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僕の世界  作者: 0u0
第一章
23/28

第18話 名前が字になる

 朝飯は、依頼板いらいばんを見てからにする。今日も、人の壁だった。

 肩と肩の隙間から、紙の端だけが見える。採取、荷運び、害獣。いつもの並びだ。列の後ろで、僕は背伸びをして、字の読める一枚を探していた。

「おい、ノア」

 人の壁の向こうから、声が飛んだ。

 振り向くと、受付のメルナさんが帳簿から顔を上げていた。手招きの代わりに、羽ペンの尻で台をこつりとたたく。

 人の間を横に抜けて、台へ行った。

「あんた宛だよ」

 一枚の紙が、指の背で押し出される。

「宛……ですか」

「依頼主が、名前で寄越した。薬屋のルタさんだ」

 紙を受け取る。

 クルサ(止血草)、十束。汁の濃いもの。三日以内。報酬、一万レム。

 依頼主の欄に、たしかに僕の名前が書き添えてあった。字は、細くて古い形をしている。あの老婆が、自分の手で書いたのだろう。

「……いいんですか、僕で」

「あたしが決めたんじゃない。向こうが名指したんだ」

 メルナさんは判を押し、受注証を寄越した。

「一般の枠だよ。急に偉くなったわけじゃない」

「はい」

 紙を畳んで、懐へ入れる。革袋のひもを締め直す指が、いつもより少し早く動いていた。

 板の前を通って出口へ向かうと、やりの穂先が人の頭の上に出ていた。デュランさんだ。古株の槍使いは、紙の並びをにらんだまま、僕の手元の受注証に目だけを寄越した。

「名指しか」

「はい」

 ひげの白いところが、前より増えたように見えた。この街で十年やっている男が、板の紙をもう一度見上げる。

「……十年やってても、来ねえ奴には来ねえ」

 嫌味の声ではなかった。自嘲でもなかった。ただ、そうだと言っただけの声だった。

 何かを返さなければと思って、口を開いて、何も出てこなかった。

 デュランさんは、もう板のほうを見ていた。


 東の門で、衛兵が受注証をのぞき込んだ。

「また草刈りか」

「はい」

 目が、紙の下のほうで止まった。

「……ほう」

 それだけだった。判を確かめて、記録の帳面に何か書きつけて、あごで外を示す。

 門を抜けると、街道が朝陽に光っていた。昨日の雨で地面が湿って、わらと土の匂いが濃い。歩きにくい道だ。

 クルサには、いい。


 川沿いのすそは水を含んでいたから、上へ登った。

 汁の濃いクルサは、日の当たらない、湿った土に出る。木立こだちの陰が一日じゅう落ちているところ。土手の張り出しの下。石の北側。

 ひざをついて、一株目のくきを折った。切り口から、赤いものが盛り上がってくる。指の腹で受けると、重い。

 濃い。

 布袋の口を開けた。

 束にするには、根元をそろえて、同じ向きに寝かせる。ギルドのはかりは束の数しか見ないが、あの老婆の秤は、そうではない。てのひらの上で三呼吸ころがして、傷んだ葉を容赦なくはねる。

 だから、はねられない葉だけを摘む。

 二束、三束。腰を伸ばすたび、川の音が近くなったり遠くなったりした。四束目の途中で、指の背がかゆくなって、水際まで下りて汁を洗った。冷たい。手首まで浸けて、そのまま少し、流れを見ていた。

 水を打つ音が、頭の上でした。

 顔を上げる。

 張り出した枝に、山鳩やまばとが一羽、下りたところだった。首を二度、前へ送っている。こちらを見ていない。

 ――山鳩の羽、いいのが出たら回してくれ。

 火を挟んで、矢の羽を巻き直していた男の手つきが、浮かんだ。

 足元の石を、見ずに拾った。角の丸い、てのひらに収まるやつ。

 息を、合わせる。

 投げた。

 羽音より先に、落ちた。

 拾い上げると、まだ温かい。首の骨に指を当ててから、羽を確かめる。風切羽かざきりばねの軸に、汚れも折れもない。

「……ごめん」

 小さく言って、腰の紐へ提げた。

 一羽ぶんの羽を、掌の上で数えてみる。矢羽になるのは、風切と尾羽おばねの、それも軸の生きたものだけだ。矢は減る。減れば、また要る。

 これでは、足りないだろう。

 河原かわらの石を、二つ拾った。血の匂いを水で流して、しゃがむ場所を川上へ移す。枝の風下だ。

 クルサは、ここからでも摘める。

 待つのは、苦じゃない。

 二羽目は、日が高くなってから来た。三羽目は、その半刻はんときあとだ。

 三羽とも、石ひとつで済んだ。羽は、汚していない。

 クルサは、日が傾く前に十束と、少し余った。


 街へ戻ったのは、門が閉まる少し前だった。

 薬屋の軒先には、いつものように干し草がるされている。奥で、薬研やげんれる音がしていた。

 束を台に並べると、音が止まった。

 ルタさんが出てくる。老いた指が、一束目に伸びた。

 掌の上で、ころがす。三呼吸。次の束。三呼吸。

 全部が終わるまで、老婆は一言もしゃべらなかった。僕も、黙って立っていた。

 はねられた葉は、なかった。

「まあ、こんなもんだろうね」

「あの」

 言ってから、聞くべきかどうか、少し迷った。

「どうして、僕に」

 ルタさんは秤の皿を布できながら、こちらを見もしなかった。

「傷んだ葉を持ってこないからだよ」

 皿を裏返して、もう一度拭く。

「それだけさ。他に、何があるんだい」

 何もなかった。

 秤に小指がかかっていないか、つい見てしまう。今日は、かかっていなかった。

「クルサは、また持っておいで」

 前と同じ台詞せりふを置いて、老婆は奥へ引っ込んだ。薬研の音が、また鳴りはじめる。

 外に出ると、通りのあかりが、もう点いていた。


 ギルドの納品台で、職員は山鳩の胸の張りだけを見て、五百レムを三枚寄越した。羽のことは、何も言われなかった。

 台の隅で、羽を自分で抜いた。風切と、尾羽。軸の根元から、順番に。布に包む。

「弓の人は」

 職員は、顎で通りの向こうを示した。あの隊が使う酒場の方角だった。


 扉の外まで、笑い声が来ていた。

 中には入らずに、戸口の脇で待った。しばらくして、おけを提げた弓の男が出てきた。僕を見て、足が止まる。

「約束の、羽です」

 布を開いて、差し出した。

 男は桶を地面に置いて、束の上から一枚、抜き取った。

 軒の灯りに、かす。

 ――それきり、動かなくなった。

 指が、軸の根元をなぞる。裏返す。もう一枚抜いて、同じことをする。三枚目で、透かすのをやめた。

「どうやって獲った」

「石を、投げました」

「石」

「はい」

 男は、僕の顔を見た。いつもの、何も言わない目ではなかった。

 何か言われるのだろうと思って、待った。

 男は布ごと羽を受け取り、腰の革袋を探って、五百レムを二枚、僕の掌に落とした。

「銭は出すと言った」

「はい。ありがとうございます」

 男は羽を脇にはさみ、桶を持ち上げた。行きかけて、足が止まる。

「オルヴァだ」

 それだけだった。名を置いて、井戸のほうへ歩いていく。

 扉が開いて、店の湯気と声が路地へこぼれた。ムンドさんの盾が、戸口の枠をほとんどふさいでいる。

「ノア」

 名前を、呼ばれた。

「はい」

「荷運びの口がある。ギルドに、紹介の要るやつが」

 決まりごとを読み上げる声だった。

「受けるつもりなら、言え」

「……ありがとうございます」

 ムンドさんはうなずきもせずに、中へ戻った。

 扉が閉まって、また、笑い声だけになった。


 金物屋は、板戸を一枚下ろしたところだった。

 棚は、前と同じ列だ。小鎌の並びの、隣。

 新しい鍋は、二千レム。表の光がならしていて、綺麗きれいだ。

 その隣に、古いのが積んである。千五百レム。

 一枚ずつ、持ち上げた。

 鋳掛いかけの跡があるやつは、置く。底の中央が薄くなっているやつも、置く。三枚目の縁を指ではじくと、音が詰まって短かった。置く。

 四枚目は、澄んだ音がした。

 底の厚みがひとしい。さびは表面だけだ。焦げは深いが、それは前の持ち主が毎日使った跡で、鉄の話ではない。

「それにするのか」

 店主が、板戸を抱えたまま言った。

「はい。これで」

「いちばん見場みばの悪いのを選ぶな」

「……音が、良かったので」

 店主は、僕の手の中の鍋をしばらく見ていた。

「ほう」

 それだけ言って、五百レムを三枚、受け取った。

 鍋を布に包んで、リュックの外へしばりつける。歩くと、腰のあたりで硬い重さが揺れた。今までの荷より、たしかに重い。


 宿の帳場で、エルマさんが顔を上げた。

「遅いよ」

「すみません。納品が長くて」

 女将おかみは帳面に何か書きつけて、それきり顔を上げない。僕がリュックの鍋を下ろした音で、目だけが一度、こちらへ来た。何も言われなかった。


 部屋で、革袋の中身を寝台へあけた。

 一万レムが二枚。千レムが二十三枚。五百レムが一枚と、百レムが三枚。

 数える。もう一度、数える。

 六万には、まだ遠い。宿代にすれば、二つか三つぶんが、まだ足りない。

 今日はよく稼いだ日だ。それでも、足りないぶんのほうが、ずっと大きい。

 硬貨を革袋へ戻して、口の紐を締めた。

 窓の下を、酔った足音が通り過ぎていく。

 誰かが、僕の名前を書いた。誰かが、僕の名前を呼んだ。

 うれしくなかったと言えば、うそになる。腹の底が、まだ少し温かい。街に来てから、こんな日は、なかった。

 窓のさんひじをついて、しばらく、通りの灯りを見ていた。

 ――荷運びの口。

 ギルドの紹介が要る仕事だ。板には出ない。言いに行かなければ、無いのと同じだ。

 行き先は、聞いていない。

 ……明日あした

 部屋の隅で、布に包んだ鍋が、荷の形をして黒く光っていた。

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