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第85話『父 ➁』

日和(ひより)


成人した君に宛てるというのは中々愉快なものだね。

初めましてではないけれど、僕は嵯峨(さが)明彦(あきひこ)。君の父親だ。

とはいえ育てていないから名前で呼んでくれて構わないよ。


この手紙は娘への精一杯の贈り物だ。

君は気に入らないかもしれない。

それでも祝いの品とは、()てしてそういう物だろう?


さて、君が僕の事を知るには、僕が語るのが一番だ。兄は美化し過ぎるし、小春さんは……まあ、言わなくてもいいよね。


僕は褒められる事に飽きるほど、生まれながらに極めて優秀だった。

裕福な家庭に育ち、頭脳や弁舌(べんぜつ)、筆力にも優れ、容姿も悪くない。

常に周囲の羨望(せんぼう)を浴びる日々だったから、全くもって詰まらなくて。


この外見や能力、肩書などではなく、中身だけを丸ごと愛して欲しいと何時(いつ)しか熱望していた。

そう、他者の痛みに無関心で高慢なこの性格を……だよ。


二十代の半ば、僕は純文学の作家となる。

実家がああだから大して売れずとも構わない、何とも気楽な毎日。

そんな時、十七だった小春さんと出逢った。

まだ寒い春の初めに季節外れの雪が降っていた。

白い中に(たたず)む彼女の清らか過ぎる瞳に、失礼ながら頭脳の心配をした程だ。


気弱そうな風情(ふぜい)なのに見知らぬ男である僕が話しかけても、一切動じなくてね。

女性は(みな)、頬を染めたものだから、そうした所が気に入った。


「純文学とはなんですか?」

「ではあなたは先生なのですね?」

「先生はニガテだわ、わたしは勉強ができないから」


小説家という肩書が、彼女には全く興味の対象外らしい。

普通は「知的で面倒で魅力的」という情報を受け取るのに。本当に無垢(むく)な女性だと、強く興味を惹かれた。


しかも彼女には妙に小気味(こきみ)よい所があって、

「あなたが望むものを、わたしはもっていませんよ」

「見た目ほどには心が美しくありません」と言う。


もう分かるだろう? 僕は小春さんに夢中になった。

これだけの美貌に恵まれた彼女なら、中身に触れられない焦燥(しょうそう)を抱えているはずだ。

きっと同じく(ゆが)んでいると。同じものを求めていると。


嘘の無い彼女の性格は、欺瞞(ぎまん)や虚飾に満ちた僕とは正反対。

僕も彼女に無い才覚を持っているし、最適な伴侶(はんりょ)だと思ったものさ。


なのにね、小春さんときたら──。

技巧の限り口説いても、どうにも生返事。

(しび)れを切らして本気である事を示すべく、実家へ連れて行った際……どういう訳か兄と仲良くなって。すぐに婚約までしてしまうのだから、もう本当に驚いた。


()()()()()()()()()()」とね!


なにせ兄は全てにおいて僕より劣っていたから。そんな彼を選ぶんだよ?

ああ、やはり中身で判断する女性なんだ、女神じゃないかと嬉しくなって。


一抹(いちまつ)の喪失感はあったけれど、仲(むつ)まじい二人を心から祝福して。

結婚後、泉のように湧いた創作欲を紙にぶつけたのが、今にして思えば最も充足した時だった。


ある日、二人の新居を初めて訪ねる。

電話をしたけれど出なかったので、まあいいかと思ってそのまま向かえば、泣き()らした目の小春さんが迎えてくれた。


訊けば結婚後の兄はみるみる変貌し、目に見えない暴力の限りを尽くすのだと。

()()を見誤ったと嘆く彼女に悲哀(ひあい)を感じ、僕は当然慰める。

そして日和、君が生まれる。


「どちらの娘か分からない」と(おび)える彼女に僕は言った。

「鑑定に出すから待っていて」と。

勿論、僕らは兄弟だからそれぞれの検体を提出した。この時はまだ、彼には内緒でね?

結果は僕が父。彼女を奪える未来が見えてくる。


──けれど賢い僕は、愚かにも気付いた。

それでは意味が無いだろう、肩書で愛されても駄目じゃないかと。

彼女の僕への想い、兄への愛を試したくなってしまってね。


まったく良くない習性だ。

僕は兄の検体だけで、もう一度検査を依頼したんだ。

大して期待していた訳ではないんだよ?

こうも都合よく曖昧な結果が表示されるとは思わなくてね。


君は見ただろうか? 兄が実父のように見える用紙を。

見ていないなら面白いから読むといい。きっと取ってある。

小春さんは飛び上がらんばかりに結果を喜んだ。


そうした彼女に僕は尋ねた。やはり兄を愛しているんだねと。

彼女は言った。一言一句(たが)わず覚えている。


「だって()だもの、日和の()だもの。()にお金のないくらしをさせたくない」


そう、中身を見誤っていたのは僕も同じだった。小春さんも他の女性と変わらず、表面や肩書にしか興味の無い人だったんだ。


常に男性に言い寄られる彼女は、生存戦略として(したた)かに最良の夫を探していた。

いかに実家が裕福であろうと、僕のように売れない作家など不安だったのだろう。

兄は実業家として花開こうとしていたし、僕に及ばないというだけで世間一般では十分な男だ。

ただ、それだけの差だった。


さあ日和。

君は「愛」とは何だと思う?

君は「生」とは何だと感じる?

──そんなのは人それぞれだって?

ふふ、一般論に逃げられる人間じゃないはずだ。


幼い君から垣間(かいま)見えた知性の光。きっと僕に似ているだろう?

見出した()()()()()()()性分をしているのじゃないかな?

それは悪癖(あくへき)だよ、改めた方がいいけれど……まあ無理か! ご愁傷様。


先ほどの問い、僕は僕なりに結論付けた。

「愛」とは手離すこと。

「生」とは手離されること。

だからこの世から去ろうと思う。もう十分に楽しんだ。

哀しい訳では無いんだよ? むしろ清々しい気分なんだ。


君も有限の命を精一杯に生き、愛し、死ぬといい。

君なりの答えを求め、せいぜい足掻(あが)き続けるといい。


(よろこ)びを込めて。          

                

                嵯峨明彦

※次回は同日2/23(月)19時10分に投稿します。

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