第61話『土曜日/ロキ ⑤-1』
父の来訪を全く予想をしていなかった訳じゃない、前回も金曜日に来ていたから。
ただ、一緒にいる人に矛先を向けられるのだけは避けたかった。
怪訝な顔をしているアポロンさんを「中に入ってて」と無理やり詰め込んで、迷惑な男に向き合う。
「話ですっけ? してもいいですから、日程を決めさせてもらえます?」
「その浮かれた格好は何だ。一人暮らしをした途端に外人を連れ込むとは」
「大学の友人です、下品な言い回しは止したらどう? ……来週の月火あたりを空けてあげます」
「売女の娘の分際で……!」
殴られると思ったけれど、住人が通りかかったことで思い留まったらしい。
父は「来週は埋まっている。再来週の月曜、五時にまた来る」と言った後、去って行った。
終わったと思った途端、足がズキズキと痛みだす。そこまで酷い怪我では無かったはずなのに。
……体の震えを抑えようと踏ん張り過ぎていたらしい。
ふらふらと部屋の中に入れば、玄関のすぐ傍に険しい顔をしたアポロンさんが腕を組んで立っていた。
「今のがお父さん……? 何だあれ、随分と酷いことを言う」
「不愉快な思いをさせてしまって、ごめん。今日はもう帰ってくれても」
「そんなことするワケないでしょ。ほら、こっちおいで」
ソファに移動させられて抱き締められる。
喩えようもない程の怒りで、体がブルブルと震えるのを止められない。
「アポロンさん、あの男の事は……絶対に訊かないで」
「…………分かった。じゃあ俺の話をしてもいい?」
黙って頷けば、いつもより低い声で話しだした。密着しているせいで彼のウッディな香水が鼻をくすぐる。
「この三か月、自分でも引くほど落ち込んだ。俺が好きになる子はみんな離れてくって、みっともないことに自分の神殿に引きこもって」
「知ってる」
「それも知ってんの……。それでさ、もう一度ヒヨリに逢えたら……もっとダサくなろうって思った」
腕の力が強くなる。彼の吐息も熱く感じる。
お互いの心臓の音が聴こえる距離。
「俺、ヒヨリのこと追いかけるから。失恋したって構わない。最後に俺を選んでもらうまで、あの部屋着みたいにヨレヨレになっても追いかけて、追いかけ続けて──そしたらさすがの俺でも、完璧から脱却できるでしょ」
「……それって危ない人じゃない? 私も樹になっちゃうかもよ?」
「それでもいいよ。俺も鳥とか虫になるから。樹と仲良しのやつ。そこに棲むから」
なんだか拗ねたような声で言うアポロンさんに、さっきまで吹き荒れていた嵐のような感情が凪いでくる。
しばらくそのまま慰め合うように抱き合った。
窓の外で太陽が沈んでしまうまで。
◆◆◆◆
アポロンさんは目元を赤くして、
「このままだと……マズい所まで迫り過ぎちゃうから」と告げて扉から帰って行った。
明日の朝はロキが珍しく出かけようと言っていたので、早めに眠ろうと思っていたけれど──母の様子を聞かない事には落ち着かなかった。
メッセージで「話があるんだけど大丈夫?」と送ってみても既読がつかない。
0時になっても返信がないので、気になりながらも眠る。
翌朝、七時過ぎ。
約束の時間より少しだけ遅れて、ロキはやって来た。
「はよ。ねみーな、なんで己が午前担当なんだよ」
「おはよう、神様なのに眠いの? ……あ、出かける所って決まってる?」
「全然。こんな時間から空いてるトコ、少ないからな」
何となくそんな気はしていた。
外デート(?)の段取りなんてしそうにない男。
ひとまず卵かけご飯と味噌汁を二人分用意して食べる。その間、母から連絡は無いだろうかと何度もチェックしたけれど、相変わらず既読すら付かない。
そんな姿をロキが見逃すはずもない訳で、ズバリ指摘された。
「スマホ見過ぎだろ。ぼっちのクセに何なんだ?」
「友達いますけど? ……母から返事がなくて。昨夜から待ってるの」
「ふーん。そういや、あれから実家に帰ってんのか?」
言葉に詰まる。実は一度も帰っていない。
母を大切にしたいのに、私がいる方が自由を満喫できてるんじゃないか、とか。
娘の存在が元夫のことを思い出させるんじゃないか、とか。
本当は自分の気が進まないだけなのに、相も変わらず彼女のためだと装っている。
答えない私の顔をロキは特に見ることも無く、いつもよりササッと食べて言った。
「んじゃ行き先、決まったな。お前の実家行くぞ」
「……はぁ!? いや、いいよ。行くなら一人がいいし。ちょっと靴擦れしてるし」
「ソレ結局行かないっての隠す気ないだろ、雑な抵抗すんな。ほれ、早く支度しろ」
朝早くから迷惑でしょと不服そうに抗議すれば、
「親相手に何言ってんだ、行くって連絡だけ入れとけよ」
とロキのくせに真っ当な事を言う。
「そもそもあなたのこと、何て紹介すればいいの? 半年近く振りに会うのに、いきなり男友達と一緒って……」
「彼氏って言えばぁ~?」
ニヤニヤ言うな。
こんなホスト崩れみたいなのを連れて行って、母を心配させないだろうか。
いや、あの人なら「日和を大切にしてくれる人なら誰でもいいのよ」とか理解を示しそうだ。
──待て待て、大切にしてくれない神じゃん? 人ですらないじゃん。
とにかくこの話を切り抜けたくて、椅子にしがみつきながら必死で駄々をこねる。
「今日は行きたくない。ロキに強制する権利なんて無いし」
するとロキは実に悪意たっぷりな声と共に、私の服を引っ張る。
「《ひよりんレター事件》のせいでさあ。己と月読がやり合った話は知ってるんだよなぁ? 大変だったんだぜ~? お前を傷つけたって言いがかりつけられてよ」
「あなたがウザ絡みしたのは事実じゃない。……ちょっと、服のびるでしょ」
「己がいなけりゃ、お前はずっと母親のマネした危ねー女のままだったかもよ?」
痛い所を突かれて言葉に詰まる。
そう、彼のやり方こそ乱暴だったものの、解放してくれたとも言える。
あの仮初めの幸せが続いた方が良かったとも思えないし。
「己らを止めてたはずのシヴァまで暴れ出すもんだから、さすがに手に負えねーし。《破壊の神》じゃ相手が悪すぎるし。ひでー目に遭ったな~、なんでだろうな~?」
「……う、わ、分かったよ! その代わり、二度と同じネタでイジらないでね」
…………悔しいけれど、この男と友人になったのは正解だったのかもしれない。
なんだかんだ私を引っ張ってはくれる。
とはいえ彼のユルッユルのTシャツ姿はどうなんだろうと思い──。
三か月前に預かったままのアポロンさんの服を返してない事に気づく。
人の物を勝手に使うのは躊躇われたけれど、母を悲しませる方が私にとっては罪深い。
目の前の男に「この小綺麗な格好に着替えてくれ」と命じ、脱衣所に押し込んで数分。
「ロキ、これじゃ余計ホストじゃん」
「お前……マジで結果分かんなかったの?」
何か間違えた気がする。
少しオーバーサイズになっているせいで、あざとさが加速してるし。
だけど何だかもう面倒になってきたので、このまま出発することにした。




