第84話『父 ①』
時刻は月曜日の深夜二時。
幸い近隣から騒音の苦情は届かず、二人でソファに座っている。
母の家であったことを話せば、月読は悲しそうな顔で「一緒にいたかった」と言う。
その一言だけで十分嬉しくて、思い出した事を告げる。
「そういえば膝枕してもらいたいんだっけ? いいよ、はい」
「…………おれ、ご褒美もらえること、してないよ」
「私も悪かった訳だしもういいじゃん。人の愛し方っていうやつをね、最近ようやく覚えたみたいで」
自分で言いながら、恋をすっ飛ばして愛にしてるなと笑ってしまう。それも人類愛的なやつ。あ、この人達は神様だったか……。
月読はどうするべきか悩んでいたけれど──こてんと私の膝に頭を乗せて来た。
ちょっと遠慮気味なのだろう、頭の重さに配慮して首に力が入っているのが、なんとも愛おしくて。綺麗な黒髪をわしゃわしゃと撫でてしまう。
「おーよしよし。愛いやつめ~。ここがいいのか~」
「…………な、なんか思ってたのと違う。もっとこう……まあ、いっか」
苦笑いしながら頭をしっかり乗せた彼に満足して、私は言う。
「明日の夕方、父とどんな話になるのかは分からないけど……。いずれにしても、両親の事で一区切りしたら決めるから。もしかしたら今週は皆さんに会えないかもって、言付かってくれない?」
「…………うん、わかった」
「七人が揃った場で言う方がいいよね? どうすればいいのかな」
なんか結果発表って感じで、何様なの?って気もするけれど。
でも個別に言うのもちょっと。うーん。私の悩む顔を見上げた月読が「エンキタクシーでいいよ」と微笑んだ。あんまりな言い草なのに、私もちょっと笑ってしまう。
すると月読がチラチラ私を見ながら尋ねた。
「……呼べば場を整えると思うからさ。……ねえ、さっきのこと、蒸し返してもいい?」
「ん~?」
「く、首筋撫でるのはだめだよ。ええとね、『恋した事なかったけど、今ならもう分かる』って言ってたでしょ? それ、相手は誰なの? おれじゃないよね……?」
何か聞き覚えのある拗ね方をされた。
怒ると面倒というのは伊達じゃないねと思いながら、正直に答える。
「母」
「…………? えっ? お母さん?」
「母が男と付き合うために、私に一人暮らしをさせたんだって思った時。不覚にも相手に焼きもち妬いちゃって。子供かっていうね」
いやお恥ずかしいって感じで照れてしまう私。
それを見た月読は苦い顔をしていた。
「本当に分かってるのか、心配になってきた」
分かってるよ、失礼な。
誰だって大切な人の一番になりたいって話じゃないの?
……え? 違うの? 合ってるでしょう?
◆◆◆◆
何だか締まらない感じの解散だったけれど、窓から月読を見送り明日に備えて眠る。大学ではマリと雑談をして元気をもらった。
「ひより、何だか今日は一段と凛々しいね。惚れちゃいそう!」なんて言われながら。
講義が終わり次第、早々に帰宅して父に備える。外で会う流れならそれで良い、ただ結構な言い合いになるだろうから部屋の中でも良いかもしれない。
何が起きるか分からないため、あらかじめ購入しておいたボイスレコーダーやスマホの録音アプリを起動しておく。
予定の夕方五時より三十分遅れてインターフォンが鳴る。私が無言でチェーンとロックを開ければ、図々しくも挨拶する前から入って来た。
ソファに座る父を、私は壁際に立ったまま黙って見下ろしている。
「茶くらい出せ」
「招いてはいないので」
「……日和、離婚する前はもっと素直だったろう。一体どうしてそこまで生意気になった」
ああ、そういえばその頃は随分と母に寄せていた時期だった。何だかおかしくて小さく笑えば
「無暗に笑うのは品の悪い女だけだ」と一回目の暴言を吐かれる。
「用件を言って下さいよ。私はもうあなたの籍から抜けている。加えて成人ですから、強制される謂れは何も無い」
腕を組みながら、自然と皮肉めいた微笑みを浮かべて言う。以前はこんな態度を取れなかったのに、私も中々成長したものだ。
すると父がまるで亡霊を見るような瞳でボソリと言った。
「──────明彦」
「………………え?」
互いに呆然とした顔で見合う。数十秒は経ったであろう頃、私の方が動揺していたのか、向こうが一呼吸早くしゃべった。
「その反応。そうか、小春から聞いたか」
「……まあね。あまり名の知られていない作家だったと聞いただけですけど」
途端、父の表情があからさまな侮蔑に変わり、低い声で言われる。
「売れ行きのみで語るとは度し難い。純文学という分野の需要が少ないだけで、弟の作品は素晴らしかった」
「はぁ。あなたと文芸の議論をする気は無い。何度も言わせないで、用件は何? 親子鑑定をしたいのなら、条件次第で協力してもいいですよ」
「? そんな必要は無い、お前の実父は明彦だ」
事も無げに言われた、心底どうでも良いという風に。
…………え? 何を言ってるんだ?
────今、何を言ったんだ? この男は。
いつでも理解できない、心を通わせられる気がしない。
私が絶句しているのにも構わず、男は言う。
「明彦が私達二人の検体を提出し、99%という結果が既に出ている。間違い無い」
嘘を吐いている風でも無い。
得意げにもなっていないし、責める表情でもない。
どこか懐かしそうに滔々と語る男を、私は見つめる事しか出来ない。
「私の敬愛する弟の血を継いだ娘。育つに連れ、不出来に気付いて興味を失くしていたが……そのまま似るなら良しとしよう」
「………………………」
「まあ、お前の事はどうでもいいな。知っているなら話が早い、渡す物があるから来た」
震えそうになる体を押さえるので私は必死だった。
子供の頃に可愛がっていたのがどちらかなど、確かに最早どうでも良かった。
まだ日が沈まず明るい部屋の中。
西陽が私の肩を焦がすのに、凍えそうに寒いと思った。
男は私を見ながら話すけれど、その瞳にこの姿を映しているようには感じない。
「お前が二十歳になった時に渡せと、明彦から手紙を預かっている」
差し出されたのは淡い藤色の封筒だった。
手を伸ばす気になれず腕を組んだままでいると、男は溜息をついてテーブルに置く。
「小春に伝えておけ。明彦を死なせたお前が幸せになる権利など無いと。弟の爪先ほどにも価値が無い癖に」
「………………………」
「何が『あなたにも責任がある』だ。何度考え直してもやはり許せん……。どうせ今も男を利用しているんだろう。相変わらず明彦に悪いとも思わんのか」
(この男、嫉妬で母を束縛していた訳では無いの……? 一体何……? 弟のことがあるにしても、浮気されたのはあなたでしょう?)
「ああ、日和。ボイスレコーダーに引っ掛かるのは小者だけだ。覚えておきなさい」
席を立った男の背中に、私は極力声を震わさずに尋ねた。
「あなたは──。敬愛するとかいう、弟の手紙を読みたいと思わないの?」
「………明彦への礼を失する事は出来ない」
振り向かずにそれだけ言って、ついに私の家から出て行く。
男が二度とここを訪れないであろう事を、私は理解出来ていた。
それだけは明白だった。
※次回は同日2/23(月)13時10分に投稿します。




