第一章 44話 「逆襲 6」
ノーブル学院にて行われる、冬の大宴会。数々の貴族の跡継ぎとなる少年少女たちや、その親の貴族たちが集う、大規模な舞踏会である。
一見すればきらびやかな衣装に身を包み、大人への階段を登りつつある子どもたちが相手を誘い、まだものにしていない踊りを披露する微笑ましい宴会。しかし、これに参列する者は全員、この場がそのような心安らぐ場でないことは理解しきっている。
表向きには舞踏会。だがその実態は相手の家の情報をかき集め、場合によっては将来的に結婚相手となるかもしれない相手を探す。欲にまみれた獣たちの腹の探り合いである。
少年がレイスを潰す場にこの宴会を選んだのも、圧倒的な力を持つロスノック家を蹴落とそうと隙を伺っている者たちに絶好のチャンスを与え、必要以上に自分やアメリアの名を落とすことなく彼を突き落とすためである。
きれいに整えた金髪を崩さないようにそっと頭をかきながら、少年はアメリアと待ち合わせているロビーに足を踏み入れた。宴会直前ともなれば相手を連れた寮生が談笑してもいいものだが、誰一人いない。
それもそのはず。今はまだ日も昇らぬ早朝である。他の生徒の嘲笑にアメリアがさらされることは、今日は特に避けたかった。壁にもたれ、立ったまま目を閉じる。
石造りの廊下に、隠し通せない足音が響き始め、再び目を開ける頃。時計は間もなく3時45分を指そうとしていた。……15分の遅刻である。
「ごめん■■■■! 遅れちゃった」
「お前はどうせ遅れると思ってたよ。だから集合をこんな時間にしたんだ」
冷静な表情を崩さずに、少年は言った。
その態度が不満だったのか、アメリアは頬を膨らませて不満を表現する。
「……何か感想はないわけ?」
「何の感想だよ」
「ド・レ・ス! 似合ってるかって聞いてんの!」
わかっていてなお白を切る少年に、彼女は詰め寄る。頬は紅潮し、自身のある口調とは裏腹にその瞳は自信なさげに逸らされている。
(似合ってねえわけがねえだろ。他の意地と欲にまみれた汚い奴らなんかより、何千倍も似合ってるよ)
……そう言う事ができたなら、どんなに良かっただろう。だが、彼は心に決めているのだ。自分のアメリアへの好意は隠し通すと。
出自のわからない自分と結ばれでもすれば、彼女への迫害は更に強くなるであろうことは目に見えている。彼女を本当に幸せにできる、なおかつ家柄の伴う男を探す。今回の宴会に参列する理由のもう一つに、それもあった。
「お前は何着ても似合うんだから似合ってるんじゃねえの? それより早く行くぞ」
やはり素直にはなれない。張り裂けそうなほどに暴れる鼓動をその整った顔立ちの仮面に押し込め、頬を赤らめることもないまま、少年はアメリアの手を引いて歩き出す。
辛いなどという感情は、とうに無い。全てはアメリアの幸せと、母を拐ったあの貴族への復讐のため。そのためならば彼はどんな悪行にでも手を染められる自信があった。
無人の庭を、噴水の横を、アメリアと二人きりで歩く。冬の、しかも日も昇らぬ早朝である。大気は突き刺すかのように冷たく、風はそこまで強くはないものの、二人の体を芯まで冷えさせるには十分だった。
「おい、アメリア。大丈夫か、寒くないか? やっぱり戻った方が……」
震え、自分にぴったりと張り付いている彼女を見かねて少年は声を上げる。しかし、アメリアは首を振り、確かな意志を宿した瞳で少年を見つめた。
「ううん、いいの。こうでもしないと、気持ちが落ち着かないから」
その目に宿る光に、彼は思わず息を呑んでしまう。傷つきやすく、弱い。彼にとって守るべき存在であったはずのアメリアは、予想外の芯の強さを秘めていた。
虐げられているとはいえ、彼女は正真正銘の公爵令嬢なのだ。ただ黙ってやられるだけの貧弱な少女であるはずがない。それは彼自身、理解しているつもりだったのだが。人とはやはり、理想を現実に押し付けてしまう癖がある生物である。
(俺がそばにいなくても、きっとこいつなら大丈夫だ)
心がふわふわと温まるような安心感と同時に、切り裂くような痛みが胸の中を占領する。
(ああ、そうか)
理解とともに、その整った顔に苦笑いが浮かべられる。
(俺は寂しいんだな)
寂しさ。母を失い、信用できる人間もアメリアしか存在しなかった彼にとって、その感情は最早忘れ去られたはずのものであった。だからこそ、心が痛くて仕方がなかった。
「あんた、なんか変なこと考えてない?」
異変を感じたのか、いつもは鈍感なアメリアでさえも不安そうに覗き込んできた。その顔が、唇が、瞳が、美しい銀髪が、全てが愛おしくて。痛みは塗りつぶされてしまう。
「大丈夫だ。そろそろ落ち着いたか?」
「うん。大丈夫。あんたも無理しないでね」
「ああ。少し早いけど行くか」
一時の安らぎは、幕を閉じる。ここからは、いよいよレイスの失脚劇の開演である。
首席と次席は並び、金髪と銀髪を美しく対比させたまま会場へと歩き始めた。
大広間にはすでに数人の生徒が待機していた。リリアナ・ワーレンス。初等部の生徒会長。ルニエ・フィリム。中等部の生徒会長。その他にも生徒会の生徒たち。そして、レイス・ロスノック。初等部6年の首席。
この場にいる全員が各々、国の中枢となる貴族の家の名を背負っているのだ。それを持たない部外者は、少年ただ一人である。
張り詰めた空気と軽蔑の視線に居心地の悪さを感じているのか、より強く少年の手を握りしめるアメリア。だが、今この瞬間だけは彼女の存在すらも彼の意識のうちにはない。標的は、ただ一人。
「先輩。おはようございます」
この場で下すと誓った敵へ、心からの侮蔑とともに微笑みを送る。
「ああ、おはよう、■■■■くん」
そして、おそらくそれは相手にとっても同じこと。自分の立場を崩す可能性のある少年をこの学院から追放しようと、気色の悪い笑顔の裏で何かを企んでいるのだろう。
勝負はたった一度。舞踏会の始まる直前の全員が集まる瞬間。
そして、その時間は刻一刻と近づいてきているのだ。




