第一章 23話 「逆襲 3」
鳥のさえずりが朝の訪れを告げる。少年は金髪の下に隠れた目を、ゆっくりと開けた。
(朝、か。)
まだ外は暗い。当然だ。少年はいつでも起床時刻の二時間前には起きるようにしているのだから。いつもは、冷たい石造りの一人部屋は静かで、寂しい空気を漂わせているものだ。
しかし、今日は違った。隣に、整った顔に落ち着いた表情を浮かべ、静かな寝息を立てている少女がいる。
アメリア・ロンド。少年にとって母の次に大切で、この学院で最も可憐な少女。
(早く部屋に帰さないと、後で大変な騒ぎになるな。)
「おい、起きろ。朝だ。」
「っ、ぅう~ん。」
「お前、ほんとに寝覚め悪いのな。」
「ふぁぁぁ~。」
眠たげな声を上げ、アメリアが抱きついてくる。
「おい。」
アメリアの細い腕をそっと握り、軽く揺する。起きない。
(知らねえぞ、後で文句言うなよ。)
水道のところまで行き、水を出す。冷たい水が寝起きの肌に当たり、思わず身震いをする。震えを無理矢理押さえ込み、水流に手を浸す。そして、手で水を運び、無防備なアメリアの首筋にそっと垂らした。
「きゃんっ!」
悲鳴を上げ、アメリアが飛び上がった。
「おはよう、寝坊のお嬢様。」
「なっ、なっ...!」
アメリアは長いまつげを瞬かせながら少年を見つめていたが、やがて憤慨したようにそっぽを向いてしまった。
「早く自室に帰れ。見つかれば騒ぎになる。」
「あんた、起こし方ってもんがあるでしょ...」
「お前が起きないのが悪い。」
「いや、そうだけどさあ...」
ぼさぼさの銀髪をまとめながら、アメリアが立ち上がる。
「じゃっ、じゃあ、邪魔したわね。」
そう言い、彼女は秘密通路のある壁に向かって歩いて行く。
「待て。忘れ物だ。」
少年は、枕元に忘れられていた髪留めをとり、アメリアの手に握らせた。彼女は、目を細めてそれを見つめた。
「懐かしいわね。お母様の形見の、この髪飾り。これのおかげで、あんたと出会えたんだもの。」
「ああ。お前のせいで俺の学園生活はめちゃめちゃだ。」
「ちょっと、何よ。誰があんたの話し相手になってあげてると思ってんのよ。」
「...そうだな。いつもありがとうな。お前の顔を見れるおかげで毎日退屈してねえよ。」
「ちょっ!急に何よっ!」
アメリアは顔を赤くしてそう叫んだきり、通路に駆け込んでいってしまった。
(冗談と思われていたっていい。俺の想いは、あいつに伝わらなくていい。)
目に冷たい光を宿し、少年は邪魔な前髪を振り払った。
(嘘は言ってない。母さん、嘘は言ってない。ただ、全部を話してないだけだ。)
立ち上がり、アメリアが姿を消したのとは別の通路に忍び込む。
(アメリアはまだレイスに可能性を感じてる。また話しに行く前に、レイスに謝罪させる。)
昨日から着たままだった服のシワを軽く整え、足音を隠すことなく歩き出す。レイスの日課は調べつくしている。この早朝に、彼は自室から出て広い中庭を見渡せる渡り廊下を一周する。取り巻きを連れずに。
(部屋に物的証拠はなかった。ならば、直接カマをかける。)
複雑な構造の秘密の迷路を迷うことなく進み、渡り廊下へと出る。柱の陰に隠れ、しばらく待つ。
やがて、朝の冷たい空気に少年の指先が冷たくしびれてきた頃。
石造りの廊下に足音が響いた。冷たい音は、次第に少年の近くへと迫る。少年が口を開きかけた瞬間、足音が止まった。
「そこに隠れている君。出てきたらどうだい?」
別に必死で隠れていたわけではなかったが、それでも気付いたレイスに体が緊張で震えるのを押さえられなかった。
平静を装い、柱の陰から姿を見せる。
「さすがはレイス先輩。僕がいることにお気づきだったとは。」
レイスは、少しだけ驚いたように眉を上げた。
「驚いたな。女の子に待ち伏せをされたことはたくさんあるけど、男は初めてだ。」
(一回黙らせようかな、こいつ。)
思わず殴りかかりたくなる心を抑え、笑顔を貼り付けて口を開く。
「すみません、こんな早朝に。実は先輩に折り入って聞きたいことがありまして。」
「おや、何だろう。」
「アメリアが先輩に会った後、大泣きして帰ってきたんです。...何か知りませんか?」
静かに、だが圧を込めて訪ねる。レイスは目を細め、一瞬少年を睨むかのような顔をしたが、すぐに微笑みを浮かべ、言った。
「ああ、確かに。あの娘、結構すぐ泣いちゃったからね。あんまり楽しめなかったから覚えてるよ。」
「...はい?」
思わず素で疑問が飛び出る。普段表情を表に出すことをしない少年とっても、受け入れがたい現実だった。
穏やかな笑顔で、狂ったことを語るレイス。きっと、彼はその気色の悪い本性をひたすらに隠して生きているのだと。そう思っていた。
まさか、ここまで表裏なく狂った存在だったとは。さすがの少年でも、表情が崩れないよう保つので精一杯だった。
「いやあ、あの娘、生意気にも僕にプレゼントとかしてきたんだよ。あのおてんばがだよ?どう思う?」
(黙れ。)
「僕の身にもなって欲しいよね、本当に。あの評判の悪さが僕にまで移ったらどうするつもりなのか。家柄がいいと言っても、所詮おてんば。ああいう子はすぐに淘汰されるんだよ。」
「ああ、そうなんですね。ずいぶんと楽しみにしていたみたいだったので、何かするのではとは思いましたが。」
得意の笑顔の仮面をかぶり、肯定的に接する。
「ねえ、君はあの娘と仲いいよね。どこがいいの?やっぱり家柄目当て?」
(母さん、俺に嘘をつくな、と教えてくれてありがとう。俺、嘘つかねえから。)
怒りに飲まれぬよう、嘘をつかぬよう、慎重に口を開く。
「あなたは侯爵家の人間ですよね?公爵の娘のアメリアを侮辱しておいて、無事で済むとでも?」
少年の攻撃的な発言を聞いてもなお、レイスは面白そうに腕組みをしている。少年は、さらに言い寄る。
「あなたの汚い趣味を、暴露してやりましょうか。」
ここで表情が崩れる。そう考えていた。万が一殴りかかってきてもやり返せるよう、さりげなく身構える。しかし、
「やってみなよ。いいよ?君が馬鹿にされるだけさ。」
「...僕は脅しを言いませんよ。」
奴の余裕がどこから来るものなのか理解できず、優等生の仮面を保つだけで精一杯だった。
「いやあ、だってあの娘がいくら偉くてもシャレン殿下に守られてる僕には勝てないもの。それに、ほかの奴らもあの娘にいい印象は持ってないみたいだしね。」
「っ!」
(こいつ、やけに自信満々だと思えば。第二殿下の後ろ盾があるのかよ。それに加え、周りの黙認。アメリアの父は第一殿下の派閥だ。この学院の一応の管轄は第二殿下派閥だから、こいつらにとってアメリアは邪魔、という訳か。)
身構えていた体から力を抜き、踵を返す。
(腐っているのはこいつだけじゃない。この学院が、この社会自体が腐りきってる。)
「言いましたね、先輩。言ったからには恨みっこなしですよ。」
口元に笑みすら浮かべ、そう言う。一方的な宣戦布告。だが、今はそれでよかった。
これは、彼の決意の証明でもあった。
「僕は明後日のパーティーであなたを下して見せます。楽しみにしていてください。」
敵に逃げる機会を与えるなど、彼にしては珍しい行動だった。しかし、それでいい。これほどまでにアメリアを侮辱する者の前で、冷静でいられたのだから。
「ああ、楽しみにしてるよ。」
レイスの声を背中に受け、少年はその場を後にした。
「クソッ!調子に乗りすぎだ!」
誰もいない隠し通路で、少年は一人壁を拳でたたき、叫んだ。
明らかにやり過ぎた。今までならば、潰す相手に宣戦布告をするような馬鹿な真似をすることなど、あり得なかった。しかし、今回はそれを忘れるほどに相手の本性が醜かった。
奴に怒っている自分に酔ってしまうほどに、相手が屑だった。
(駄目だ。終わったことに苛ついても仕方がない。あいつにどうやって謝罪させるか、どうやってあのプライドを潰すか、それだけを考えなくては。)
ふと、足を止める。
(いや、それだけでは駄目だ。アメリアに飛び火しないよう、派閥の対立の話を持ち込んではいけない。)
起床時間を告げる鐘が響き始め、思考が遮られる。少年は急いで通路床の重いタイルを持ち上げ、自室に滑り込んだ。
貴族会の話って難しいです。
もしかしたらここのあたりのエピソードは後々書き直すかもしれません。




