の真ん中に、古い道標が立っている。木の柱に、腕木が何本か。彫った字は浅くなっていて、朝の薄い光では、読むのに少しかかった。一本は、僕の行く先。別の一本には、橋、の字が読めた。
僕は、その下で、一度だけ立ち止まった。
振り返る。
来た道は、家並みの間を抜けて、畑の向こうへ下りていって、そこから先は、もう見えなかった。六日、歩いた道だ。あの端に、ハルヴェンがある。ルタさんの薬屋があって、デュランさんが槍を拭ってた食堂があって、エルマさんの宿の、あの階段がある。
前を向く。
こっちの道は、朝の光の中を、まっすぐ伸びていた。先は見えない。でも、次の街は、この先にある。
――リメンから先は、戻るより、次の街のほうが近い。
メルナさんの言った言葉が、初めて、足の裏の話になった。戻る道は、六日ぶん。行く道は、それより短い。それだけのことだ。それだけのことで、荷紐を握り直した。
荷を背負い直して、僕は歩き出した。
辻を過ぎると、道は、ひとすじになった。




