第一章・異世界エルメアへ(その4)
しかしその和気あいあいとした雰囲気も、長くは続かなかった。しばらく行ったところで、空を飛んでいたメリルがびくりとして、何かにおびえるような不穏な動きを見せた。フィリアはそのようなメリルの様子を見逃さなかった。
「どうしたの? メリル」
智美が戸惑っていると、フィリアの顔に緊張の色がありありと浮んでいた。
「メリルは何かおかしなことがあると、その雰囲気を敏感に感じ取るの。この森の中に何かが潜んでいるかもしれないから、気をつけた方がいいわ」
フィリアだけでなくピートも、先ほどまでのフィリアたちと笑い合っていたなごやかな雰囲気と打って変って、息を飲んで体中の神経を研ぎ澄まそうとしていた。ピートの冒険者としての勘も、何らかの異様な雰囲気を感じ取っているようだった。
そしてその「気」は、すぐに智美にも感じられるようになった。智美が立ち止まると、森の空気そのものが重くなって、木々の間をそよぐ風の感触までもが変ったような気がした。智美は胸の奥が妙にざわつくとともに、肌の表面を冷たいものが這うような感覚にとらわれていた。
「……っ」
次の瞬間、ピートの表情が変った。
さっきまでの気楽そうな顔ではない。
鋭く周囲を見回しながら、低い声で叫ぶ。
「伏せろ!」
ピートは智美の腕を引っ張り、道脇の茂みへ飛び込んだ。フィリアもそれに続いた。
三人が茂みの中に身をひそめると、フィリアも身をかがめながら、杖をかかげて呪文を唱えた。すると智美たちの周りに、光の柱が立ち上った。
「結界を張ったの。これで敵が来ても安全だわ」
智美は草の匂いをかいで、思わず息を殺した。
やがて――。
「ギ、……ギ、……ギ、……」
金属が擦れるような不気味な音が近づいてきた。
智美が茂みの隙間からそっと道を見ると、そこを歩いていたのは人間ではなかった。
鈍い黒色の装甲。
人の背丈ほどもある異形の身体。
関節が機械のように軋み、赤い光が目のように点滅している。
まるでロボットだったが、どこか生き物の骨格にも似た、不気味な形をしていた。
「……っ」
智美はその姿を見ているだけで、胸がざわついて体に震えがこみ上げてきた。
嫌な感じがする。
言葉にできない、本能的な恐怖。
そこでピートが、智美に小声で耳打ちする。
「あれは『呪装』っていうんだ」
呪装。
その名前を聞いた瞬間、智美の背筋が冷たくなった。この世界は先ほど見た美しい鳥や甘い木の実のような明るい面ばかりではなく、影もあるということを智美もひしひしと感じ取っていた。
「……でもおかしいな」
ピートは眉をひそめていた。
「あいつがこんなに町の近くまで出てくることなんか、滅多にないのに」
フィリアも不安そうに杖を握りながら、メリルに話しかけた。
「メリル、すぐにサラ様のところに飛んで行って呪装が出たと知らせて」
するとメリルはすぐに、羽根を羽ばたかせて全速力で飛び去って行った。フィリアはそれを見送りながらも、表情から不安の色が消えなかった。
「メリルがすぐにサラ様のところに着いて、早く助けが来てくれるといいけど…」
そしてフィリアは、そっと智美に話しかけた。
「森のもっと奥に、封印された遺跡があるんです」
フィリアは声を潜めた。
「呪装は、どうやらその遺跡と関係があるらしいって……」
「でも詳しいことは、オレたちも知らない」
ピートが続ける。
「ただ、危険だから近づくなって、子どもの頃からずっと言われてる」
フィリアが小さくうなづく。
「特に子どもは絶対に入るなって、サラ様も……」
そのときだった。
呪装がぴたりと立ち止まった。赤い光がゆっくりこちらを向いた気がして、智美はおもわずぞくりとした。
(見つかった……!?)
智美は思わず息を止める。
だが数秒後、呪装は再びぎこちない動きで歩き始め、そのまま森の奥へ消えていった。
しばらく誰も動かなかったので、ピートがようやく息を吐いた。
「……行ったか」
フィリアもほっとしたように口を開いた。
「どうやら結界を張ったおかげで、気づかれずに済んだようですね」
智美も震える手を押さえながら立ち上がった。
胸騒ぎが消えない。あの呪装という存在、封印された遺跡、そして、自分たちがこの世界に飛ばされたこと…全部がどこかで繋がっている気がした。
そして智美の頭に浮かぶのは、やはり二人の顔だった。
(雅人……結以……)
もし二人が、あんなものに遭遇していたらと想像するだけで胸が締めつけられる。
そこでフィリアが心配そうに智美に目を向けた。
「大丈夫ですか?」
智美は小さくうなづいたものの、心の奥では不安がどんどん大きくなっていた。
自分たちは、本当にとんでもない世界へ来てしまったのかもしれない――。
だが呪装が立ち去って、智美たちが安堵したのも束の間だった。
ギ、ギギ……。
再び、あの不快な金属音が森に響く。
「っ!」
ピートが顔を上げると、森の奥の暗がりから赤い光がいくつも浮び上がっていた。
一体ではない。二体、三体――さらにその奥にも。
「まずい……!」
ピートが短剣を抜く。
フィリアの表情にも明らかな恐怖が浮かんでいた。
「こんな数……! 今は絶対に結界から外に出たらダメ。メリルに危険を知らせるように頼んだから、誰かが助けに来るのを待つしかないわ」
「でも、いつまで結界が持つんだよ」
さっきまで陽気だったピートも、それとは打って変って不安と焦りの色を浮べていた。
その間にも呪装たちはぎこちない動きで、しかし確実にこちらへ近づいてくる。結界を張っているはずなのに、気配に気づかれたかと智美は息を呑んだ。
その瞬間だった。智美の身体の周囲に、突然赤い光の粒子が現れた。
「え……?」
光の飛沫は空中を舞いながら、智美の前へ集まっていき、みるみるうちに形を作っていった。
それは一本の剣だった。刀身は銀色に輝き、柄には深紅の宝石が埋め込まれている。
智美は呆然とそれを見守っていた。
「なんで……」
だが不思議と恐怖はなかった。その剣を見た瞬間、「自分が使える」となぜか直感でわかった。――自分はこれまで、剣など手にしたことは一度もなかったのに。
その一部始終を、ピートも呆然としながら見守っていた。
「こんな立派な剣、今まで見たことない…」
智美がゆっくりと柄を握ると、その瞬間に光の柱が智美の身体を包み込んだ。
フィリアが思わず声を上げる。
「なっ……!?」
風が吹き荒れるとともに智美の髪が大きく舞い上がり、赤い光が全身を走る。身体の奥が熱い。だが苦しくない。むしろ逆だった。
(すごい……)
全身に力が溢れてくる。身体が信じられないほど軽い。まるで背中に羽根でも生えたみたいだった。さらに視界も研ぎ澄まされ、呪装の動きがひどく遅く見えた。
やがて光が静かに消えると、そこに立っていた智美は先ほどまでとは明らかに雰囲気が違っていた。
瞳には強い光が宿っている。
「……」
呪装たちが一斉に動いた。フィリアの張った結界があっても、その中で異変が起きたことは呪装たちも気づいたようだった。
だが次の瞬間、智美の姿が消えた。
「えっ!?」
ピートが目を見開く間もなく、智美は剣を手にしたまますでに呪装の目の前へと駆け出していた。
「トモミ! 結界から出たらダメ!!」
フィリアは思わず叫び声を上げたが、次の瞬間には信じられないものを目の当りにしていた。
智美は剣を握り直すとばねのように高くジャンプし、一体の呪装めがけて勢いよく剣を振り下ろした。鋭い踏み込みといい速度といい、それはとても小学生の女子のものとは思えなかった。
そして赤い軌跡が空を裂くと、呪装の身体が斜めに真っ二つになった。
ギギ……ッ。
断末魔のような音を漏らしながら巨大な身体が崩れ落ちると、それは地面に転がる冷たい金属片へと姿を変えていた。
だが智美は止まらなかった。まるで身体が自然に動くように剣が流れ、むしろ体の小ささを活かして呪装の懐に飛び込むと、二体目から三体目へと呪装を倒していった。重いはずの剣は羽のように軽かった。
そして智美が気づけば、最後の呪装も地面に倒れ伏していた。
しばらくして森に静寂が戻ると智美は肩で息をしながら、自分の手を見下ろした。
(私……今……)
自分でも信じられなかった。
こんな力、自分にはなかったはずなのに。
その後ろで、フィリアとピートは完全に固まったまま、ぽかんと口を開けている。やがてピートがようやく絞り出すように声を出した。
「おまえ……」
その目には驚きと警戒、そして少しの畏れが混じっていた。
「やっぱり、ただ者じゃないな……」




