第87話『プラチナ』
冬。私は母の四十才の誕生日を祝うべくケーキを焼いた。
初めて作るのにさすが優秀なだけあって、デコレーションも含めて中々の出来栄え。
そうしていると「ただいま日和」と小さく優しい声がかかった。
「お母さんお帰り。打ち合わせはどうだった?」
「とってもすてきな女性の担当さんだったわ。新しい企画をとおすの、がんばってくれるって」
あれから出版社の男には私がクレームをつけ、担当を変えてもらった。
幸い母の過ぎた美しさが説得力となったらしく、まったく使い勝手が尖った容姿だと呆れてしまう。
弁護士は理屈っぽい女が嫌いなようで、番犬のように同居し始めた私の存在によって次第に訪れなくなった。
──そう、私は一人暮らしを止めたのだ。
「日和、この間の工務店の人が、食事にしつこく誘ってきたの」
「また!? もー、なんで相変わらず私よりモテるの!?」
誘蛾灯のように虫を引き寄せる母は今も変わらず。
もはやそれを個性と受け止め、一つ一つトラブルに発展しないよう、丁寧に私が潰している。たぶんこれが私……娘の役割なのだろうと引き受けた格好だ。
けれど彼女は変化していない訳でもない。
「ふふ、でもね。わたしは危ない人の女ですよ、って言ったら引いてくれたよ」
「! お、おお~…。結構いいトークかもしれないね……」
どうやら娘の影響を受けたらしく、狡い所を真似してきている。
ほんの少しだけ老けて愛らしさは益々増した。
かつて父だった男は、離婚時の捨て台詞通り「どこまでも追い詰めてやる」と一度現れたけれど。
怯える母を部屋に押し込め、私は玄関の外で微笑みながらこう伝えた。
「あなたは実父の手紙に書かれた通りの人生となりそうですね、ご愁傷様」と。
もちろん適当な発言なのに効果は抜群だった。
懐かしい響きだったのだろう、男は「どういう意味だ」と執拗に尋ねて来て、
私は更に「歓びを込めてとありました」と付け加える。
あの手紙で妙に私に刺さった箇所だったから、嵯峨明彦の特有の言い回しじゃないかと推理したのだけれど、大正解だったらしい。
敬愛する弟の手紙は、
「礼を失する事は出来ない」と意地を張って読まなかっただけで、
「やはりどうしても知りたい」と驚く程に食い下がって来たから、
「聞きたいなら、二度と母と私に自分から接触するな」と申し付けた。
以来、私は男へ数か月に一度、日常の手紙を送っている。いつか明彦のそれを読ませてあげるから受け取れ、と書き添えて。
オシリスさんの言っていた通り──。文字にするというのは不思議なもので、自分を鏡のように映した。私の言葉から滲む明彦の面影に男は癒されているのか、苦しんでいるのか。
一度も返信を寄越さないため、伺い知る事は出来ない。
ただ、一冊だけ男から本が送られて来た。
著者名は嵯峨明彦ではないものの、中身を見れば彼だと分かる。
それは異界の者に連れ去られ、現実と空想を行き来する壊れた少女の話だった。
美しい、物語だった。
◆◆◆◆
あの夏の終わり、秋の訪れがまだ遠い日。神々の前で私は宣言した。
「しばらく結婚は出来ない。まずは自立して母を守りたい」と。
すると鈴の音と共に、天照様の凛とした声が響いた。
「世界が滅亡しても良いのか? あるいはその寸前まで粘るつもりか?」
私はおかしくなって笑う。
「あなたはお人が悪い。私以外にも試練を受けているのでしょう? 何人か既に成婚しているのでは?」
途端、神々が一斉に私を「えっ!?」という顔で見た。……ロキ以外。
私は眉間に皺を寄せながら文句を言う。
「やっぱりロキは知ってたんだ! 一人で背負いこむなとか、嫌ならやめろとか、最初から言ってたもんね?」
「いや、知ってはいねーよ? ただ普通に考えて、なんで一人に一極集中なんだよって疑うだろ。馬鹿でなけりゃだけど」
今度は六人が一斉にロキを睨む。
なのに彼は気にする素振りも無く、ニヤニヤと続ける。
「これだから役割がある《神》ってヤツらはな~。自分たちは特別だって意識がつえーから、唯一の計画に選ばれたのも当然って思うんだよなあ。……クク、恥ずかしーなあ?」
すると月読が綺麗な笑顔で言う。
「出来損ないに言われたくないんだけど」
エンキさんが慌てて止めに入る。
「もー、そういうことは言わないの!」
伏羲さんは妙に満足そうだ。
「確かに其れはそうかもしれぬな、慢心だった」
またしてもシャン、と鈴の音が鳴った。
天照様は随分とご機嫌そうな声だ。
「日和よ、いつから気付いておった?」
私は怒る権利があるとは思うけれど、あんまりそういう気分になれなくて。
抗議の演技として、ちょっとだけ口を尖らせて言う。
「だって初めてお話した時『いずれとも結ばれぬなら、人の子は滅びるやもしれぬ』って、曖昧な言い方をされてましたもん。鏡を見てもあんまり亀裂の具合は変わってなかったし、もしかしたらってね」
「……ほほほ! それは私の失言だな!」
「あとは『主神の一柱』っていうのも気になりました。日本以外でもやってそうだなあってね」
「ふ、ふふ。愉快、愉快。……そなたは試練たる《結婚》をどう捉えた?」
私は深呼吸して自信ありげに言う。
実父譲りの頭脳と母譲りの素直さで出した結論。
「《結婚》なんて、ただの契約です。結べば安心して次の階段を登れるし、破れば梯子を外される。する、しないに優劣なんて無い」
天照様は「ではなぜ我らが、それを課したと思う?」と重ねて問う。
(やっぱり。予想はしてたけど質疑応答なんですね。……望む所です)
私は考え抜いた事を告げる。
「《結婚》は他者を愛し、共に生きようとする約束だから。憎み合い、競い合う人類だからこそ、軽んじてはいけない祈りでしょう? だから真摯な決心をしないまま選べば、鏡が割れる速度が上がると思いました」
天照様が「ほう」と感心したような声を上げるので、私は得意になって続ける。
「皆さんに出逢わなければ、私も実父のように行き過ぎた理想を自分と他者に追い求め、破滅していた事でしょう。神々の完全な愛は、無限の命だからこそ磨かれたもの。人類には早々辿り着けようはずも無いです」
ボソッと月読の声で、
「ロキは違うと思うけど」と聴こえたけれどスルーする。
「そんな偉大な愛を受け取って、私だけ幸せになれません。母だけじゃない、私と同じく家庭の孤独に悩む子供達に、神々から受けた優しさを注ぎたい。そういう仕事に就きたいんです」
シヴァさんが、
「別に結婚してからでもいいんじゃ……」
と小さく抗議したので、それには応える。
「もう。あなたが言ったんじゃないですか、夫婦円満の秘訣は対等だって。……だから、皆さんに並んでも私自身が恥ずかしくないと思える存在を目指すんです」
アポロンさんは呆気にとられながら、
「ヒヨリは俺にとって、もう立派に女神なんだけど……」と呟いた。
伏羲さんが嬉しそうに笑って言う。
「其方は本当に一筋縄で行かぬな」
私はふふん、と鼻息荒くまだ続ける。
「仕事に熱中して、未婚のまま幸せでいるかもしれませんけどね!」
エンキさんは不安そうに嘆いた。
「やり甲斐ある仕事はホントに時間が吹っ飛ぶから……程々にしてほしいんだけど~…」
私は「へー? あなただけは言えないんじゃないです?」とイジってしまった。
そして天照様にニコニコして言う。
「結婚しなくても、天照様がずっと私の傍に居て下さるんですよね~?」
天照様は「さよう」と嬉しそうに応え、語ってくれた。
「賢く愛しいわが娘、日和よ。……そなたの哀しき罪は赦された。更には七神分の競う心がそなたを愛する心へ昇華され、人類の破滅はその分だけ遠のくだろう。ここまで叶えた娘はおるまい。後はいずれかの神と契るもよし、袖にするもよし。存分に生を謳歌するがいい」
ああ、ようやく。ようやく……!
私は自信を持って生きていける──!
涙をこらえて、七人へ頭を下げた。
「皆さん、本当にありがとうございました。どうかもう自由になって下さい。……でも、こんな私で良かったら。どうか人世で待っていて?」
するとロキがニヤニヤしながら嗤って言う。
「別に待たねーよ、他に女作るヤツ出てくるぜ? あるいは、お前に興味失くすとか」
まったく本当に素直じゃない。
このピアスの事、聞いたんだからね?
オシリスさんは優雅に髪を耳に掛けて微笑む。
「私は待つのは得意だから構わないよ? 貴女の死後もドゥアトで一緒に居られるし」
すると六人全員から「それは反則だろ!?」と文句の嵐が吹き荒れて。
オシリスさんは涼しい顔で、
「特権のような切り札を早々に使う方が悪いのでは? ……ねえ天照、取り立てて過ぎた願いではないだろう?」と。
天照様は仕方ないなという風に、
「日和に選ばれた時のみという条件付ゆえ、他の者の要求と釣り合いは取れていよう」と認めてしまう。
月読は「おれのお陰でみんな日和に出逢えたんだから、特権もう一つちょうだい」なんてブツブツ言っている。
そして私は高らかに宣言した。
「結婚したい時は、私がその人を迎えに行く。他の女性がいるなら仕方ないけど、そうじゃないなら……今度は追いかけて口説いて、求婚しちゃいますから」
「「「!?」」」
七人全員が目を丸くしていておかしい。
女がプロポーズしちゃいけないなんて誰が決めたのよ?
ふふん、と鼻で笑って私は指を立てた。
「……愛する私が心から望んで結婚する方が、皆さん嬉しいでしょう?『相手の望む事をして、望まない事をしない』──私はこれから、そうして生きていく」
この倫理、道徳観は《白金律》というらしい。
不肖・蒼野日和は《黄金律》と《白銀律》には失敗したけれど、上位互換をやれるならまあイイんじゃない?
そして全員が同じような事を尋ねた。
「ところで今の時点で誰が一番好みなの!?」
いやいや、それは言えないよ。本当に自由に過ごして欲しいから。
(私が生まれた理由はきっと──)
あなたに愛を囁くため。
あなたと一緒に生きるため。
あなたが神で在る限り、きっと世界は美しい。
いつか白金……プラチナの指輪を持って迎えに行くから。
どうかそれまでせいぜい元気で、待っていて。
私の人生、一年目。
愛を知らず、生に悩み、一度は自分を見失ったけれど。これでようやく。
私自身を取り戻したでしょう……!?
※読んで下さって本当にありがとうございました!
終章は七人それぞれのマルチエンド、神々の視点で語られる各2話です
(0:10&0:20/19:10&19:20に投稿)
※読む順番は誰からでも大丈夫ですが、投稿順の方が分かりやすいかもしれません。
※R-15表現がほんの少しだけ濃いのでご留意ください
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