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第74話『金曜日/アポロン ⑤-2』

 アポロンさんが演奏を終えた後のプログラムも、私の失礼な心配をよそに素晴らしいものだった。

他の人たちは皆、彼という引力に引き寄せられ、()りつかれたかのように演奏したのだろう。一番前にいたからこそ分かった気がする。


終わった後は割れんばかりの拍手が鳴り、口々に「クラシックがこんなに凄いものだなんて知らなかった」と夢見心地の感想を言っていた。


興味深い事に音楽を演奏した時の彼は「カッコイイ」などと、美貌を褒められないらしい。

ひたすらに「近寄り難いくらいだね」と尊敬を集めていた。


しばらくすると私はホールに一人きり。

本当にここにいて大丈夫なのかと少々不安になった頃、現れたのはアポロンさんともう一人。

私を席に案内してくれた男性がステージに戻って来た。


アポロンさんは、

「今から弾くの、俺が作ったやつじゃないからね……?」

と、どこか気まずそうに釘を刺す。


男性はピアノの伴奏をするらしい。

彼らは私に目を向けた後、演奏を始めた。

優しくピアノが鳴れば、ゆるやかにヴァイオリンが歌い出す。


(あっ……。これ………だ───)


私は理解させられた。

アポロンさんが聴かせたかったのは、さっきの完璧な演奏ではなかったのだと。

ともすれば過剰とも言えそうな程、叙情的なこの曲こそ、私に贈っているのだと。


ヴァイオリンを弾く姿というのは、こんなにも官能的だったのかと背筋が震える。

弦を押さえる指は、時にしなやかに、時に激しく。縦横無尽に動かされ。

楽器が(あご)、首、鎖骨という、通常ではそう触れられない箇所に触れるせいなのか──(つや)っぽいと感じた。


(これは何? 感動じゃない、この胸を締め付けるような想いは……)


陶然とする時間は、ごく短いものだった。

私が立ち上がって拍手をしていると、ピアノを弾いていた男性はステージから降りて私に耳打ちをする。


「あなたは幸せ者だね。この曲──『美しい夕暮れ』のために、彼はオケの助っ人を引き受けたんだよ」


「そうなんですか……?」


「私が春に頼み込んでた頃は『俺が入ったらみんなに悪いでしょ』なんて言って、決して首を縦に振ってくれなかったのに。この曲はピアノが無いと間延(まの)びするからね。取引ってやつさ」


そして、その人は後ろ手を振って去った。

アポロンさんもステージを降りて来て、不安そうに言う。


「嘘でしょ。この状況でアイツ、ヒヨリのこと口説いたの……?」


「……見当はずれ過ぎる」


ちょっと呆れた声で否定しておく。

すると彼は私の隣にダラッと座って「あーもう最悪だよ、ホント」と愚痴を(こぼ)した。


「何が? 私、本当に──。なんていうか、本当に」


「それこそ何が!? ……俺が最悪って言ったのはさ、ドビュッシーなんて演奏したことだよ」


「ああ、『月の光』だけ知ってる。なんで? 嫌いなの?」


とりわけ女性に人気のあるクラシックの作曲家だったように思うけれど。

アポロンさんは結んでいた金髪をほどいて、ぐしゃぐしゃと()きながら言った。


「そりゃ素晴らしい作曲家だよ? でも俺の美意識とは合わないの、完璧じゃないっていうか。……だからこそ色気があって、人を惹きつけるんだろうな」


「そうかもしれないね。でも、どうしてこの曲に?『美しい夕暮れ』だっけ、確かにタイトルもアポロンさんとマッチしないかも」


私はまだ続く胸の高鳴りを抑えるべく、

「《太陽の神様》なのに、沈んじゃっていいわけ?」


なんて、あえてからかった。

そうすると彼は、私をジトッと見て言う。


「──たとえ俺が沈んでも。ヒヨリに美しい景色を見せられるなら、それでイイっていう……そういう意味だよ」


「あっ……。そ、そうなんだ」


「あれ、照れた。こういう時だけ、キッチリ可愛い顔見せるんだから。ずるいよね」


彼に恥ずかしそうに微笑まれて、分かってしまった。さっきから感じるこの気持ちは──ときめきだ。

アポロンさんは気さくでイジりやすいから、今の今までそういう瞬間が無かった気がする。


でもそんな事は言えなくて、私はその(みどり)色の瞳にただ魅入られる。

彼も静かに私を見つめて、どれくらい経った頃だろうか。

アポロンさんが()れたような声で言う。


「らしくもない曲を、しかも伴奏つきで演奏して……《芸術の神》なのに、すんごいダサいと思うけど」


「…………………」


「それだけ本気なんだから。俺のこと選んでよ──愛してる」


どうにか言えたのは「返事は待ってて欲しい」という、()えない一言だけ。

私の赤く染まってるのであろう顔を見て、彼も釣られて赤くなってて。


「「顔、真っ赤なんだけど!」」


お互いが指摘し合って爆笑してしまう、なんだかキマらない……私達のいつも通りの夜だった。


◆◆◆◆


 顔の火照(ほて)りがどうにか二人とも(しず)まった頃、アポロンさんは言う。


「この曲はさ、ヴァイオリンのために作られたワケじゃなくて、元々は歌曲なの」


「つまり歌詞があるってこと?」


「うん。正直、それに()かれたっていうのもある。……俺がヒヨリに感じてる想いと、似てる気がして」


彼の表情は切なさの奥に(かげ)りが見えた。

どんな内容なのか教えてよと、無暗に言えそうに無い程に。


ホールを閉めなければならない時間になって、アポロンさんが車で自宅に送ってくれる事になった。


「家にはお邪魔しないよ」と言うから、てっきりエントランス前で降ろしてくれるのかと思っていたら、駐車場に停まる。


彼は「もう一つ贈り物があるから俺が運ぶね」と大きな四角い何かを、車内から取り出した。


「今夜の演奏、本当に嬉しかった。か、感動しちゃって。真っ先にお礼を言えてなくてごめんね。だからこれ以上は、何も貰えないよ」


ときめいてしまった、なんて恥ずかしくて言えなくて。

けれどアポロンさんは自信ありげに、

「これは絶対、ヒヨリは受け取るよ」と答える。


意味が分からないまま一緒に部屋に入ると、玄関口で渡された。

「まあ開けてみて」と言われ包装紙を破く。


そして現れたのは、額縁(がくぶち)()められた絵画。

──それを見て、私は胸が苦しくなった。


「これ……。私達、八人だ」


「我ながら上手く描けたな~って、思うんだ。どう? 要らない?」


ニヤニヤしながら試すような声音の彼は、当然分かってて言っている。

どれだけ私が……。どれだけ……!


横長の油絵に描かれているのは、シヴァさんに絡まれて、ちょっと面倒そうな瞳をした無表情の月読(つくよみ)

エンキさんと楽しそうに肩を組んで大笑いしているアポロンさん。

伏羲(フーシー)さんとオシリスさんは、何かボードゲームに興じていて。

ロキは少し離れた所から、意外と優しい目で……中心に()えられた私を見つめている。


そこにいる私は、(まぎ)れもなく今の私の顔をしていた。ちょっと皮肉っぽい顔つきをした生意気な笑顔。優しさや可愛げなんて欠片(かけら)もない表情。


ぽたぽたと、とめどなく涙が落ちた。

大きなそれを抱きしめながら「ありがとう」としか、やっぱり言えない。


アポロンさんは何時(いつ)まで経っても泣き止まない私を、少し困ったような顔で微笑みながら、

「君は一人じゃないからさ」と言って──。

ずっと見守ってくれていた。

※次回2/21(土)は5話を投稿します

※0時10分、0時20分、8時10分、13時10分、19時10分です

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