第一章 45話 創り出そう。自分だけの世界を
「行ってきます」
そう呟いて、少年は家を出る。返事はない。高校生であれば青年、と記すのが正確か。だが、ここではあえて少年と記すことにする。彼にとって少年という言葉が特別なものだからである。
天気は晴れ。気温は涼しく、日差しもそこまで鬱陶しくはない理想の環境。登校時間が一番好きな彼にとって、今日は特別な日であった。
(今日は何を考えようか)
街の中を歩く彼は、一人の何の変哲もない少年でしかない。だが、彼の頭の中には広大な幻想世界が広がっている。
(雷はこれからどんな風に悩ませようかな。愛美との関係がいい感じに壊れてほしいんだけど……まだサイズを倒してないからなあ……マモンを表には立たせたくないし。思い切って新しく登場人物を追加するのもありかな?)
まだ書き起こしていない設定を次々と思い浮かべながら、彼は一人微笑む。
幸いなことにこの時間帯の通学路は人も少なく、車もそこまで走ってはいない。こうして空想にふけるには理想の環境なのである。
(黎はもっと戦わせたいな。派手な技で、でも冷静に暴れてもらおう。紅蓮は……一回暴走させてみたら面白そう。過去も深堀りしたいし、やることが沢山だ。楽しみだな。
復讐編は……書くのが難しいんだよな。レイスはムカつくし、さっさと退場させたいんだけど)
「おい、あいつだぜ、あいつ」
嘲りを含んだ笑いに、彼は意識を強制的に現実へと引き戻された。気づけばすでにそこは校門の前だった。
「おう、涼太くん。おはようございま〜す」
馬鹿にしたような笑いとともに、数人の男子生徒が少年、涼太へと視線を向けてくる。
(またか。あ〜あ、せっかく楽しくなってきたところだったのに)
叫びだしたくなるような不快感を抑え、無視して足を早める。
彼が小説を書いている、ということが周囲にバレた瞬間、(涼太はどうにか隠し通そうとしたのだが)周囲から向けられる視線が変わった。好奇の目、だけならばまだ良かったかも知れないが。彼を襲ったのは嘲笑だった。
いつも自分の世界に浸りきっている、気持ちの悪い奴。クラスメイトにとって、涼太の存在はどうやらそういった位置で落ち着いたらしい。
実際のところ言い返してやりたいのは山々なのだが、彼には人に誇れるものがない。唯一の長所といえば、こうして独自の世界を作り出すことのみである。運動も、勉強も人に勝てた試しがない。そんな劣等感も相まって、彼はこの状況からの脱却をすでに諦めかけているのだ。
(僕が、もっと強かったら。もっと才能があれば。そうすれば、皆も僕のことを認めてくれるのかな?)
そうした思いは次第に心のうちに秘めておくことができなくなっていき、そして、そんな願望によって数人の主人公たちが作り出されていった。
(僕は黎みたいに、冷静で強い存在になりたい。雷みたいに優しくて、人を思いやれて、心の強い人間になりたい。■■■■みたいに、自分の目的に対して時には強引でも自我を貫けるようになりたい)
何の取り柄もなく、平凡な現実の自分。特別扱いされることなど、ただの一度もない。そんな自分から逃げたくて、理想の自分になりたくて。そんな時に思いついたのが、大好きな小説のことだった。理想の物語がないのならば、自分で作ってしまえばいいのだ。
(だから僕は、彼らを創った。自分の理想を、より具体的な形で、いつでも見ることができるようにするために)
物語を作り出すという行為は、彼にとってすでに人生の一部とも呼べるものにまで成長していた。しかし、それを認めてくれる存在は誰一人、親でさえいないのである。
(この行為がただの逃避だってことはわかってる。それでも僕は、皆みたいに現実に向き合うことはできない。卑怯でも、姑息でも、僕なりのやり方でなんとか生きていこうとしているだけ。それなのに、なんでそれを否定されなくちゃいけないんだ……?)
違和感、反感、不快感。それらを抱えながらも、彼はやはりそれを言い出すことはできなかった。言ってしまえば、自分を取り巻く環境はさらに悪化していくと知っていたからである。
今はただ、周囲が早く自分に興味をなくし、干渉してこなくなることを祈る他なかった。
(ああ、物語の世界に入ることができたらなあ……自分の作った世界で、主人公として生きることができたらいいのに!)
そんな声なき叫びは、誰かの心に届くこともなく。涼太ただ一人が知る秘密として霧散していった。
「ただいま〜」
朝出かけた時とほとんど同じ声色で、涼太は誰もいない家の中へと語りかけた。この時間は、両親は仕事で家にはいない。部活に参加しておらず、帰る時間が早いことも相まって、彼は家に一人でいる時間が長いのだ。
「さて、続きを書こう」
人前では脳内に押し込めたままにしておく思考を、一人の今は思う存分外に向けることができる。宿題に目をやることもなく、彼は机へ向かい、原稿用紙を引き出した。
今書いている物語は6つ。その内の3つはまだ冒頭しか書き上げていない。
「個人的には雷の話を書きたいんだけど……手詰まりなんだよな。まあ、将来人に見せるとしたら黎の話になるわけだし。極夜と戦うシーンの続きを書くか」
びっしりと書き込まれた原稿の束をめくり、過去の描写を振り返る。
と、手が止まった。
「何だ、これ……」
違和感は、一番最初。冒頭部分。
「黎が……記憶喪失……?」
それは、存在しないはずの設定。忘れた、などと都合のいい言葉で済ませられる事態ではない。物語の冒頭を、作者が忘れることなどあるだろうか。
さらにページを捲り、物語を追っていく。
「何でだ……何でこんなことが……」
とても奇怪な現象だった。黎が記憶喪失だったという設定が追加されているだけでなく、なんと物語自体がその設定を基準として進行しているのである。
涼太の設定では、黎は感情のない、冷徹な機械のような水の竜。しかし、この異変の起きた筋書きでは、黎の性格は明るい少年さながらに変わっていたのだ。
「僕の物語を書き換えたやつがいる……? でも、これは正真正銘僕の字だ。それに、インクで書いた字をどうやって書き換えるっていうんだ?」
不気味な現象であることに間違いはない。しかし、不安と同時に涼太の心には不思議な高揚感が満ち溢れていた。平凡で、代わり映えのしない毎日に、一つの異変が訪れたのだ。
「僕にもようやく、主人公になるチャンスが訪れたのかもしれない」
誰も知ることのない世界の異変を前にして、少年は不敵に笑う。これから起きる惨劇を知る由もなく。
ついに作者が登場しました。色々とスケールが大きくなります。




