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節二 風を聴く才

雫が六つを迎える頃、その才の兆しは、もはや誰の目にも明らかになり始めていた。

この国では、子どもたちにとって戦棋は身近な遊びであった。盤を持つ家は少ないが、地面に線を引き、小石を拾って遊ぶ。勝敗よりも、「ぱちり」という石音、しぐさを楽しむ素朴な遊戯。それは、風の音や鳥の声と同じく、この土地の子らの日常の一部だった。


その日、村はずれの広場には、子どもたちの笑い声が響いていた。雫もその輪に混じり、指先で小石を並べている。年上の子らに交じっても、彼女の表情はどこか落ち着いていたが、声だけは人一倍よく響いた。

「えいっ、ここ! 見て、風が止まった!」

「おまえ、また変なこと言うな!」

「だってほんとだもん、風が……石のとこで息をしてるの!」

無邪気な笑いに、周りの子らもつられて笑う。だが、その小さな一手は、まるで風の流れそのものを掴んでいるかのようだった。

「よし、次は俺が打つぞ!」

八つになる少年が胸を張り、地面に十九路の線を描く。小石を手に取り、得意げに置いた。雫は楽しそうに頷き、すぐに応じて一手を返す。その一手は、隅への“三々”侵入。迷いのない、まるで呼吸のような動き。

「ここに置くとね、石たちが“息苦しい”って言うの」

不思議そうに笑う雫の声に、少年は言葉を失った。次の数手で、彼の築こうとした地形はあっけなく息を詰まらせる。周りの子どもたちがざわめく。

「なんでそんなとこに置くんだ?」

「塞がれちゃったぞ!」

雫は首を傾げ、ぱっと笑う。

「えへへ……でも、こっちのほうが“広がる”気がしたの」

その無垢な笑顔に、敗れた少年も苦笑するしかなかった。誰も教えぬ理を、まるで呼吸のように感じ取る――それが雫だった。彼女にとっては自然な手。だが、その自然さこそが、他の子らとの境を描いていた。

広場の端で見守る寛蓮の胸に、冷たい波が走る。

(……やはり、この子には才がある。だが、才など持たぬ方がよい。平凡に生きられるなら、それが一番よいのだ)

そう願いながらも、彼の心の奥では知っていた。才は隠しても、いずれ滲み出る。ならば導くしかない。それが“理”の流れであるならば。


その夜、寛蓮は古びた卓を開き、雫を座らせた。そこに置かれたのは、彼がかつて幾多の対局で使ってきた、傷だらけの戦棋盤せんきばんと、黒白の石。

「雫。これが“戦棋”だ」

ぱちり──石を置く音が庵に響く。その響きに、雫の幼い心は震え、瞳は真剣さが帯びた。

「盤は世界を映し、石は理を示す。黒と白が交わり、大地に地を描く。一手は己を護り、時に刃ともなる。国すらもこれで興り滅ぶ。──それが戦棋というものだ。」

雫は石を一つ、そっと手に取り、ためらいなく盤に置く。

ぱちり──

石を置く音が庵に響く。その響きに、雫の心は震え、瞳がまっすぐに輝いた。

「ねえじぃさま、この石……生きてるみたい」

「ふむ。理とは、命と同じく流れるものだからな」

雫はにっこりと笑い、次の一手を置いた。

「じゃあ、わたし、負けないよ。この子たちも、負けたくないって言ってるから!」

幼い指が導いたその一手は、凡手ではなかった。筋を成し、形を崩さぬ手筋。寛蓮の瞳が細められる。数を重ねるごとに、雫の打ちは必然を刻むように進み、ときに寛蓮の読みを凌駕した。

そしてある日のこと。雫が石を打った瞬間、パシンッと乾いた音が庵を震わせ、障子が揺れた。その瞬間、外の枝々が一斉に震え、炉の炎が揺らめいた。

「……!」

寛蓮の背筋が粟立つ。それは、盤上の理(棋力)が“戦気”となり、武力へと転じた証。


武力転換ぶりょくてんかん──

己の身に宿った棋力が、武力へと変わる現象。通常は十七、十八に至り、数多の修練と歳月を経てようやくその門を叩くもの。だが、雫はこの幼き齢にして、すでにその域へ踏み入っていた。

寛蓮は息を詰める。

(だが……この子の転換は異質だ。わしは鍛え抜いた肉体に戦気を流し込み、己を刃と化した。だがこの子は石を打つだけで、風を動かし、木々をざわめかせる)

その才は光であると同時に、制御を誤れば厄災に繋がる。

「今……風が動きました」

雫が不思議そうに呟く。彼の胸には苦い記憶がよみがえる。(盤の勝利は、血の敗北でもある……

寛蓮は己の過去を思い出した。かつて戦場で打ち損じたたった一石が、戦線を崩壊させ、仲間の命を奪った夜。勝敗の一手が、数百の血を流した光景。歓声の裏で、屍だけが積み上がる戦場。寛蓮は拳を握り、深い吐息を洩らす。

(……だが、この子は避けられぬ運命を背負っている。ならば強き者にならねば。 力なき才は、戦場で真っ先に散る。わしに出来るのは、この才を鍛えることだ)

寛蓮は静かに頷いた。

「恐れることはない。おまえの一手が、この庵を揺らしたのだ」

その夜、庵の静寂に石音が続いた。

ぱちり、ぱちり──。

その音は、過去と未来の間を結ぶように、夜の庵に深く響いた。



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