第16話 輪の残る結び
東の門は、開いたばかりだった。その前に荷車が一台、口を開けて待っている。
杭の束と、丸めた柵網。縄。油壺。それから、隊の食い物の袋。
脇に、男が三人立っている。
真ん中の大男が僕の受注証を一瞥して、顎を引いた。背中の盾が、体の幅とほとんど変わらない。
「ムンドだ。荷と、設営と、罠。紙のとおりでいい」
「ノアです。よろしくお願いします」
「ヤブの代わりだ」と、槍を担いだ若いのが言った。「荷下ろしで腰をやった。間抜けな話だろ」
弓を負った年かさの男は何も言わずに、荷台の縁を指で二度叩いた。積め、という手つきだった。
依頼の紙は、板の隅で三日、日に焼けていた。討伐隊の補助、一名。荷運びと、野営の設営と、罠掛け。三日で、二万レム。受付でメルナさんは紙と僕の顔を見比べて、向こうは急いでる、今日発てるなら行きな、とだけ言った。宿には、二晩空けると伝えてある。
杭の束を荷台に上げて、いつもの十字で縛ると、槍の男がほどいて掛け直した。
「うちはこう掛ける。輪をこっち側に残すんだ。着いたらすぐ抜ける」
「なるほど」
結び目を指で一度押さえて、形を覚えた。荷車が動き出すと、輪が揺れに合わせて、小さく踊った。
街道を東へ、川に沿って下った。昼を回って、着いた村は静かだった。
水路の土手が、幅ひと抱えぶん、えぐれていた。縁は乾いて、土の中の白い根が、噛み切られたまま覗いている。畑の縁にも、鼻先で掘った溝が幾筋も走って、水はそのぶん畑に回っていなかった。
「ガルトだ」ムンドさんが糞を木片で割って、匂いを確かめた。「二頭。三頭目は、いない」
依頼の紙も、二頭と言っていた。
午後いっぱい、杭を打った。
川と林のあいだ、獣道が畑へ抜ける口を、柵で片側ずつ狭めていく。掛矢を振るたび、掌に土の粒が跳ねた。
終わりに近い一本で、手が勝手に、道の外へ半歩寄った。土の柔いところ。風下側。
「そこじゃない」
ムンドさんの声は、怒ってはいなかった。決まりごとを読み上げる声だった。
「ヤブは道の真ん中へ打ってた。端に散らすな」
「真ん中のほうが、掛かるんですか」
そう聞くと、ムンドさんは少しだけ黙った。
「……ヤブがそうしてた。そういうものだ」
「分かりました」
抜いた穴を埋めて踏み、真ん中に打ち直す。杭の頭を、掌でひとつ叩いた。
くくりの輪も、二つ張り直しになった。弓の男が黙って寄ってきて、僕の輪の高さを拳ひとつぶん下げる。
「低いほうが、いいんですか」
弓の男は答えずに、次の輪へ歩いて行った。
下げられた高さを、指でなぞって覚えた。言われたとおりに掛け終えると、獣道の口に、来た時とは別の顔の道ができていた。
夜、火を挟んで、隊の鍋が湯気を立てた。豆と干し肉の煮込みだ。
「ありがとうございます」
椀を両手で受けると、熱で指の芯がほどけた。
弓の男は食い終わると手元に矢を並べて、羽を巻き直し始めた。指が、迷いなく動く。
「山鳩の羽、いいのが出たら回してくれ」顔も上げずに言う。「銭は出す」
「はい。……汚れていないのが、いいんですよね」
「軸が生きてりゃいい」
それきりだった。火の向こうで槍の男が、ヤブなら初日で当ててる、と誰にともなく言って、消し炭を蹴った。
罠は、朝も空だった。
掘り跡は増えている。なのに、道を通っていない。
ムンドさんは黙って新しい糞を割り、西の縁まで歩いて行って、戻ってきた。
「川寄りへ移す。連中、水際を歩いてる」
持ち場が全部、動いた。杭を抜き、打ち直す。昨日と同じ数の汗で、同じ型の道を、別の場所に作り直した。西の土手が崩れかけているのを見つけて、そこだけ伝えた。見た、とムンドさんは短く返した。
三日目の朝、追い込みになった。
弓の男が風下の柵口に伏せ、ムンドさんと槍が仕留めの口に立つ。僕には、鍋の底と棒が渡された。川側から、音で押す役だ。
「絶対に、口より前へ出るな」
葦を鳴らして進むと、先のほうで土の匂いが動いた。
黒い背中が、二つ。
道が狭まって、前の一頭が口へ吸い込まれた。弦の音。短い悲鳴。槍が地面ごと縫い止める、重い音。一頭目は、型のとおりに終わった。
二頭目が、止まった。
白目まで黒い目が、柵と、人と、音のあいだを順番に見た。
それから、誰も思っていなかった継ぎ目へ、体ごと来た。地面の傾ぎか、跳ねた石か。杭が一本、根から浮いて、黒い体が柵の外へ抜ける。荷車と、火の跡のほうへ。
いちばん近くにいたのは、槍の男だった。
考えるより先に、その腕を引いていた。二人ぶんの重さで杭の内側へ倒れ込む。すぐ横を硬い毛の壁が通り抜けて、荷車の轅に、牙の当たる鈍い音がした。
弦が二度鳴って、二度とも浅い。皮が硬え、と弓の男が舌を打つ。回り込んだムンドさんが盾ごと当たって足を止めさせ、起き上がった槍の男が、横から通した。
終わってみれば、あっけないほど静かだった。
ただ、槍の男の腿から、血が伸びていた。退いたときに、浮いた杭の切り口で裂いたのだ。牙は、届いていない。
弓の男が血止めの布で縛り、上から縄で留めた。僕は水を汲んで、椀を持って、そばに立っているだけだった。
「歩けるか」
「歩けるが……数日は、使いものにならねえ」
誰のせいでもない、とは、誰も言わなかった。言わないまま皮と牙を取る作業が始まって、僕は言われたとおりに、素材袋の口を開けて待った。
作業の終わりに、ムンドさんが先の折れた牙を一本、顎で示した。
「折れてる。査定は落ちるが、銭にはなる。持ってけ」
「ありがとうございます」
布に包んで、リュックの底に入れた。
帰りの荷車には、皮の束と、足を投げ出した槍の男が乗った。
ギルドで、先に納品台へ寄った。折れた牙は、五百レムが四枚になった。
それから、受注証に判が落ちる。一万レム硬貨が二枚。革袋の中で、聞き慣れない重さの音がした。
「ありがとうございます」
メルナさんは判を押した手を止めずに言った。
「向こうさんと、揉めなかったかい」
「はい。結び方を、ひとつ覚えました」
「そうかい」
それ以上は、聞かれなかった。
隊は通りの酒場へ入っていった。ムンドさんが戸口で振り向いて、悪くなかった、とだけ言った。それで終わりだった。扉の向こうで笑い声が上がるのを外から一度だけ聞いて、僕は宿へ歩いた。
夜、部屋で荷ほどきをした。
縄を巻き取ろうとして、手が止まる。荷台で掛け直された、輪の残る結びが、端にまだ生きていた。
毛布の紐で、真似てみる。一度ほどけ、二度目は形が崩れて、三度目に、それらしくなった。
「……できた」
僕のいつもの結びより、少し嵩張る。そのかわり、端を引くだけで、すとんとほどけた。
もう一度、結ぶ。
窓の下の通りを、日暮れよりずっと賑やかな足音が、灯りのある方へ流れていった。




