第一章 32話 「首狩りの悪魔 襲来編 5」
今にも吐き出しそうなほどに強く響く鼓動を必死に抑えながら、なんとか教室を離れる。あの言葉の先を聞けるだけの勇気が、雷にはなかった。
(わかっていたはずなのに、みっともないな。僕は。)
嫌な動悸から逃れるようにして、何度も自分を責める。そう。わかっていたはずなのだ。愛美にとって雷は確かに特別な存在。しかし、それは彼女が背負うには重すぎる、血みどろの運命を唯一打ち明けることのできる相手であるという意味であり、決して恋愛感情の対象として好き、というわけではないのだということを。
わかっていてなお、期待を捨てきれずにいるのは雷の願望であり、愛美にはなんの非もないということも、聡い彼にはわかっていた。
(切り替えろ、僕。こんな状態であの首狩りの悪魔と戦えるはずがないだろ。)
愛美に傷を負わせ、また、雷自身の首を危うく切り飛ばしかけたあの鎌の痛みを思い出す。悪魔と戦うことには、慣れたと思っていた。
しかし、あの首のない異様な姿を見た瞬間、雷は心の何処かで「勝てない」と思ってしまったのだ。さらには、彼よりもずっと長く悪魔と戦ってきたはずの愛美でさえ恐怖に震え、涙を流した。文字通り「格が違う」悪魔だった。
心がすっと冷えていくような恐怖とともに、動悸が収まっていく。
そんな自分が体だけでなく心までも次第に人間から離れていっているような感覚に不快感を覚えながらも、雷は再び前を向き、歩き始める。
なんの考えもなくただ歩いていると、いつの間にか生徒玄関まで戻ってきてしまっていた。
「よっ、雷。」
顔を上げると、目の前には純也がいた。
「元気なさそうだな。話してみろよ。聞くぐらいなら馬鹿な俺でもできる。」
「...ああ、助かるよ。」
フィジカルの化物の幼馴染は決して頭が良いとは言えないが、雷が傷ついているときには決して見捨てない。そんな純也がいるおかげで、雷は何度も救われてきたのだ。
「今から僕が言うことは、誰にも言わないでほしいんだ。」
「わかった。約束だ。」
「実は、僕には好きな人がいるんだ。」
「...?ああ、知ってる。宵月さんだろ?それがどうかしたのか?」
思いがけない返答に、開いた口がそのまま固まる。
「何を驚いてるんだよ。そもそも、男子であの人に好意を持ってないやつなんていないだろ。」
「あ、ああ。そうかもしれない...」
先程あれだけ勇気を振り絞って口を開いたことが馬鹿馬鹿しく思えてきて、雷は開いたままの口を勢いよく閉じた。
「で、傍から見たらお前と宵月さん、付き合ってるようにしか見えないけど、どうなんだ?」
「いや、実は多分僕の片思いだ。」
「嘘だろ。カラオケ行ったときにあれだけ自然に間接キスしておいて、片思いは無理があるって。」
それを聞いて、はっとする。すっかり感覚が麻痺していたが、そのとおりだ。愛美は誰に対しても距離感が近いが、雷に対しては格別だ。ただの秘密の共有相手ならばそこまでする必要があるとは思えない。
だが同時に、共に戦ってきた仲である雷にはわかる。先ほど佳奈に尋ねられ、困惑したように答えていた愛美の言葉に、嘘偽りはないということも。
心に渦巻く疑念は、深まるばかりだった。
心の靄を払うように、純也に話しかける。
「純也には好きな人はいないのか?」
「あ〜...強いていうなら宵月さんか?」
「おい。」
「冗談だって。まあ、好きじゃないって言ったら嘘になるけど、...わかったって。そんなに睨むな。」
にやにやしながらからかってくる純也を睨みつける。彼はおどけた態度で両手を上げ、降参のポーズをとった。
「愛美は絶対に渡さないからな!」
「...雷お前、そんなこと言うからすぐバレるんだろ。」
「うるさい。」
言い合いをしながら歩いているうちに、再び教室についた。まだ他のクラスメイトは来ておらず、扉を開けると愛美がぱっと表情を明るくして駆け寄ってきた。佳奈が後ろで呆れたような表情をして佇んでいる。
「雷くん、おはよ!...どうしたの?大丈夫?」
まさか先ほどの会話を雷が聞いていたなど、知りもしない、純粋な瞳。
それでいて、雷の少しの異変にも気づき、心配そうに距離を詰めてくる。なんの計略も、下心もなく、自然に体を触れさせてくる。そんな彼女を守りたいと、心の底から思った。
彼の心臓は、痛いくらいに跳ねていた。
(ああ、やっぱり僕はどうしようもないくらいに君のことが好きだ。)
戦いに集中しようという気も、彼女の笑顔を前にしては霧散してしまう。なぜなら、今現在の彼にとって愛美は「片想い中の少女」であり、「命の恩人」であり、そして同時に「守ってあげたい大切な人」なのだから。
◇
顔を赤らめ、愛美に頬を触られるがままになっている雷を生暖かい目で見つめながら、佳奈はぼそりと呟いた。
「な〜んであれで付き合わないかねぇ...」
「ああ、本当にな。」
思わぬ返事に、佳奈が慌てて横を向くと、そこには純也が腕組みをして立っていた。
「俺もあんな風に青春してえよ...」
どこか遠い目をして雷を見つめる彼に向けて、慌てて口を開く。
「じゃ、じゃあ、今日の昼、一緒に食べる...?」
「え?何か言ったか?」
「...っ!何でもない!」
(あ〜あ。何でこんな鈍感を好きになったのかなぁ...)
刻一刻と激しさを増していく動悸が純也に伝わらないことを祈りながら、佳奈はため息をついた。
その時教室の扉が開き、数人の男子生徒が談笑しながら入ってきた。しかし、完全に二人の世界を展開している雷と愛美を見た瞬間に立ち止まり、半目で黙り込む。
(あ、多分あいつらも同じ事考えてる。)
そんな事を考えながら、佳奈は純也の横に並んで雷たちに生暖かい目線を送り続けた。しかし、彼女自身もまた、男子たちから「浅野と風間も早く付き合え」と焦れったく思われていることには、気付くことはなかった。




