第一章・異世界エルメアへ(その3)
森を抜ける道は、ゆるやかな坂になっていた。森の中の道を進むにつれて、やがて木々の隙間から遠くの景色が見え始めた。
その景色を見て、智美は思わず息をのんだ。石造りの建物が並ぶ町と、その向こうに広がる草原。
「あれがアウラム?」
智美が目を輝かせる。その本やアニメ、ゲームなどの中で見たファンタジー世界そのものの景色に、智美は思わず目を奪われていた。
「うん!」
フィリアが嬉しそうにうなづいた。
「大きな町ではないですけど、とてもいいところなんですよ。市場もありますし、パン屋さんもありますし――」
そこまで言った瞬間だった。
「あっ」
フィリアの足が道端の木の根に引っかかった。
「きゃっ!?」
小さな悲鳴とともに、フィリアの身体が前につんのめる。その拍子に、抱えていた薬草やキノコの入った籠がふわっと宙に浮いた。
「ああっ、薬草が!」
緑色の葉っぱが辺りにばらばらと散らばる。
「あっ……あぅ……」
フィリアは地面にぺたんと座り込んだまま固まっていた。それと同時に、その場は一瞬の沈黙に覆われた。
そしてピートが盛大に吹き出した。
「ぶっ……はははっ! フィリア、お前またやったのかよ!」
「わ、笑わないでくださいっ!」
フィリアが真っ赤になって抗議する。
「だってお前、昨日も階段で転んでただろ」
「そ、それはローブの裾が長くて……!」
その二人のやりとりを見て、智美は思わずくすっと笑ってしまった。さっきまで感じていた不安が、ほんの少しだけ軽くなる。
「だ、大丈夫?」
智美はしゃがみ込み、散らばった薬草やキノコを拾い集めた。メリルもそれを手伝っていた。
散らばった薬草やキノコを拾ううちに、智美は珍しそうな色のキノコに目を止めた。
「キノコには毒キノコもあるっていうけど、大丈夫なの?」
そこでフィリアが答えた。
「毒キノコと食べても大丈夫なキノコや、魔法薬の材料になるキノコはメリルが見分けてくれるの」
そこで智美はあらためてメリルに目を向けた。メリルは人間の言葉を話すことはできないけれども、魔法使いの使い魔としての力はあるらしい。
しばらくしてみんなで薬草やキノコを拾い終ると、フィリアは恥ずかしそうにうつむいた。
「あ、ありがとうございます……」
智美が近くで見ると、フィリアはどこか放っておけない雰囲気があった。フィリアは魔法使い見習いらしい落ち着いた喋り方をしているけれども、根はけっこうドジでおっちょこちょいなのかもしれないと智美は感じていた。
そこでピートは笑いながらフィリアに目を向けた。
「でもまあ、こういうやつだけど魔法は結構すごいんだぜ」
「ピートっ」
フィリアはすっかり困ったような表情をしていた。
「この前も火をつける魔法で鍋を爆発させ――」
「そ、それは失敗じゃなくて調整ミスです!」
フィリアはすっかり赤面していた。
「同じだろ!」
またピートが笑うと、フィリアは頬をふくらませた。
智美はそんな二人を見て、少し驚いていた。異世界の人たちなのに、まるで自分たちの学校の友達みたいだったからだ。
智美はわけもわからぬまま召喚されたこの世界を、怖い世界だと思っていた。けれど今目の前にいるのは、転んで恥ずかしがる女の子と、それをからかう男の子だった。その当たり前のやり取りが、智美の緊張を少しづつほどいていく。
やがてフィリアは籠を抱え直し、小さく咳払いした。
「……と、とにかく行きましょう」
「はいはい」
ピートがにやにやしている。
「もう転ぶなよー?」
「転びませんっ!」
そう言った直後、フィリアのローブの裾がまた枝に引っかかった。
「きゃっ」
「お前ほんと危なっかしいな!?」
今度は智美も声を上げて笑っていた。智美はこの二人を見ているうちに、自分は決してこの世界で独りぼっちではない、少なくとも気が合う仲間が二人はいると感じて、この世界のことを怖がるばかりではないのかもしれないと思い始めていた。
ちょうどそのとき、智美たちの頭上から鳥のさえずりが聞こえてきた。
「チ、チチチチ…」
その声を聞いて智美が思わず木の梢を見上げると、そこにはあたかも宝石のような青い羽毛の鳥が何羽か群れをなして留まっていた。その美しさに、智美は思わず見入っていた。
「あの鳥、すごくかわいい…」
やがてその鳥たちは、さえずりの声を上げると空高く飛び立っていった。その飛び去る姿を見送りながら、フィリアが智美に話しかけた。
「あの鳥はルリアっていって、森の奥に住んでいるの。特に朝になるときれいな声で鳴くので、『夜明けを告げる鳥』って言われているのよ」
「フィリアもいろんなことを知ってるのね」
フィリアの説明に智美が聞き入っていると、ピートが声を上げた。
「せっかくだからここでちょっと休んでいこうか」
そこでピートは、カバンの中を手探りした。ピートがカバンの中から取り出したのは、手のひらに乗るくらいの大きさの木の実だった。
「フィリア、また森で転んだりしないようにこれでも食べて落ち着けよ」
智美がもの珍しそうな目でその木の実を眺めていると、ピートが説明した。
「知らないの? この木の実はルーフの実っていうんだ。食べると甘くておいしいよ」
「ピートのお父さんは冒険者だから、ピートも冒険に役に立つことをよく知ってるの。たとえばロープの結び方とか」
フィリアに褒められると、ピートも照れくさそうな顔をした。ピートがルーフの実にかじりつこうとすると、フィリアが袋を取り出した。
「種や食べかすは散らかさないで、これにちゃんと捨てるのよ」
「わかってるよ」
智美は異世界の子どもたちもマナーを守ろうとしているのを見て、少しおかしく感じていた。
「それにピート、そんなに勢いよくかぶりついたら汁が飛ぶじゃない」
「ルーフの実はこういう風に食べるのが一番うまいんだよ」
フィリアとピートもルーフの実を食べて、すっかり元気になったようだった。
そこで智美もピートにすすめられるまま、ルーフの実を一つかじってみると、その途端に口の中にみずみずしくて甘酸っぱい感触が広がった。智美は先ほどからずっと緊張のために感じていた口内やのどの渇きを潤すことができて、少しほっとしたような気分になった。
「この木の実…私の世界では食べたことないけどおいしいね、ピート。どうもありがとう」
智美にお礼を言われると、ピートは元気に笑ってみせた。
「礼なんかいいって。困っている人や危ない目にあった人がいたら、有無を言わずに助けるのが冒険者の掟なんだよ。さ、そろそろ行こうか」
智美はピートの気さくな態度にも、少しほっとする思いがした。




