第63話『日曜日/オシリス ⑤-1』
目が覚めたら土曜日の十二時は過ぎていて、ロキはいなかった。
彼のTシャツは脱衣所に無造作に脱ぎ捨てられたままなのに、割れたカップの破片は綺麗に集めてビニール袋に入れられている。
手の怪我は出血の割に深くなかったようで、そこまで痛まない。
スマホを見れば母から着信とメッセージが入っていて、気乗りしないまま返信をした。
【お母さんごめん。返事が無いから外出中かと思って、やっぱり行かなかった】
【ううん、わたしこそごめんなさい。次こそ日和の好物つくって待ってるから】
【ありがとう。近いうちに帰るよ】
またいずれ帰る時には、あの男性が誰なのか聞いて祝福しよう。
母は愛されるべき人なのだから。
溜息をつくと、同じタイミングでまたメッセージが入る。
──ああ、マリだ。いつも私を元気づけてくれる存在に、疲れた心が少し弾む。
【ひより、ちょっと時間ない? 一緒に浴衣選んでほしーの】
【夕方からバイトあるけど、四時までなら付き合えるよ】
軽く化粧をして指定された場所に行く。
借りていた部屋着を返せるようになったと伝えたら、
【新しい彼氏できたから、むしろ困るよ!】
と返事があった。
なるほど、それで急遽明日の花火大会のために浴衣を探すのか。
彼女はセンスが良いから私の意見が参考になるとも思えなかったけれど、何を当てても似合うので楽しかった。
するとマリは私の分まで選び始めて……。
「ひよりはコレが似合うんじゃない? 藍染の潔い感じがピッタリ」
「いや……私はいいよ」
「えー、恋人作るんじゃなかったの~? 気になる人くらい、いるんでしょ? 普段と違う恰好でドキッとさせるの大事だよ」
そんな人は特にいないと言いそうになって、さすがにそれは嘘じゃないのか? と思い直す。
まだ恋には至っていないものの、あれだけ華やかな面々に会っているのだし。
値札を見れば、まあ許容範囲か。
巾着や下駄もあまり悩まずに会計をすると、マリは嬉しそうな顔をしていて、私を勇気づけたかったのだと察した。
優しい優しい、大切なマリ。彼女以上の友人なんてきっとこの先、現れない。
絶対に失いたくないと、その笑顔を見て思う。
(花火大会か……。明日はオシリスさん。開始時間がギリギリだけど、誘ってみよう)
◆◆◆◆
日曜日、午後六時過ぎ。
夕食の準備は温めるだけで済む所まで終え、動画を見ながら着付けを学ぶ。
最後に浴衣を着たのは何時だったか。
記憶にないほど、小さい頃だった気がする。
どうにか綺麗に着られたかな、と思った頃にインターフォンが鳴る。
「オシリスさん、こんばんは」
「──……こんばんは、素敵な装いだね。日本の伝統衣装?」
「はい。急にすみません、良かったら花火大会に行きませんか? 八時から始まります」
ここまで準備されていると断りにくいだろうと思う。
けれど彼はふわりと微笑んで「楽しみだ」と言ってくれた。
からん、ころんと下駄を鳴らして、連れ立って歩く。
隣の少年を目にした道行く人は、やっぱり緊張と高揚を抱えた不思議な表情で目を逸らす。
オシリスさんは小柄なのに不可侵の雰囲気があるせいか、この混雑でも彼にぶつかる人はいない。悠然と歩く彼は、私に嬉しそうな表情をもって褒めてくれた。
「深い青色に、白い花柄。密やかなのに目を惹く色遣いだ。とても日和さんらしくて美しいね」
「ありがとう、ございます。──以前から気になっていたんですけど、私などより女神様方こそ、ずっとお美しいのでは?」
「…………姿形はともかく。彼女たちは最早そういう目で見る存在じゃないというか」
珍しく渋い顔をする。
──これはイジり甲斐がある箇所と見た!
私はあえて、何てこと無い様子で尋ねる。
「そういえばオシリスさんって既婚者ですよね、女神様と。他の方も大体そうみたいですが」
「なっ!?」
見込んだ通り、大きな目を見開かれた。
「私がいざ、皆さんのどなたかと結婚するって言ったら、どうなるんでしょう? 重婚罪の巻き添え怖いな~って不安で」
「ご、誤解だよ? いや、確かに何千年も前にそういう時期はあったけれど、貴女たち人類に例えるなら……幼稚園や小学生の頃に付き合ってた人を、持ち出される感覚というか」
いつものゆっくりした口調が崩れて必死に弁明してる姿は、見た目相応に見えて愛くるしい。
花火が良く見えるであろう場所で立ち止まると、彼は私をチラチラ見て言う。
「日和さん? 聞いてる?」
「ふふ、くっくく……! ああ、面白い! やっとオシリスさんに勝った気がします」
我ながら執念深いとは思う。
でも思った以上に愉快な気持ちで、浴衣に相応しくない大口を開けて笑ってしまった。
そんな私を見て少し驚いたような顔をした彼は、目を細めて微笑んだ。
「……貴女はかつてと、変わっていないよ。魂を審判する私が言うのだから、間違いない」
「もしかしたら、そうなのかもしれませんね。まだ完全には受け入れられませんが、すぐに否定するのはやめておきます」
だって折角こんなに素敵な夜なんだから。
すぐに結果に飛びつかないで、今を楽しむべきだと思える。
ややあってアナウンスが流れ、大きな音と共に花火が打ち上がる。
色とりどりで、形も様々。
すぐに散って、また上がって、散って。
ジュワワ、パラララ、という音が切なく耳に響く。
夜空を彩る美しさよりも余韻に胸が詰まるのは、きっと誰しも──。
視線は花火のままオシリスさんに話しかける。
「ロキに、私たち人間は虫みたいに短い人生だろって言われました」
「まったく……他の言い方はないのだろうか」
「納得しちゃったんですよ。グズグズと暗いことばかり考えて、そのまま墓に入るのはごめんだなって。むしろ元気を貰えたかも」
「貴女が生命を終える時は、ドゥアトに連れてゆく。日本の黄泉を治める神と揉めそうだけれどね」
どこまで本気なのか分からない台詞を言う彼を見れば、鏡のような銀色の瞳。
そこに映る私が成長していて欲しいと思う。
この人への感謝の印は、それこそが相応しいと思うから。
華やかな時間はあっという間に終わり、さあ帰ろうとなった時に私は白状する。
「すみません、物凄く……足が痛い……」
「え、見せて。──随分、血が出ているじゃないか」
一昨日、靴擦れしていた傷が悪化したらしい。
実家に帰るときはスニーカーだったから大丈夫だったようで。
もう塞がっていたし、念のために絆創膏をしっかり貼っておいたから大丈夫だと思ったのに、久しぶりに履く下駄というものを甘く見ていた。
心配そうに眉根を寄せるオシリスさんは、私を街路樹のレンガ縁に誘導して座らせた後、「少し待っていて」と言って、どこかへ消えて行った。
迷惑をかけてしまったことを悔やみつつ、タクシーを呼ぼうかな、こんな人ごみで捕まるかなとスマホをいじっていると。
何やら大勢がササッと避けるような動きをして違和感を覚える。次第に近づくのは、まるで肌に触れるような存在感。
視線を上げれば、そこにはシヴァさんくらいの背丈と年齢の男性がいた。
「お待たせ、日和さん」
「どちら様──って、まさかとは思いますけど……!?」
目の前の人は銀色の瞳に褪せた肌色をしている。
こんなに妖しい色気を放つ美形は知らない。
知ってるけど、知らない。
……そう、オシリスさんくらいしか。




