第一章 31話 「首狩りの悪魔 襲来編 4」
雷が目を開けると、すぐそこに愛美の顔があった。
そこで初めて、昨日あった出来事を思い出す。疲労に負け、少し休憩するつもりが一晩寝込んでしまったのだ。
(今日が土曜で良かった。)
時計を見ながら、ほっと胸を撫で下ろす。時刻はすでに朝の10時を回っており、学校があれば大遅刻間違いなしだ。スマホを確認すると、舞衣から大量の着信があった。手早く返信し、改めて現状に向き直る。
(さて、どうしたものか。)
雷は愛美の家に招待されている身なわけで、流石に彼女が寝ている間に立ち去るのは無作法だろう。しかし、だからといって心地よさそうに寝ている愛美を起こすことも憚られる。
どうするべきか悩んでいると、雷の腹が鳴った。昨日の夜から何も食べず、眠ってしまっている。空腹を覚えるのも当然のことだ。
(もう遅いけど、ご飯でも作って待っとこうかな。)
愛美の喜ぶ顔が見たい、という一心で、そんな考えが浮かぶ。
勝手に家を散策するのは申し訳ない、と思いながらも、雷はそっと立ち上がり、台所へと向かった。以前この家に来たときに愛美と二人で料理をしたことがあるので、この家の奇妙な構造については理解している。
あまり時間をかける気にもなれず、手早く作れるものを考える。
(卵焼きと、後は適当に炒め物でも作ろう。)
時間も時間なので、急いで調理を始める。野菜を切って、フライパンに油を引く。程なくして香ばしい匂いが漂い始めた。
集中して料理していたせいで、彼は背後からこっそりと近づいてくる足音に気づかなかった。
「おはよ...。何してるの?」
まだ眠気の抜け切らない声で、愛美は雷の背中に顔を埋め、呟いた。
その感覚がどうしようもなくくすぐったくて、雷は思わず笑みをこぼす。
「おはよう、愛美。勝手に帰るのも良くないと思ったから。せっかくだし朝ごはんくらい作っていこうと思って。
「ふぇ、朝...?あれ、もう10時...。」
時計を確認することでようやく状況を理解し始めたのか、愛美の頬が次第に赤く染まっていった。
「もしかして、わたしたち、一緒に寝落ちしちゃってた?」
雷が無言で頷くと、彼女は慌てたようにその小さな指をもじもじと絡ませた。昨日の戦いでの出来事が嘘かのように、その表情は可憐な少女のものだった。そんな彼女を見ているだけで、雷の心臓は今にも弾けそうなほどに強く暴れ始める。
近頃、雷の愛美に対する好意は異常というしかないほどに高まっている。馬鹿げているとは思いながらも、自身の心臓を心配せざるを得ないほどに。
「せっかくだし、一緒に料理する?」
雷のその言葉に、愛美の表情が緩んだ。
「うん。前にも一緒にご飯作ったよね。まだわたしの秘密を知る前だったけど。」
忘れるはずもない。雷が初めてこの家に訪れ、そして悪魔に襲撃され、瀕死の重傷を負ったあの日だ。あの日、あの血の契約によって彼は悪魔と戦う運命へと足を踏み入れたのだから。
「今日は何を作るの?人と一緒にお料理するの、久しぶりだから。雷くんにメニューは任せる。」
そう言って、彼女は少し首を傾げて微笑んだ。
(駄目だ。可愛い。)
寝起きの脳に、愛美の美貌は刺激が強い。しかも場所が愛美の家であるということと、本人も寝起きであるということも相まって安心しているのか、いつも以上に距離が近い。
器用に卵を片手で割るその慣れた手つきに見惚れていると、彼女は照れくさそうに呟いた。
「雷くん、そんなに見られると落ち着かないんだけど...」
「ああ、ごめん。慣れてるな、と思って。」
「...そう、だね。一人暮らしにはもう慣れちゃった。」
(馬鹿だ、僕は。またやってしまった。)
愛美の表情が曇るのを見て、雷は思わず内心悪態をついた。彼女がほとんどいつも一人で暮らしていて、寂しさを感じていることは他でもない雷が一番よく知っているはずなのだ。
そんな愛美の支えになることが、彼の望みだったはず。しかし、今は結果としてその心の傷を抉る原因となっている。
寝起きだったこともあるのだろう。本当に、考えなしに体が動いた。雷は咄嗟に、彼女のその細い肩を抱き寄せていた。
「えっ...?」
間の抜けた声を上げ、愛美が固まる。
(何やってんだよ僕は。普通に嫌われるだろ!)
「ごめん!本当にごめん!」
慌てて手を離そうとしたが、彼女は雷にしがみついた。
「いいの。もうちょっとだけ、このままでいたい。」
好きな女子にそう言われて引き剥がせるほど、雷の意志力は強くはなかった。
腕の仲の小さな体から、確かな温もりと、速さを増していく心音が伝わってくる。雷自身の心臓も、今にも弾けそうなほどに強く鼓動を刻んでいた。
雷の胸に耳を押し当てている愛美にもそれがわかったようで、彼女はくすりと笑った。
「雷くん、どきどきしてる?」
「...うん。」
「...ふふっ、じゃあ、わたしの勝ちだね。」
「君には勝てないよ。」
二人きりで過ごす休日は、あっという間にすぎていった。
◇
あれから、数日が経過した。日常は何事もなかったかのように動き出した。しかし、あの首狩の悪魔がまだ殺戮を繰り返していることは、ニュースの報じるところからも明らかだった。
雷は珍しく一人で登校していた。愛美は「朝の委員会があって、明日は一緒に行けないの。ごめんね!」と言っていたが、雷からすれば別にお願いもしていないのに一緒に登下校してくれているのだから、謝られる筋合いはないのだ。
それでもやはり、いつも二人で談笑しながら歩く道を一人で歩くのは静かで、寂しかった。
教室にたどり着くと、中から話し声が聞こえた。どうやら愛美と佳奈の声らしい。
特にやましい目的があったわけではないが、なんとなく入って行きづらくて、雷は扉の影で待機することにした。
ところが、耳に飛び込んできた内容は驚くべきものだった。
「ねえ、愛美はさ、真雲のこと、好きじゃないの?」
(はぁ!?何聞いてるんだよ、佳奈!)
「好きって?雷くんは頼りになるし、いつも助けてくれるし、話を聞いてくれるから、好きだけど?」
「違う、そういうのじゃないの。あいつのこと、男としてどう思ってるかってこと。」
(おいおいおいおいおい、何聞いてるんだよ本当に!なんで僕はこのタイミングで居合わせたんだよ!)
結果を聞く勇気はないが、かと言って結果が気にならないと言えば嘘になる。それに、今ここで立ち去れば後々後悔することになる、と雷の心が告げていた。
口から内臓が飛び出そうな感覚を抑えながら、雷は息を潜めて扉に耳を押し当てた。
「男の人として好きっていうのは、愛してるってこと?」
愛美が無邪気に尋ねる。
「まあ、間違ってはないね。」
「じゃあ違う、と思う。雷くんのことは好きだけど、愛してるわけじゃないもの。でもね、雷くんはすっごく優しくて、かっこよくて、わたしの特別な人なんだよ?」
それ以上聞く勇気が湧かず、雷は逃げるようにその場を後にした。ただでさえ心臓が悲鳴を上げているときに急に走ったこともあり、すぐに息切れが襲ってくる。
(切り替えないと。少なくとも、あの首狩りの悪魔を倒すまでは。)




