第一章 40話 「首狩りの悪魔 墜落編 3」
『それで、どうする? あの悪魔相当強いよ?』
教師の声と、ノートを取る音のみが響く教室にて。愛美の声が、雷にははっきりと届いていた。一方で、周囲がその会話に気付く様子はない。それもそのはず。この会話は、二人の間でのみ可能なテレパシーのようなもので行われているのである。
昼休憩になれば愛美は男子に囲まれてしまうため、作戦会議を行うなら授業中、という結論に至ったわけだが。
『僕、ちゃんと授業についていけるかな……』
当然の不安である。元々、雷は特別勉強ができるわけではない。しかも、あまり大きな声では言えないが、愛美と二人で悪魔と戦うようになってからというものの成績が少しずつ、だが確実に下がり続けているのだ。
『大丈夫。わたしが責任持って教えるから。巻き込んじゃってるわけだしね』
そう学年一位の愛美に言われてしまえば、言い返す言葉もない。
『頼りにしてるよ。……ところで、あの悪魔の倒し方だけど』
『何か思いついたの?』
脳内に響いた弾んだ声に、思わず顔を横に向けてしまう。そこで、愛美のきらきらした瞳と目が合った。
「っ……!」
直視しているとおかしくなりそうで、なんとか目を逸らす。今に始まったことではないが、雷の抱える愛美への想いは時に狂気的で、彼自身自分に違和感を抱くほどである。
『……うん、思いついたよ。あいつの一番の武器はあの巨大な鎌だ。でも、あれだけ大きければきっと狭い場所では邪魔になる。だから、狭い路地に誘い込んで戦う』
そんな思いに心を悩ませながらも、悪魔との戦いにおいて彼の思考は冷静だった。
『たしかにそうかも! 雷くんってやっぱり頭いいんじゃない?』
『そうだったらいいんだけどね……』
と、そこで教師の声が会話を断ち切る。
「真雲、ここの答えを言ってみろ」
「え、えっと……」
全く話を聞いていなかったために理解が追いつかず、目を白黒させていると、愛美が小さな声で囁いた。
「5の階乗だよ!」
「あっ、5の階乗!」
「……正解だ」
不満そうに鼻を鳴らすと、教師は再び話し始める。そっと胸をなでおろすと同時に、またしても愛美に助けられてしまったという焦りが雷の心に芽生える。
大体、この宵月愛美という少女は何でも完璧にこなす。自分が守る、という気になっているだけで、実際守られ、助けられているのは雷の方だ。彼女は「そばにいてくれるだけで嬉しい」と言ってはくれるが、やはり「守る」と誓った以上は役に立ちたい。
『ごめん、ありがとう』
『危なかったね……うん、じゃあ今日の帰りに悪魔探ししよっか。部活は休むことにするね』
『わかった』
微笑みを浮かべながら、悪魔などと物騒な言葉を当然のように並べる愛美。明らかに異質なその状況を自分しか知らないという現状が、雷は悩みながらも嬉しくてたまらないのだった。
放課後に予定がある日の時間は、過ぎていくのが早い。気づけばすでに放課後は訪れていた。
部活に休む連絡をしに行った愛美とは、校門で待ち合わせをしている。部活に入らず、正真正銘の帰宅部である雷にとって部活の人間関係は羨ましくもあるのだが、こうやって自由に行動できるという点で便利であるということには間違いない。
まあ、そうは言っても別にやることはなく、話す相手もいない。いつもならば食堂でたむろする男子に混じって話しながら愛美を待っているのだが。
「おわっと、ごめんよ!」
突然体育館から飛び出してきた人影にぶつかられ、雷は大きくよろけた。
「本当にごめん……ってあれ、真雲くんじゃね?」
「えっと、谷口先輩?」
数ヶ月前に一度会ったきりだが、純也の先輩だということでかろうじて名前も覚えていた。それに、谷口汪太という一風変わった名前。顔を見れば思い出す程度には、彼にとって印象的だった。
「あれ、雷じゃん。珍しいな、こんな時間に帰宅なんて」
噂をすれば、とはよく言ったもので、純也まで現れる。
「いやあ、幼馴染二人が一緒にいるところを見るのは初めてだな! こうして見るとお互いあんまり関わらなさそうな感じがするけどな」
「えっ、雷と汪太先輩って知り合いだったのか?」
心底驚きだ、と言うように目を丸くする純也。感情を隠さずに表情に出すところが、彼の信用できるところでもある。……それはすなわち、口が滑りやすいということも意味しているのだが。
「で、真雲くんは何しに来たのさ。もしかして入部希望かな?」
「えっ、いや、違っ」
「あ、違いますよ先輩。こいつ彼女に、ヤベッ、マチガエタ。宵月さんに会いに行くつもりです」
しれっと失礼な暴露をした純也の頭を鞄ではたいてから、雷は急いで歩き始めた。しかし谷口先輩は愉快そうな笑みを浮かべて雷の周りをくるくる回り始める。
「ふ〜ん、宵月さんって噂の愛美ちゃんって子か? 可愛いって有名だよな」
かちり、と雷の警戒スイッチが入る。ただ揶揄われただけだと頭では理解していたが、体がそれを否定していた。ここで問い詰めておかなくては、後で後悔すると、直感がそう告げた。
「……先輩、まさかとは思いますけど、狙ってないですよね?」
「おい雷、殺気出てるって」
喧嘩に慣れた純也ですらも異常を感じ、警戒の声を上げる。そんな中で。
「ッハハ、……狙ってないさ」
そよ風に髪をなびかせながら、谷口汪太は目を細め、笑ってみせた。
「……そうですか。だったらいいんです」
しばしの沈黙の後、雷はゆっくりと殺気を収めた。先程までの違和感は霧散し、すでに原因すら不明となっている。と、次の瞬間そんな緊張すらも吹き飛ばされる。
「だって俺、彼女いるし!」
そう言って、谷口汪太は満面の笑みで手を振り、走り去っていった。続けて純也も雷の肩を叩き、踵を返す。
嵐のような出来事を経て、雷はなおも冷静に校門へと向かった。眉がしかめられ、その眉間に深い皺が刻まれる。
(先輩、目が笑ってなかった)
警戒は、まだ緩めるべきではない。首狩りの悪魔という強敵との邂逅を経て、彼の神経は限界まで張り詰めていた。
手を振り、微笑みながら近づいてくる愛美。雷もかろうじて笑みを浮かべ、手を振り返す。
精神的に不安定であることこそ、今最も避けるべき状態。それを知っていたからこそ、彼は、こうして平静を演じ続けるのだ。




