第81話『日曜日/オシリス ⑥-2』
可愛らしいオシリスさんの隣にて。ソファの上で私は正座し、おおよその経緯を説明した。
ロキの悩みを伝える訳にはいかないので、そこは当然省いている。
彼は興味深い様子で聴き入っていた。
珍しく肘掛に肘を乗せた、やや寛いだ姿勢だ。
私が「だから不可抗力なんですよ」という言い訳がましい目でチラッと見れば、呟かれた。
「……自分で推薦したロキに、こうまで腹を立てていては。それこそ私は道化だね」
「そういえば以前おっしゃってましたね」
「──おや? その様子だと、彼の孤独に気が付いたのかな?」
この方は《死者の国》の裁判長というだけあって、本当に鋭い。
かすかな表情の変化だけで一体どこまで読み取られてしまうのか。
私が黙っていると、いつも通りの微笑みを向けてくれた。
「私はね、あの不安定な心を少しでも満たしてあげたかった。年長者というのは、若者にお節介をしたくなる欲求があるから」
「……ロキは人間に興味があるようですしね」
「そうだね、羨ましいようだ。ただ、こうまで執着するとは予想外かな」
そう言ってオシリスさんは、私の耳たぶとピアスを交互に触れる。物凄く擽ったいので止めて欲しいと距離を取った。
そんな様子の何がおかしいのか、くすくすと笑われる。
「あの。執着っていうのは言い過ぎかと。友人の証ですよ、なんせ『ウゼー』とか悪態つかれてばかりですから」
「……貴女は才気煥発なのに。男の心に疎いということを、把握しておいた方がいい」
少し意地の悪い表情で言われて地味に傷つく。
私のいじけた顔を見つめながら、彼は溜息をついて言った。
「そのピアスは、私達六名に対する挑戦状だよ。外してしまえと思ったのに、一体どれだけ魔力を籠めたのか。……おそらく一月以上は誰であっても無理だろう」
「挑戦状? 一体何の、どういう意味で?」
するとオシリスさんの銀色の瞳がいつになく冷え冷えと輝いて、低い声でこう言った。
「『奪えるものなら、やってみろ』」
「えっ…………」
「これを見て苛立たない男は、私も含めていないだろうね」
私は動揺のあまり、喉をごくりと鳴らしてしまう。
(あのロキが? 全然そんな雰囲気なかったよね?)
今までを振り返ってみると──。
やたらと私の髪に触る手や、母に会わせようとする強引さ。
丁寧な傷の手当、カップの破片を片付けたビニール袋。
数えきれない程の棘に隠された、優しい言葉の数々。
極めつけは……魔が差して私が迫った時に、きちんと叱りつけてくれて。
(あれ!? 結構大事にされてるかも!?)
本当に私は鈍感なのかもしれない、ピアスの光る耳が熱くなってくると──。
オシリスさんが私の顎を掴んだ。
指先は優しいけど有無を言わさぬ力。
目を泳がせているであろう私に、彼は言う。
「穴を開ける時、ロキの顔を見た?」
「……いいえ。痛いかもしれないと思ったから、目を瞑ってました」
「それでいい。どのような表情をしていたか、私には分かるから」
一体どういうもの?
なんて尋ねることが許されない、ピリッとした雰囲気に私は固まる。
そんな様子を少し哀れに思ってくれたのか、オシリスさんは、
「酔い覚ましに散歩に行こうか」と言って、大人しく頷く私と転移した。
◆◆◆◆
そこは真っ暗な池に架かった、小さな木の橋だった。
周囲に植えられているのは椰子の木だろうか。
風に揺れる葉はカサカサと乾いた音を立てる。
そこに穴を穿つように、定期的に響くコオロギの鳴き声。
ポチャリと落ちる水滴の湿度が際立っている。
「うーん、エジプトですか? カイロ?」
「……すごい、正解だ。来たことがあるの?」
「当たり!? 適当に言っただけなのに……」
オシリスさんは私の言葉を受けて、実に愉快そうに笑っている。
だって皆さん、ご自分と縁のある所に連れて行きがちだから……。
暗闇に目が慣れて来ると、池一面に葉っぱや蕾が浮いている事だけは分かった。
夜風は確かに酔いを醒ましてくれるようで、私は思い出したように聞いてみる。
「《穢れ無き罪人》ってパワーワードに埋もれて、今の今まで忘れてたんですけど。そういえば《黄金律》って何なんですか? 私が目覚めたとか、天照様がおっしゃってたの」
隣に立つオシリスさんは一瞬考え込んだ後、「ああ」と言いながら答えてくれた。
「様々な宗教や文化で見られる倫理、道徳観だね。『己がして欲しいことを他人にせよ』、そして白銀律が『己がして欲しくないことを他人にするな』」
「……何かそれ、私の場合は死ぬほど痛い言葉に感じます」
子供っぽく、つい口を尖らせてしまった。
我が最高神は私の事を『己の人生をやり直したかったという欲望を認められずに、母に転化した』のだと断罪した。
それを《黄金律》と評するなんて中々皮肉がお上手じゃないですか、と感心してしまう。
不貞腐れた私に、オシリスさんは苦笑いしてフォローする。
「貴女は不器用で優しい。苦しい環境に身を置きながら《黄金律》など出来る者は少ないよ」
「もう、神様たちは私を甘やかしてばかり。駄目人間になってしまいそう」
冗談半分、本気半分で、池の方を見ながら文句を言ってしまう。
オシリスさんは声だけで笑いながら、
「誰彼構わず優しくはしないけれど?」と応えるけれど。
私はつい「本当かなあ。私と違って女性慣れしてますもんね?」と嫌味を言ってしまった。
「……まったく。日和さんは自信家なようでいて自己評価が低い。何度も想いを伝えているというのに、中々素直に受け取ってくれないのだから。私は結構焦っているよ」
「オシリスさんは割と遠回しな気がしますけど……」
ぷいっと顔を背けると、困ったように笑われて。
「そうでもないのに。──貴女には踏み込み過ぎるくらいが、丁度良いのかもしれない」
彼がそう言った途端、不思議なことに目の前の池が輝き出した。
ゆっくりと朝焼けような青が、夜空に構わず広がっていく。
(蕾だったのは蓮の花……? 一斉に開いてる……!)
隣の人に目を向ければ既に可愛らしい少年の姿ではなく、匂うような色気を纏った長身になっていた。
青く照らされる幻想的な光景と相まって、私は言葉を失ってしまう。
すると彼の方から話し出す。
「花火を観た夜。日和さんが生命を終える時は、ドゥアトに連れてゆくと言っただろう?」
「……はい、覚えてます。印象的な神様ジョークだったので」
「冗談では無いのだけれど? 先日、日本の黄泉を治める神と話がついてね」
「へー、そうなんですか。…………んん?」
物凄く間抜けな声と顔をした私を、幸せそうに見つめる彼。
どこまで本当なのかと一瞬訝しんではみたけれど。
先生だけじゃなく、神様たちに嘘を吐かれた事がないので、疑う必要は無かった。
「勿論、私の妻となった時のみという条件はある。あとは六人にも言わないといけないか」
「──それって、もしかして《特権》ってやつですか?」
エンキさんが言っていた。
そういえばオシリスさんだけ、まだどうするのか聞いていないと。
私が目をぱちぱちさせながら問いかけると、彼は少しだけ「知っていたのか」と言う風に意外そうな顔をして。
すぐにいつもの余裕がある微笑みを浮かべた。
「……私はね、切り札は慎重に取っておく性質だから。何が良いかを熟考していたんだ」
風が吹くと彼の綺麗な髪がさらさら靡いた。
光に照らされて、いつもよりも鮮やかに青い。
オシリスさんは囁くように言う。
「このsšn──青い蓮は、夏の夜明けに花開き、陽が落ちる頃には閉じてゆく。再生と不死を象徴し、エジプトでは古代から神聖視されてきた《生命の華》」
「幻想的な美しさです。……あれ? でも今は夜ですよね……?」
「ふふ。私は本来、《植物の神》だったから。これくらいは造作も無い」
次第に香るのは水と光が混ざった透明の甘さ。
蓮が全て開いたらしく、視界が夜明けのように輝く。
オシリスさんとは暗い時間にしか会えなかったから、照らされる彼の姿は初めて見る人のように思えた。
「私は《死者の国》を治める者。愛する貴女の魂は、他の誰にも譲らない」
彼は無骨な手で、優雅に私の耳を触って。
さらに指を這わす先は──私の唇。
──ああ、私にとって彼はもう憧れという遠い人ではない。こんなにも強く、私の心に入り込んでくれたのだから。
なのに、私はちょっと意地悪そうに言う。
「仮に、仮にですよ。あなたと結婚したとして、死後は日本がいいって言ったらどうするんです?」
「………それは別居ということかな? いや、熟年離婚だろうか。寂しすぎるね……」
ちょっと戸惑いながら冗談を言う彼に、私はアハハと声を出して笑ってしまった。
※次回2/23(月)は6話を投稿します。もうすぐ終章です。
※0時10分、0時20分、8時10分、13時10分、19時10分、19時20分です




