『伏羲/文化の神 ①』
我が人類に結婚制度を齎した理由は、偏に秩序の為だった。文化無き闇の時代、彼らは獣の如く命を無為に散らして逝くばかり。神の似姿であるにも関わらず……其れは耐え難い哀しみと理解出来よう?
故に我らは知恵を授けた。まずは火、道具、衣食住、そして婚姻と禁忌──。
すると難局こそ幾度も訪れど人世は愉快な程に発展し、加速度的に歩みを進めた。
我にとって人類は愛しい、愛しい存在だった。
だが子と云う者が、必ずしも親の望む通りに育つとは限らぬ。定められた宿命かの様に、秩序を顧みず破滅の空へと羽搏いて往く。如何程の無辜の者が死に絶えたか。
彼らの神をも超えんとする欲望の背を頼もしいとは思えず、我は見守る事を止めた。
親で在りながら褒められた事ではあるまい。
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「エンキすげー、まだ乗せられんのかよ」
「ロキ、僕を舐めちゃいけないよ? 重心を真ん中に保ちながら、接地面を確保すれば……ほらココ!」
「君たち何をやっているの……? それ、積み木かい?」
「「あ、オシリス。仕事お疲れ~」」
「伏羲が動かないからって、彼の体に乗せて遊んではいけないだろう?」
「エンキがやろうぜって言ったんだからな? 己じゃねーぞ?」
「日和ちゃんに人世で待ってろって言われたからって、こんなトコに居続けるなんてねえ。待つのが得意なオシリスも、さすがに負けるんじゃない?」
「…………これ、待つっていうの? いつも通り思索に耽っているだけで、切ない響きなんて感じられないけれど」
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そう、日和だ。“人類救済計画”へ参加した理由は、只管に償いのみだった。天照に執拗に要請され、崑崙の山を降りて久々に《全神の聖域》を訪れる。
我は人類に関わりたく無いと云ったのだが、「あなたの定めた結婚をてえまにするので拒否権など無い」と筋の通らぬ理論を展開され。
そもそも百年近く人世を眺めて居なかった故、暫く《結婚》の現状を観察する事にした。
──成程、随分と変化を遂げた物だ。
条件より愛を優先する傾向が強まり、離婚も厭わず、加えて男女という性に囚われまいとする流れには中々感心した。
(秩序よりも幸福を求めているのだな。嘗ては個人等まるで意に介さぬ様だったが……)
好ましい、と思った。
此の様な形で我らに背くのは寧ろ歓迎出来る。
但し、此の儘では婚姻制度に更なる綻びが出よう。既に国によっては出生率にも偏りが生まれ、殊に自由に見える筈の女が新たな苦しみに塗れている。
ふむ……。夫婦単位ではなく共同体で子を育てる、古代の仕組みを取り入れた方が良いのではあるまいか。より最新の情報を仕入れる為にも、我自身が人類の娘と交流した方が良い考えが浮かぶかも知れぬ。
(今迄逃げてしまったのだ。埋め合わせをすべきであろう)
そうして天照へ参加の意思を告げれば、大層喜ばれた物だ。
「お堅そうな枠が欲しかった」と云われたのは、褒められた様には思えぬが。
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「ど、どうしたアポロン。伏羲の体をまさぐるなんて、ヒヨに逢えない寂しさのあまり頭イカれたのか……?」
「んなワケないでしょ、シヴァ。ヒヨリから聞かれたの。『子供が自由研究として人肌でニワトリの卵を孵化できないか試したがってるんだけど、実際できるのかな?』って」
「あー、それで伏羲で実践してんのか。動かないもんな」
「うん、彼なら体温と湿度も一定だし調節しやすい。でも動かなさすぎるのもダメなんだよなー、胚が殻の内膜に貼り付いちゃうからさ」
「つーか、それで成功しても人類の人肌じゃ難しいってコトじゃねーの?」
「──…あっ!!! 孵化した! ……やった、ヒヨリにメッセージする口実できた!」
「オイ! 殻、片付けてから還れよ!」
◆◆◆◆
我は日和と出逢った際、何と頼り無げで儚い風情の娘かと憐れんだ。集まった神々は何れも穏健な傾向が強い者ばかりではあったが、所詮は神。己を至高と捉える不滅の存在に、振り回されるに違いない。
我が守って傍に居てやらなければと心中で誓ったのは──至極当然と云えよう。
だが実際は違った。日和は、
「逃げずに自分の気持ちと人生を見つめ直す」
と我の目を見て告げたのだ。
強い娘ではないかと驚き……。
ふと、自らに恥じ入った。人類を我が子として愛したにも関わらず、途中で逃げてしまった身を。
ああ、此の娘を倖せにして、今度こそ彼らに寄り添いたい……。そう願ったと云うのに。
愚かにも日和の傷に気付いて遣れなかった。
贈った空間の中で問いかけた台詞、
「行きたい処、為したい事、望む物」。
あの時に得られた反応が、恐らくは唯一の明確な兆候。
日和は其れらしき弁明をしていたが、無論微かな違和感を覚えていた。此れは何か有ると、秘密めいた物を……。
では何故立ち入らなかったのだと訊かれたら、実に情けない解しか持ち合わせて居ない。
嫌われたく無かったのだ、と──。
漸く得られた、我と人類への架け橋となる日和。愛しいと想い始めた存在。
其の瞳に嫌悪や侮蔑が宿れば、我は又、我が子達と距離を取って仕舞うのでは無いかと恐れた。余りにも身勝手な理由で、浮かんだ謎を遠くへ置いた。
あの日、我の設えた空間で手紙を見つけた際。
開く前に呑気にも、机上の花を取り換えていた。
次に日和が訪れる時は香るよう、牡丹ではなく「誠実」を意味する赤い芍薬を携えて。
手紙を開いた後、気力を絞り出してオシリスを呼び、其の後は一歩も動けなくなったのだ。
己への罰だと直感した為に。




