第53話『火曜日/シヴァ ④-2』
私はリビングのソファ、ではなく針の筵に座っている。
これぞインド、修行感あるね! ……なんて冗談を飛ばしたくなるほどカイくんにまあチクチクと言われるわ。
「初めて授業受けた時から大好きだった日和先生に追いつきたくて、成長期はじまったっぽいのに。すぐに来なくなっちゃったからさ~。すげーショックでね。その胸の痛みが、俺を一気に大人にしたのかもしれないね?」
「その節は幼子に対して大変申し訳ない事をしたと、今でも反省しております」
「ガキの頃の俺はさ、母親ってこんなだったな~なんて思ってて。恋しくて。まあ、今となってはそんな風に思えないけどね?」
「ええ、せいぜい姉弟にしか見えないでしょうから」
「そうじゃなくて、女として見てるっていう」
何これ、朝からなんの時間?
多分カイくんは私を口説いてる訳じゃなく、からかって楽しんでる。
生き生きニヤニヤしている。
……まあ、傷つけたのは間違いないだろうから甘んじて受け入れるしかない。
「親父より俺の方が年近いじゃん。ガキつきの男なんて止めときなよ」
「オーイ? お前も百歳超えてんだよ。早く独立してくれたら後半の問題も解決だな」
両手にお皿を持ったシヴァさんが割り込んでくれた。
ああ、やっと終わった。お腹も空いた。
蒸しパンやココナッツミルクがベースのスープ。マンゴーやバナナも添えられて、朝から贅沢だ。
すっかり生意気になったカイくんと、彼に手を焼きながらも優しい瞳で接するシヴァさん。
やっぱりこの家は変わらず温かい。
「お二人は素敵な家族だと思います。私も、こういう家庭なら築きたいと思ったものでした」
思わず呟けば、カイくんが「じゃあ俺の嫁になりなよ」と笑う。
シヴァさんは意外と冷静に「お前じゃ無理だ」と返した。そして二人から言われる。
「「そもそも、もう家族みたいなもんだったな」」
笑顔の絶えない家庭の食卓。
この家で初めて体験した素晴らしい時間。
神々と離れてから三か月、何度も何度も思い出した。
素直じゃない私は、
「──まだ、二回しか、来てないのに」
なんて言いながら、涙を堪えるべくガツガツと食べ……。図々しくもお代わりをお願いすれば二人は嬉しそうだ。
私があえて明るい声で「この後は三人でゲームでもしますか?」と提案した所、シヴァさんは微妙な顔をして言う。
「……いや。カイは食ったらどっか行け」
「はいはい、やらしーことすんなよ?」
カイくんは爽やかな笑顔で釘を刺しながら、食器を片付けてアッサリと外へ出かけて行った。
お詫びのクッキーはシヴァさんに渡しておく。
ウサギやクマの型抜きで、上に「ごめんね」「だいすき」と書いてあるのを見られて「オレも食べる」と言い張られた。
もう任せますよ、彼には子供っぽすぎるし。
からかわれそうだし。
◆◆◆◆
私は洗い物をしながら「今日も本当に美味しかったです」とお礼を言う。
シヴァさんは「お前用のエプロン、買っとけば良かったな」なんて言葉と共にソファでしみじみとしていた。なんて定番な。
手を拭いて近くに寄れば、急に真剣な瞳で見つめられて怯む。
「ほら、ちょっとこっち来い」
長い腕に引かれた先は、彼の両脚の間。
後ろから包み込まれるようにされて、慣れていない体勢に居心地が悪い。
私は不満そうに訴えた。
「これはセクハラ気味では」
「普通は完全にセクハラだろ。……お前のため、なんてのはズルいか」
何を言ってるのか分からない。
シヴァさんの表情も見えないし、どう返そうかと悩めば低く静かな声で尋ねられた。
「ヒヨ、何に怯えてんだ? オレがインターフォンを鳴らした時、かなり警戒してたよな」
「…………さすが神ですね。扉越しでも、そんな事まで分かっちゃうんですか」
「オレは敵意に敏感だからな。予想してたハズの来客だろ、それとも他に誰か来るのか?」
答える気になれなかった。
父への想いは、今の私だと一度蓋を開けば止まりそうもないから。美しくもない感情を、この理想の家の中に撒き散らしたくない。
掛け時計のカチ、コチ、という音だけがしばらく響く。
「なあ、頼ってくれよ。こんなに痩せちまって……。この三か月、心配で堪らなかったんだぜ? やっぱ憎まれてでも会いに行くべきだった」
「もっと楽しい話をしませんか? なんせ恋をしないといけない訳で」
「はぐらかすな」
優しくも窘める声に思わず身を竦ませる。
顔こそ見えないけれど、私を抱きしめる長い腕は思いやりに満ちていて。
彼になら、全てを任せてしまいたくなる。
でもそれは、今も私が目指す自立とは違うだろう。
自分を奮い立たせるように力強く言った。
「どうにもならない程に困ったら、必ず助けを求めますから。最初から神を頼るなんて、クセになったら私の為にならないでしょう?」
「…………………」
話題を変えたくてキョロキョロすると、ふと彼の大きな褐色の手に目が留まる。
男性らしく血管が浮いてるのが、どこか官能的。私の人差し指くらいはありそうなサイズの小指。
「指……。長いから、墨の入れ甲斐がありそうですね」
「ッオイ、妙なさすり方するな。……朝のエロい恰好もそうだけど、誘ってんのか?」
「まさか。ただ以前よりは、はしたない女かもしれません」
もちろん性的な意味ではなく。
シンプルにだらしない所があったり、相手の心理を探ろうとする狡い部分があるというだけで。
「カイじゃないけど、オレも今のお前は好みだよ。っつーか、ど真ん中」
「ええ……? それは趣味が悪いですね。可愛いわたしはダメでしたか?」
「あれも良かったけど、守ってやりたいっていう庇護欲が先に来てたな。──今のお前は上手い具合に濁ってて、」
彼は後ろから私の耳に、息を吹き込むようにして囁く。
「落としたいって、本気で思う」
行きがかり上、自分で煽った自覚はあるものの。ここまで熱っぽい事を言われる覚悟は出来ていなかったので固まってしまう。
「キスしてって言ってくれたら、元の話題にしないでおくってのはどうだ?」
「それはさすがに反則でしょう!」
思わず振り向けば、すぐ傍に唇があって心臓が止まりそうになった。
それは薄いけど大きくて──。
そして金色に光る瞳で見つめられる。
「約束は破るためにある、なんて考え方もあるよな」
「……破らないならそもそも必要ないって逆説的な話ですか? 許しませんからね」
キッパリと告げれば、重い溜息が後ろから聞こえる。
「やめときゃ良かったな、あんな約束」
どこか切なげな響きが、静かな部屋にぽつりと落ちた。




