『オシリス/死者の国の神 ➁』
色々と悩み抜いた末、私は手紙を書いてジャッカルを送った。かつて日和さんに「文字は鏡のように自身を映す」なんて言ってしまったことを後悔する内容で。
(本当に情けの無い男だよ、私は……)
日和さんと初めて二人で過ごした時、その涙に心を奪われた。私の目には魂の色そのものに映るから、流された透明さに息を呑んだものだ。
彼女は純粋で、本人が苦しむ程に高潔なのだと……。
だからこそ、日和さんの私に対する態度には焦りを覚えた。自惚れではなく明らかに私に惹かれている。おそらくは憧れが大部分を占めているものの、まったく喜べなかった。
なぜなら人類が私にそうした想いを寄せるのは、この身から発せられる《死の匂い》を感じ取っているから。
彼らは有限の命であるためか、畏れながらも私を意識し、冥界を美しいものだと思い込む。
とりわけ若いとその傾向が強く、加えて幼い頃に辛い経験を重ねると尚のこと──。
彼女が健気に懐いてくれるほど「もっと生に執着してほしい」と悲しい想いをした。だから踏み込み過ぎないよう、細心の注意を払ったつもりだ。
まあ、それでも余りに愛らしくて。日和さんが露骨に「まだ帰りたくない」という雰囲気で立ち尽くしたら、結局長く傍に居てしまったのだけれどね。
「───────────アオォォォ……」
…………ああ、ついに私は道を踏み外したのかもしれない。遠くで聴こえた亡者のようなジャッカルの鳴き声に昏い喜びを感じ、思わず口元が歪んだのに。それを隠して、何食わぬ顔で元の姿に戻って迎えに行く。
「こんばんは。久しぶりだね、日和さん」
「…………はい、本当に。お逢いしたかったです、オシリスさん」
彼女は朝焼け色のワンピースを着て微笑んだ。その姿はかつてよりも可憐で、季節のように移ろう過程を見られなかったことが惜しまれる。
しばらくお互いに言葉も無く見つめ合い、いつか彼女と暮らすために建てた館へと案内した。
出来る限りの心を尽くした住まい。外からは決して見えぬよう調えた庭園には、私自身が生み出した花々や草木を息吹かせた。中央の水盤には青い蓮を幾つも浮かべ、アイビーの巡る柱。最奥のシカモアフィグの木は、来る日の彼女を守るように、より大きく育つだろう。
日和さんはそれらを見ると、愛らしい笑顔を浮かべて無邪気に喜んだ。
「お庭がすごく素敵……! こんなに広々と真ん中にあるなんて贅沢ですね。それに建物も何だか、オシリスさんらしい造りです。無駄がないのに殺風景じゃなくて、品があって」
「……そうかな? 気に入ってくれたなら嬉しいよ、自由に寛いで。ところで今夜は何時まで居られるの? 遅くならない内に送ろうか」
私が常の表情で告げると、並んでカウチに座った彼女は動揺した後、ほんの少し拗ねた顔をする。
「も、もしかして意地悪してます? 日曜日が始まったばかりだって、ご存知ですよね?」
そうだよ? 私は結構やり返す性質だからね。
微笑みながら黙っていると、日和さんは思いがけないことを言い出した。
「私だって寂しかったんですよ、ずっと待ってたんですから……」
「………………え? ……どういう意味?」
──────ええ? ……本当に分からない。
日和さんが「待て」と言ったのでは……?
鮮明な記憶を何度なぞっても聴き間違いとは思えない。まじまじと見つめると彼女は視線を外し、口を尖らせて言う。
「だって、私には『踏み込み過ぎるくらいが丁度良い』ってオシリスさんが言ったんじゃないですか。だから最近は手紙でせっせと、あなたが痺れを切らすように仕向けてたのに」
「っ!? ─────本当に、貴女という人は……!」
眩暈がしたのは何百年ぶりだろうか。腰かけていなければ、よろめいていたかもしれない。
「だから、ようやくこのお手紙を貰って嬉しかったんです」
頬を染めた幸せそうな笑顔で、私の恥ずかしい手紙を取り出して見せつける日和さん。
どうして持ってくるのかな……。
書いたのは、たったこれだけだった。
【寂しくて限界なんだ。早く逢いに来て】
今、私はどんなに弱り切った顔をしているのだろう。日和さんはニコニコしていて、可愛さ余って憎さ百倍とはこのことか、と実感する。
「あははっ。待つのは得意って言ってたのに~。私の勝ちですよね! ……って言っても、実はもう私こそ限界でした。負けでもいいから来年はプロポーズしようって思ってたので」
「…………はぁ。日和さんは以前から、なぜか無断で私と勝負を始めるよね」
そう、彼女が「自分はもう変わった」と言っていた時。この張り合う癖が以前と同じままだったから愉快に思っていたけれど。
私は怖い表情にならないよう、可能なだけの笑顔で告げる。
「ああ、食事時でなくて良かった。ここには従者も来ないようにしているから、じっくり貴女を愛せるよ」
「────!? ま、待って下さい。まだプロポーズしてな、」
全部言う前に口を塞いであげた。
最初は軽く、何度も重ねて。徐々に深めると彼女の体が面白いほど震える。……でも、まだ溜飲が下がらない。
愛よりも罰の比重が高い口づけを続けて、そのまま本当に最後まで暴いてしまう。
すると、彼女が流す涙の色は以前と変わっていた。透明なまま七色に輝いて……その初めて目にする美しさをもっと見たいと、少々無体を働いたかもしれない。
日和さんは甘く恍惚とした声で、何度も「ごめんなさい」と謝っていた。
◆◆◆◆
日和さんとかつて離れた三か月の後、再会した時に言われた言葉を思い出す。
「以前の私は、あなたに寂しいと言われたら舞い上がっていたでしょう」
実に淡々と告げられた台詞は、喜ばしい距離の取り方だった。彼女は苦しい想いを必死に乗り越えようとしていて、私の《死の匂い》を遠ざけ、生に執着しようとしたのだから。
なのに私は──頭ではそう理解しても、この心が「もう一度、特別に慕って欲しい」と浅ましくも思った。それまでの余裕は、きっと永く人類から想いを寄せられ胡坐をかいていた結果の……そう。慢心、だった。
以降はひたすら口説いたり、元の大人の姿を見せたり。振り返れば恥ずかしいほど必死だったけれど、今こうして私の傍で眠る日和さんを見れば報われたのだと安心する。
「…………あ……。オシリスさん、すみません。私、寝すぎてましたか?」
「おはよう、まだ眠っていてもいいからね?」
疲れているだろうから気を配ると。彼女は散らかった衣服から指輪を取り出したので、私は言ってしまう。
「日和さん、貴女のすべてを心から愛している。どうか私と結婚してほしい」
「!? あ、ああっ! また嫌がらせですか!? 私がするって……」
「そんな理由でプロポーズなんてしないよ? ふふ、だって踏み込めって言うから」
信じられない、という愕然とした表情の日和さんは本当に面白い。からかうように軽く口づけて囁く。
「思えば私は、貴女に一目惚れだったかもしれない」
「ええ~…? それは嘘っぽい。私より女神様たちの方がずっとお綺麗でしょう?」
すっかり大人の女性になったのに、そっぽを向いてしまう所は子供のようだ。やはり人の生まれついた魂というものは変わらない。
「私は人を見た目では判断しないよ。………ああ、でも日和さんはどうなの? こんなに傷だらけの姿は嫌い?」
何時になっても完全に消えない、私の体中に走る無数の傷跡。彼女は胸元のそれに触れて柔らかな笑顔で言う。
「体も心も。傷がある人の方が魅力的でしょう?」
そうかもしれないねと、私も微笑んで。
もう一度ゆっくりと愛を交わし合う。
(それにしても可哀想な女だ。私を選ばなければ助かったのに)
彼女に伝えていた通り、私たちは死後も一緒にいられる。けれどそれは楽園──良き人として裁かれた者のみが暮らす《アアルの野》で過ごすのではない。
あちらへ行けば大勢の善なる者たちに囲まれ、次第に理想的な性格へと変容し、魂の輪郭が消えてゆく。
それでは駄目だ。
日和さんには嫉妬したり、拗ねたり、意地を張ったりしてほしい。
今のまま心の傷も抱えていてほしい。
だから彼女が生命を終えた時、魂の審判などしない。
私の支配する死の世界では、他の何者にも、どのような風にも触れることのないようにする。
どれだけ美しい涙を流して頼まれても、人の住まないドゥアトに居てもらう。
そう、永遠に私と二人きりで。
二度と孤独の哀しみに曝さないから。
私には人並み以上の独占欲があると伝えただろう?
愛する貴女の一切を、決して誰にも渡さない──。




