第一章 39話 「首狩りの悪魔 墜落編 2」
朝日が瞼に当たり、熱を感じる。二度寝を謳歌しようとするも、すでに意識は完全に覚醒しており、起きるほかない。そうして雷は目を開けた。
時計に目をやれば、時刻は6時半。いつもより10分ほど早い目覚めだ。寝起きにしてはすっきりした頭で体を起こし、部屋を出てリビングへと向かう。
そして、
「おはよう、雷。ずいぶん早いな」
父がいることに未だ慣れず、数秒の間を空けてようやく雷は頷いた。
「……ああ。おはよう、父さん」
そんなぎこちない彼の様子に、父はおどけて両手を広げてみせる。
「なんだ? その幽霊に頭から水をかけられたような表情は」
「……父さんって全然変わってないな」
実に6年の間、単身赴任で不在だった父。それだけの時間を経てなお、彼は記憶にある父の顔と、今現在の外見にほとんど変化を見受けられなかった。
「おいおい、朝一番の感想がそれかよ。まあ、お前の父さんなんだから当然だな」
ドヤ顔でふんぞり返る父。そんな馬鹿話をしているうちに、雷は空腹を覚え始めた。気づけば、先程から良い匂いが台所の方から漂ってきている。
まさかと思いながらも扉を開ければ、そこにはすでにきちんと並べられた朝食があった。
「これ、父さんが作ったの?」
隠しきれない驚きを声にして吐き出すと、父はまたしても得意げに笑った。
「帰宅して初めての朝食だからな。母さんにもたまにはゆっくりしてもらいたいし、俺が作った」
「へえ」
その後は特に会話を交わすこともなく、二人は朝食を取った。話したいことは山ほどあるはずだったが、いざこうして目の前にすると話題というものは意外なほどに見つからないのだ。
父の料理の腕前は、文句のつけようがなかった。会話が弾まなかった理由の一つには、食べることに集中したかった、というものもあったのかもしれない。
程なくして短い朝食の時間は終わった。いつも通りに服を着替え、荷物を作って玄関の扉を開ける。そしていつも通りに歩き出す、はずだったのだが。
「……愛美?」
「……えっと、おはよ、雷くん…」
扉を開けると、そこにはインターホンの前で指を彷徨わせる愛美の姿があった。
気まずそうに下を向きながら、彼女は一歩踏み出した。
「その、一緒に学校行きたいな、と思って……」
顔を真っ赤にしてそう言われてしまえば、雷に断ることなどできなかった。……もともと断るつもりなど毛頭なかったのだが。
「オイオイオイ、雷、マジかよ。そんな漫画みたいな、オイ!」
と、二人きりの世界に無粋な野次がテンションマックスで割り込んでくる。
驚きと恥じらいで石のように固まってしまう愛美を隠すようにして父の方を振り返り、雷は少し棘のある口調で吐き捨てた。
「父さん、こちら、友達の宵月さん。入学した頃から仲良くしてもらってるんだ」
「えっ、あっ、ハイッ! 雷くん、ううん、真雲くんのお父さん、はじめまして! 宵月愛美です」
しどろもどろになりながらもなんとか誤魔化そうとする二人に、雷の父は意地の悪い笑みを浮かべながら詰め寄る。
「いいんだぜ、無理して呼び方変えなくても。ありのままの関係を見せてくれよ」
「おい、父さん!」
雷の憤慨もなんのその、お節介な父は愛美に近づくと、笑顔で語りだす。
「宵月さん、うちの愚息が迷惑かけてないかい? もしあったら言ってくれ。後で叱っとくから」
「えっと、その、そんなこと、ないです……雷くんにはいつも助けられてばっかりで……」
「お〜い、聞いたか少年? いつも助けられてるって……」
人見知りが発動し、真っ赤になって首を振る愛美の手を引いて、雷はなんとかその場から逃げ出した。
「宵月さん、いつでもうちに遊びにおいで! いってらっしゃい、良い一日を! Have a nice day!」
「父さんのせいで滅茶苦茶だよ!」
見事な発音の英語に背中を押されながら、二人はようやくいつもの道に足を踏み入れた。
しばらく黙って歩いていた二人だったが、手を繋いだままでいることに気づいて慌てて放す。やがて、先に口を開いたのは愛美だった。
「あ、はは……雷くんのお父さんって、面白い人だね……」
「本当にごめん……」
愛美は顔を赤らめながら、しかし微笑んで首を振った。
「ううん、いいの。ちょっと強引すぎる気はするけど。雷くんのお父さんなんだから、きっといい人だもん」
そう言った顔があまりにも可憐で、雷は思わずまじまじと見つめてしまう。
「雷くん、だめ」
「ん、何が?」
愛美は頬を膨らませ、怒った、と言わんばかりに目を細める。……顔が可憐すぎるあまり、一切怒っている、とは感じられないのだが。
「あんまり見られると恥ずかしいから」
「あ、ごめん」
言われるまで気づけなかった自分に、一欠片の嫌悪と恐怖を抱く。しかし、そんな思いも愛美を見れば一瞬でかき消されてしまう。
そんな異常さに気づかないまま、二人はようやく学校へ向かって歩き始めた。悪魔との戦いという血みどろの運命を歩みながらも、幸せはたしかにここにある。
何気ない話をして、ささやかな笑いを共有する。そんな、幸せな時間が流れていく。
……その後ろ姿を見つめ続ける、首なき悪魔の視線に気づくこともないまま。




