表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕の世界  作者: 0u0
第一章
17/27

第13話 持ちこたえる

 ギルドの扉を開けると、まだ人はまばらだった。床板ゆかいたが夜のぶんだけ冷えていて、外套がいとうの前は留めたままでいる。奥で、卓を拭く布の音。昨日の泥が乾いて、点々とがれかけていた。


 僕は依頼板いらいばんの前に立って、貼り出された紙を上から順に眺めていく。実入りのいいものは、たいてい、僕より上の冒険者向けだ。小型の魔物討伐、長い護衛、魔物領に寄った調査――どれも、僕みたいな一般の新人には、まだ回ってこない。指でなぞるだけで、そっと通り過ぎていく。


 その中に一枚だけ、僕にも手の届く紙があった。荷馬車一台ぶんの荷を、街道沿いの村まで運ぶ、荷運びの依頼だ。


 紙には、荷積みと荷下ろし、それから道中の荷の見張り、と書いてあった。護衛は別に付くらしい。


「はいはい、荷運びね」


 受付のメルナさんが、帳簿から目も上げずに紙を受け取る。相変わらずの塩対応だ。


「護衛は場数を踏んだ連中だよ。半日で戻ってこられる。あんたは荷と馬のそばを離れず、言われたことだけきっちりやっておいで」

「はい。ありがとうございます」


 依頼受注証(じゅちゅうしょう)を懐にしまって、僕は集合場所へ向かった。報酬は、荷運び一件ぶん。宿代と食い扶持(ぶち)を引けば、今日もほとんど残らない。次の街へ移るための金は、いつまで経っても、目標には遠かった。


 依頼主は、街をまわる行商人だった。三人組の冒険者が、その荷馬車にばしゃの前で、もう出発の支度を終えている。


 上位ってほどじゃない。ただ、身なりや足取りを見た感じ、僕よりはずっと場数を踏んだ連中だろう。剣に、やりに、弓。役割もきちんと分かれている。同じ荷馬車に付いていても、彼らの仕事は護衛で、僕の仕事は荷運び。受けている依頼が、そもそも別口だった。


「坊主、お前は荷と馬から離れるな。あとはこっちでやる」

「はい」


 街道を東へ、荷馬車はゆっくりと進んでいく。僕は御者ぎょしゃの隣に乗って、荷崩れがないか、時々、後ろを振り返った。低い丘と、乾いた草のにおい。穏やかな道行きだった――脇のしげみが、()ぜるように鳴るまでは。


 飛び出してきたのは、一頭のいのししだった。


 僕の腰ほどもある、大きな体。荒い鼻息。牙を低く構えて、茂みから馬の腹へ、一直線に向かってくる。


「魔物か!」


 三人組のひとりが、剣を抜きざま叫んだ。


 けれど、荒く血走ってはいても、その目は、ただの獣の色をしていた。以前に見た、あの白目まで黒く塗りつぶしたような魔物の目とは、まるで違う。腹を空かせて気の立った、手負いの猪だ。


 違います、と言いかけた。僕が言うより早く、剣士のほうが自分で気づいた。


「なんだ、ただの獣か! 手負いだぞ、油断すんな!」


 三人は、荷馬車の前方にいた。回り込むには、遠い。猪にいちばん近いのは、僕だった。


 御者台を滑りりて、馬の鼻先と猪のあいだに立つ。半身はんみに開いて、猪の目と馬のあいだへ、体を半歩ぶんだけ差し込む。


 牙の先が、こちらへ振れた。


 振れた瞬間、路肩側へ退く。牙が外套のすそかすめて、大きな体は、れた線のまま、街道の真ん中へ抜けていった。


 抜けた先には、もう三人が回り込んでいた。剣士が正面から牙を受け流し、槍が脇腹を突く。弓が、反転しようとした一瞬を逃さず射込んだ。


 僕には、そちらを見ている暇がなかった。馬が前脚を跳ね上げていた。目と鼻の先を、あの体が駆け抜けたのだ。無理もない。荷馬車ごと横へ流れて、あと少しで、車輪が路肩の溝に落ちるところだった。


 手綱ごとくつわ(つか)む。暴れる馬の首筋に体を寄せ、声を低くして(なだ)める。


「どう、どう。……大丈夫、大丈夫」


 路肩へ向きかけた頭を、少しずつ、街道の内側へ戻していく。馬の脚が鈍った隙に、荷台へ回った。傾いた荷台では、木箱が縄を押し広げていた。片手で縄を掴み、ひざで荷台を押さえて、崩れかけた箱を、なんとか元の位置へ押し戻す。


 馬が、ようやく脚を止める。


 荷台の縄は、一本も切れていなかった。木箱も、ひとつも落ちていない。荒い息をつく馬の首をでながら、僕は、詰めていた息をゆっくりと吐いた。


 猪は、もう動かなくなっていた。


「おい坊主、死にてえのか! 棒立ちしてんじゃねえ!」


 猪の始末をつけながら、剣士がこちらを振り返りもせずに怒鳴った。


「すみません。馬を押さえようと思って、つい」

「……ったく。よし、荷は無事だな。しっかり見とけよ」

「はい」


 村で荷を下ろし、街道を引き返して、日が傾くころ、ギルドに戻った。


 カウンターの向こうで、三人組が依頼の完了を報告している。査定官が受注証をあらため、道中で手負いの猪を退けたことも、しっかりと書き留められていく。上々の首尾ですね、と受付の声が明るくなる。


 その隣で、僕は、自分の受注証を出して、荷運びの報酬を受け取った。千レムが、六枚。


 革袋に落として、口をしばる。いつもより、少しだけ、固く縛った。


 ……腹が減った。そういえば、昼から何も食べていない。


 その晩、定宿の食堂で煮込にこみを頼むと、隅の卓からデュランさんが手を挙げた。


 古株の一般冒険者だ。四十絡(よんじゅうがら)みの、槍使い。日に焼けた顔に、ひげの白いものが混じっている。色が抜けるほど使い込んだ革の胸当むねあては、けれど留め具だけがどれも新しくて、ぞんざいに生き延びてきた傷み方には見えなかった。ハルヴェンには、もう長いという。


 運ばれてきたわんを持って、僕は向かいに腰を下ろした。


「聞いたぞ。猪が出たんだって」

「はい。このくらいの、大きいやつで」


 両手で、幅を作ってみせる。少し、大きく出たかもしれない。


「護衛の人たちが、あっという間に仕留めてくれました。荷も、無事です」

「で、馬は」

「……暴れました。押さえるのが、大変で」

「だろうな」


 デュランさんは、ああ、と短く笑った。木の椀を傾け、底に残った汁を一口すすった。


「獣でも魔物でも、出た日の運び手は割に合わねえんだ。馬は荒れる、荷は積み直しだ。で、日当は、出なかった日と同じときてる」

「……はい。まさに、それでした」


 思わず本音が出て、少し笑ってしまった。デュランさんも、口の端で笑った。それから、こともなげに続けた。


「俺も十年ここだ。お前だけじゃない」


 十年。


 さじを持ったまま、思わず顔を見た。


「十年……長いですね」

「長えよ」


 それだけだった。


 僕は煮込みに戻った。骨付きの肉を匙で崩すと、湯気ゆげがほどけて、顔に触れた。ひと口すくう。……うまかった。今日のぶんの味が、ちゃんとした。


 縄は切れなかった。箱も落ちなかった。馬も、荷も、僕も、今日をちゃんと持ちこたえた。


 デュランさんは、これを、十年。……気の遠くなる話だ。


 でも、椀の煮込みは、まだ半分残っている。明日(あした)の依頼は、明日の朝に選べばいい。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ