第75話『土曜日/ロキ ⑥-1』
どうにか泣き止んだ私は、アポロンさんに告げた。
「死ぬまで大切にする。ううん、死んだ後も……ずっと」
「…………それ、言わないでよ。俺たちには多分、一番悲しい言葉だからさ」
彼の瞳がほんの少し潤んだように見える。
そうして「今夜は還るね」と言って、扉の先へ去って行った。
神々というのは、永久に生きるのだろうか。
エンキさんは五千歳以上だと言っていたし、想像がつかない。
私は無敵のように思える彼らに大切にされてばかりで、その心を慰める事が出来ていたのだろうか。
そうでないのなら、これからは私も寄り添わなくては。
これは恋ではなく、愛なのかもしれない。
ようやく私にも、見えてきたのかもしれない。
◆◆◆◆
土曜日、朝の六時。ロキはまだ来ない。
今日はお願いしたい事があるので、憎まれ口は少し控えようと思う。
冷蔵庫を開ければ、昨夜のうちに仕込んでおいたフレンチトーストがよく卵液を吸っていそうで満足。
ふと、スマホで『美しい夕暮れ』の歌詞を調べる。
表示されたのは有限の命に対する切ない想い。
しかし死を恐れる虚無ではなく、
「今この美しい情景を味わえ、幸せであれ」
という密やかな励ましだった。
アポロンさんはこういう想いを抱いてくれていたのか。私がいずれの神を愛したとしても、必ず置き去りにする日が来るから。
そういえばロキも似たような事を言っていた。
彼流の表現だと、
「虫みたいにすぐ死ぬんだから気楽にしろよ」
となるらしい。
不器用な中に優しさを感じて、思わず微笑んでしまったタイミングで──インターフォンが鳴った。
「おっはよ、ロキ!」
「……? 何ニヤニヤしてんだ? 怖っ」
先週の醜態をまるで引きずっていない私が、意外だったのかもしれない。けれど訝しがりならも、なんとなく安心した表情に見えた。
それにしても可愛くないなあ、素直になりなよ、と思いながら中に通してフレンチトーストを焼き始める。
「ねえ、ロキは甘いの好きだっけ?」
砂糖の焦げる匂いを立てておいて断る余地もない上に。彼の味の好みは、今までの食事や買ってきたコンビニ菓子の傾向から把握済み。
「……好き。んで、何してほしいワケ?」
「さすが話が早いね。髪、切ってほしくて。出来れば今日中に」
「却下」
「やっぱ話、早くない。なんであなたはそうアッサリと約束を破るのよ。切ってくれるって言ってたじゃない」
すんなりいくとは思ってなかったものの、ぶつぶつと文句を言いながら皿を並べて、ホイップクリームをかけてあげた。
あとバナナとか冷凍ブルーベリーも添える。
「今日の午後から、母だの父だのに会うから気合いれたいんだってば。ねえ、昔の私とお別れしたいの。断髪式させて」
あからさまに無視されてテレビを点けられる。
でも私はそろそろ分かって来てるので、意地悪く言う。
「嫌ならいい、普通に美容院に行くから」
「……うっぜぇー……。分かったよ、食い終わったらな」
ほらね、やっぱり。
私は行儀悪く食事をしながらスマホをいじってヘアカタログを見た。
するとロキは詰まらなさそうに食べつつ、私に言う。
「どんな風にするかは、己が決めるから。タダなんだからそれくらい譲れよ」
「まあ、凄く器用だから信じてる。おかしな形にしたら許さない」
しまった、鋏を用意するべきか訊くと「持ってる」と言われて、さすがに何故なのかと尋ねた。ロキはテレビに目を向けたまま、独り言のように呟く。
「ヒマな時に気に入った髪があれば、美容師騙って切ってるから」
「……神様ってやっぱり、その辺をフラフラしてるのね」
薄々察していたけれど、彼は髪が好きらしい。
食事を終えると渋々ながら「風呂行くぞ」と言って、場を整えてくれた。
洗わずに乾いたままで良いのかと訊けば問題ないそうで、何の躊躇もなく鋏がシャキシャキと進んでいく。
浴室には鏡が無いので、どうなってるのかこちらは全く分からない。
だけどやたらと不安だと言えば、余計に意地悪をされると理解しているため、我慢の時。
すると大した時間もかかっていない内に「終わり」と言われて驚く。
いそいそと鏡に向かえば、そこにはまるでイメージの変わった私の姿が──!
クールなのに女性らしさも備わってて、我ながら色っぽい。
「すっごくイイ感じ! 気に入った、ありがとう……!」
「……そー」
「それにしても上手すぎない? これ一本で食べていけるよ」
いわゆるクラゲヘアーとウルフヘアーの中間みたいなデザインだった。
横を向けば短い輪郭が浮き、長い毛先はそれを追いかける。…………ん? 長い?
「ねえ、本当に気に入ってはいるんだけど。長めの部分もっと短くていいよ?」
「リテイク料はすげえ高いぞ?」
ニヤリと嗤われて、これは絶対やり直してくれないやつだと理解した。
私にしっかり似合っているから文句を言うのはもう止そう。
それにまだやることがあるので、出来るだけ爽やかな笑顔を意識して言う。
「よし、行くよ」
「おー、行って来い」
またテレビに吸い込まれたロキは、ひらひらと私に手を振る。
「いや、ロキもだよ。折角こんなにオシャレになったんだから、遊びに行こう」
「……この朝早くにか? まさか公園とか言うなよ、ジジイじゃあるまいし」
なんて協調性が無いのか。
でも最近はこういう所もイイかもね、なんて思っているので腕を引っ張ってソファから立たせる。
「土曜は早く開いてるの、いいから行こう。私もやったことないけど」
「だから、どこにだよ」
「バッティングセンター」
私が得意げに言うと、今までで一番鬱陶しそうな顔で言われた。
世界で三番目に興味ない場所だと。




