第一章 29話 「首狩りの悪魔 襲来編 2」
「......。」
「......?」
雷は、右腕に触れる温かな感触に体を強張らせていた。隣に恐る恐る目をやると、期待に目を輝かせる愛美がいる。その笑顔には逆らえず、雷はため息を付きながら再び前を向いた。
正直なところ、全く嫌な状況ではない。むしろ、彼にとっては嬉しいことであるのだが、事はそう単純ではなかった。
雷の腕に笑顔で抱きつく愛美。しかし、それを見ているのは雷だけではない。
クラスの男子の数人が、険しい目つきで二人を(主に雷を)睨んでいた。
(どうしてこうなったんだっけ...)
雷は、今日起きた出来事を順に探り始めた。
それは、昼休憩のこと。
「雷、学校終わったらカラオケ行こうぜ。」
準夜に突然誘われたことが、きっかけだった。昔からよく遊んできた仲だ。雷が断るはずもなかったが、いつもと違う点が一つだけあった。
「雷くん、カラオケって何?」
隣の席で不思議そうに首を傾げる愛美。彼女は幼い頃から外と隔絶された生活を送ってきた。とてつもない知能を持ち、成績は常にトップを走り続けているが、日常における些細な知識においては何も知らないところがあるのだ。
「友達と一緒に歌を歌う場所だよ。」
雷が補足すると、愛美はその可憐な顔にぱっと笑顔を浮かべた。
「わたしも行きたい!」
それが引き金になった。普段は雷と一緒に帰ってしまう愛美がカラオケに行く。その情報を、愛美にぞっこんのクラスの男子たちが聞き逃すはずもなかった。
「俺も行きたい!」
「俺も!」
「俺も混ぜて!」
あっという間に、雷たちの周りに人だかりができる。あまりにも人数が多すぎたので、純也がじゃんけんをして、彼に勝った2人と、佳奈(純也と行動できる絶好のチャンスなので雷が手配した)。それに雷、愛美、純也を加えた6人で行くことになったのだった。
そして、今に至る。
「愛美〜!おまたせ!」
「あっ、佳奈ちゃん!」
親友の到着に、愛美が雷から離れて佳奈に抱きつく。その隙に、男子二人が雷に詰め寄った。
「なあ、真雲。お前、宵月さんと付き合ってるよな?」
「見せつけてくれちゃってよ。どうやったんだよ。」
羨望の目線が、雷に突き刺さる。もともとあまりこういったノリが得意でない雷は、しどろもどろになりながらもなんとか答えた。
「付き合っては、いないよ。」
「「嘘つけ!あの距離感でそれはないだろ!」」
同時に叫ばれ、雷は縮こまった。実を言うと、純也以外に男子の友達がほとんどいないので、男子と話すことは少ないのだ。そして、基本的に彼のそばにはいつも愛美がいる。付き合っていると勘違いされたとしても、仕方ないだろう。
しかし、雷は知っている。愛美がいつも一緒にいたがるのは、秘密を共有している相手が雷しかいないからだ。悪魔との戦闘や、魔法について人に知られるわけには行かない。二人で戦う以上、行動をともにするのは当然のこと。それを知っているからこそ、雷はその想いを打ち明けられずにいるのだから。
「準備できたけど、行かないの?」
何も知らずに無垢な笑顔を浮かべる愛美に、男子軍は一瞬で態度を変え、笑顔を浮かべた。
「「よし、出発だ!」」
その様子を見て、愛美は可笑しそうに笑うと、雷に微笑みかけた。その顔の破壊力に口角が上がってしまっていることに気づき、慌てて真顔を作っていると、佳奈と純也が顔を見合わせてにやにやしていた。
いつもよりも頬の赤い佳奈を軽く睨みつけると、彼女は慌てて雷の近くへと駆け寄ってきた。
「ちょっと、真雲?例の件、話したりしないよね?」
「冗談だって。」
雷と佳奈は、秘密同盟を組んでいる。同盟、と大げさに言っているが、実際は互いの恋愛を応援し合っているだけなのだが。
純也のことが好きな佳奈と、愛美が好きな雷。今回佳奈を連れてきたのも、一向に関係の進展しない純也と彼女の距離を縮めるためだ。
他愛もない雑談をしながら、まだ日の明るさの残る街を歩く。男子二人の猛烈なアプローチに、愛美は困ったような、しかし楽しそうな笑みを浮かべていた。その様子を見ているだけで、雷は今までの戦いが報われた気がした。
カラオケにつき、各々が飲み物を選び、部屋へ入る。
雷はまで歌の上手い方ではない。少なくとも、自分の歌声が好きなタイプの人間ではない。そのため、あまり人前で歌うことは好きではないが、今回ばかりは違った。
純也がそこまでうまくない歌を披露してくれたおかげで、ハードルが下がったのだ。
自分の番が終わり、次を待っている途中に、突然肩を軽く叩かれた。
「雷くん、ジュースちょっと分けて?」
愛美の魅了に逆らえず、飲みかけのコップを差し出す。彼女は少しだけ口をつけると、涙目で言った。
「わたし、炭酸弱かったみたい...」
その顔があまりにも可憐で、愛おしくて、雷はいつの間にか自分の番が回ってきて、周りの面々が生暖かい目で自分たちを見つめていることにしばらく気づかなかった。
「じゃあ、わたしが歌うね。」
と、そこで初めて愛美がマイクを持った。選んだ曲が先程佳奈が歌ったものと同じだったので、その場の全員が訝しげな表情を浮かべたが、彼女が歌い始めた瞬間、空気が変わった。
細く、今にも消えそうでいて、はっきりとした芯のある声。ただ、普通に話すときと同じように、いとも簡単に言葉が紡がれていく。
雷は、生まれてから今まで聞いた中で一番上手な歌だと感じた。それほどまでに、その歌声は彼の心に響いた。
愛美の歌が終わるまで、誰一人として指一本動かすことはできなかった。僅かな雑音が、この歌声を遮ることさえ不快に思える。それほどまでに、美しい歌声だった。
愛美が歌い終えてからも何人かが歌ったが、先程の彼女の歌の後ではどれも陳腐に聞こえた。
程なく、解散となった。
自然な成り行きで、帰り道は愛美と二人きりになった。実を言えば純也の家も同じ方向なのだが、佳奈と帰らせているので、問題ない。
愛美が弾んだ声で話しかけてきた。
「ね、ね、今日、楽しかったね!」
楽しそうな様子の彼女を見て、雷自身も嬉しくなった。
「君は、歌が上手いね。びっくりしたよ。」
「そう?人前で歌うのなんて初めてだったから、緊張であんまり上手にはできなかったけど。」
彼女は、心底不思議そうにそう言った。その表情になにか引っかかるものを感じながらも、雷はなにも言い出せなかった。
しばらく経って、愛美は言った。
「今日はもう遅いし、悪魔偵察は今度にしよっか。」
「そうだね。」
人が増え、二人は自然と手を繋いでいた。不安を感じたのか、愛美の小さな手に力がこもる。安心させるように握り返しながら、雷はこの上ない幸福を感じていた。
しかし、次の瞬間。
「あれっ?誰もいなくなった...」
人の波が一瞬で引き、辺りには誰もいなくなった。雷は背中に冷たいものが走るのを感じた。
(この感じ、あの時の...!)
そう、忘れもしないあの時。彼が初めて悪魔と出会い、死の淵に立たされたあの事件。
「愛美。僕の後ろに隠れて。」
愛美は何も言わずに頷き、引き下がった。
「ファルシオン。来い。」
続いて、使い慣れた曲剣を召喚する。その刃はいつも以上に鈍く輝いており、なにか強大な邪悪が近づいてきていることを示唆していた。
どこからともなく、金属が地面と擦れる不快な音が響き渡る。
「オ前タチノ、首ヲ...!」
剣を構え、愛美にそっと囁く。
「どうやら、首狩りの犯人の方からお出ましのようだね。」
「うん...気を付けて。なんか強そうだよ、雷くん!」
身構える二人に対峙する形で暗闇から姿を表したのは、首のない、華奢な女性の姿をした何かだった。その触れれば折れてしまいそうなほどに細い体にはボロボロのドレスのようなものをまとい、ハイヒールを履いている。そして、その体型にはあまりにも不釣り合いな、巨大な鎌。
黒ずんだその刃は、冷たく光を反射した。
「首ヲ...渡セ!」
その細腕で、その悪魔は鎌をいとも簡単に担ぐと、二人に迫った。
「愛美!拘束の用意を!」
「うん、任せて!」
日常は一瞬で過ぎさり、再び血に塗れた戦いが始まる。
首狩りの悪魔、ついに本格登場しました。
物語もだんだん暗い方向へと動き出します。




