第80話『日曜日/オシリス ⑥-1』
「っていう事がありましてえッ!」
私は手にしていた缶チューハイをテーブルに叩きつける。目の前にいるのはオシリスさん。
苦笑いをするべきなのか、窘めるべきなのか、どうやら困っているらしい。
今夜はお願いした通り自宅まで少年の姿で来てくれたので、既にほろ酔いになっていた私は、
「かわいい、かわいいですよ。最高ですよ」
と抱き着いた挙句、頬っぺにキスまでしようとして、出だしからドン引きされていた。
「日和さん、一体何時から飲んでいたの? 慣れていないのだから、その辺りにした方が」
「慣れてないッ!? それ月読にも言われましたけどっ、男慣れしてないのは女子校育ちなんですからあ、ふ、普通でしょ!」
「………………」
自分でも何を言ってるのか、よく分からなくなって来た。
気分が悪くなってきたと正直に言えば「とにかく水を飲もう」と慌ててコップを渡され、言う事を聞く。
「オシリスさんは、ここまでのあらすじで、どう思います……?」
ちょっとテンションが下がってきた私に、彼は美しい顔を傾かせて言う。
「いかに心に決めた事でも、そうスムーズに腹落ちするという事は無いよ。日和さん自身がどうしたいのか分かっていても、割り切れない所があったのだろう?」
「………ん~? ……せいかい、たぶん」
テーブルに突っ伏してしまい、余計に落ち込んでくる。それを振り切るべく、ぶつぶつと捲し立てた。
「だってですよ、ほんの少しだけですけど。あの父の言ってる事に正当性をですね、見出しちゃったんですよ」
「母は放っておくとロクな事しないって言って、監視して。社会に出ても迷惑かけるって言って、束縛して。男に色目ばかり使うって言って、嫉妬して」
「概ね合ってるって、思っちゃったんですよ……ひどい、娘です」
遠くからオシリスさんの声が聴こえる。
気品に溢れる彼にピッタリな、低くて穏やかな響き。
「酷くは無いよ。仮にそう感じたとしても、母君を守ろうとする貴女の想いの方が、ずっと素晴らしくて価値がある」
私は「ありがとうございます~…」とお礼を言い、回らない頭のままポソリと呟く。
「そういえば男の人と暮らすために私を追い出した、っていうのは勘違いでした」
「それは良かった、私も安心したよ」
「……でも、新しい疑いが消えないんです。いつか見た母の日記は《信用ならない語り手》による、歪んだ視点なんじゃないかって」
オシリスさんは唇に手をやって、しばらく考えている。
こんな事訊かれても困りますよね、と話を流そうとするくらいに時間が経った頃。
彼はまるで独り言のように語る。
「──私が手紙を書くのはね。相手のためというよりも、自分のためという意識が強い」
折々にもらった、あの美しい文章が……?
不思議に思って彼を見つめると、少し遠い目をして言われる。
「文字というのは不思議なものだよ。真剣に向き合った時、本音と違うことを書くと……消さずにはいられなくなる」
「…………………」
「そうして何度も書き直した後に残るものは、さながら磨かれた鏡のように自身を映すんだ。それを意識すると、醜い心を極力抱かずに生きていける」
「鏡のように、ですか。オシリスさんの綺麗な銀色の瞳……みたいな」
何か今、恥ずかしい事を言った気がするけれど、酔っ払いの《権能》で気にしない。
彼は少し驚きながら小声で「口説かれたの? 今の……」と微笑んでいる。
「つまり私が言いたいのはね。素直な母君が残したのは、架空の小説ではなく日記なのだろう? 心に病を抱えていない限りは、来る日も来る日も嘘や欺瞞を書き連ねるというのは、中々に難しいと思うんだ」
何だか安心する事を言われた気がするけれど、私は「やったぁ~…」と言った後、既に爆睡していた。
(お母さんの家に、大学の荷物さえ持って行ってたら、一緒にいてあげられたのに)
(明日、父と会ったら……またお母さんの家に行こう……)
◆◆◆◆
……………………………………。
「夢オチであって欲しいッ!」
勢いよく起き上がると、そこは自室のベッド。
恐る恐る周囲を見れば、椅子の上には残念ながら優雅に微笑むオシリスさんがいる。
「おはよう、日和さん。思ったより早く起きてくれたね?」
スマホを見るとまだ日曜日の夜、十時前だったので安心する。
頭が、痛い。トラウマ関連じゃない理由で。
よろめきながら洗面所に向かえば、浮腫みはそこまでじゃないものの、顔色が悪くて不細工すぎる。
よりによってオシリスさんの前で、私はやってしまったのか。
シヴァさん→ロキ→エンキさんの順番でギリギリ許される内容だった。
私はソファに座って、少し目線が上にあるオシリスさんを向いてお詫びする。
「う、うう。大変、みっともない所を……お見せしました」
「貴女は本当に愉快な人だよ。話題が豊富だ」
なぜ嬉しそうなのか。
脚を組みながらニコニコしている。
蔑むような目で見てくれた方が、いっそ楽かもしれないのに。
……いや、やっぱり立ち直れないかも。
オシリスさんは歌うように言う。
「ようやく私の前で崩れた姿を見せてくれたのだと思うとね、想像以上に嬉しくて」
「……私としては最悪です。初めてのお酒の失敗が、あなたの前で」
「初めてなの? ふふ、ではこれで自分の上限を知ったのだから、良いじゃないか」
可愛らしいお顔なのに、本当に指導者然としてるというか。
こちらの方こそ彼の崩れた姿を見てみたい。
私はソファでぶつぶつ呟く。
「エンキさんに注意されてたんですよ、二人で飲むと男女の間違いが起きるって。でもコレ本当です? こんな酔っ払いにときめくとか、あります???」
「お互いに『酔っていたから』という言い訳が使えるからね。都合が良いというのは、あるかもしれない」
なるほど、そういう事か。
目の前の神様が飲んでいなかったのは、そんな言い訳はしないという紳士的な理由という事? さすが過ぎます。
あっ、シヴァさんも同じような事いってたかも。……い、意外すぎます。
それにしても、オシリスさんの青い黒髪を耳にかける仕草は本当に綺麗だなと思い、ハッとする。
「温厚で誠実で独身で女性を守ってくれる、母とお似合いの良い神様、お知り合いにいませんか!?」
「……い、いたとしても。流石に紹介は出来ないかな」
一発で解決しそうだと思ったのに、そう都合良くはいかないらしい。
これからどうやって母を守ろうかと、マトモになった頭で考えていると。
──少しオシリスさんの笑顔の質が変わった気がする。
「日和さん、もう酔ってはいない?」
「? はい、少し頭が痛いですけど、中身はほぼクリアです」
すると彼は、ソファでだらんとしている私の隣に移動してきて、切ったばかりの髪の毛をサラリと撫でた。
「髪型、変えたんだね。以前の上品な様子も素敵だったけれど、こちらの方が貴女のイメージとよく合っている」
「ありがとうございます。私も気に入ってるんです」
憧れの人に褒めてもらえると、照れくさくても嬉しい。ちょっと俯いてしまうほどに。
以前の私のように素直でいられるのは、オシリスさんの前だけかもしれない。
「ピアスもしている。耳が見えるから映えるね」
「そうなんです、だから穴を開けたくなって」
こういう細部にも気付いてくれる所も、本当に素敵だなと思う。
「これ、ロキのでしょう?」
「そうなんです……、あっ」
オシリスさんの方をチラッと見ると、やっぱり笑顔なのに。しかも先週と違って、可愛らしい姿のままなのに。
「日和さんには嫉妬させる才能がある。私の独占欲は人並み以上だと、伝えたはずなのに」
「ご、ごめんなさい……。これも本当に、違う……」
竦みあがって否定をすれば、
「何がどう違うのか、聞かせてくれるの?」と美しい微笑みを向けられて。
もうずっと潰れたままでいれば良かったと、後悔した。




