相部屋は騒がしいし、授業は面白いし、地下は絶対おかしい件
一
ハルティア魔法学校の入学式は、四月の第一週に執り行われた。
帝都の中心部からやや北に位置するその学校は、石造りの重厚な建物が中庭を囲む形で建てられていて、塔がいくつか空に向かって伸びている。正門をくぐった瞬間、桐子は全身に感じた。
精霊力が、濃い。
(おっ)
街中とは明らかに違う。建物の石材そのものに、何らかの魔法的な処理が施されているのだろうか。空気が違う。精霊力が豊かな森の中に近い、満ちた感覚がある。
(帝都の街中より全然濃い。ここなら人化の消耗を抑えられる。助かった)
ドラゴンの本能が、反応した。
(いい場所や)
それは純粋な感想だった。危険とかそういう話ではなく、ここが精霊力の流れにとって良質な場所であるという、生き物としての直感。
しかし同時に——その豊かな流れの中に、あの違和感が混じっているのも感じた。
薄い。ごく薄い。しかし確かにある。
濁り。
(帝都の外で感じてたあの乱れ、ここまで来とる。街中より精霊力が濃い分、乱れも感知しやすい。やっぱり、ただごとやない)
「キリア!」
背後から声がして、振り向くと金髪が駆けてきた。ルディアだ。
「やっぱり同じ学校だった! 嬉しい!」
「……ルディアさんも合格したんですね」
「したした! あ、さんはいらないよ。同い年でしょ? ルディアって呼んで」
グレン市出身、十八歳、魔法師の家系の三女、明るく人懐っこい性格。
入学式の前にすでにそれだけの情報を引き出されていた。
(この子の情報展開能力、えぐいな。私の情報収集能力と方向性が違うだけで、総量は負けてるかもしれへん)
「キリアはいくつ?」
「二十、です」
「年上じゃん! じゃあ先輩として色々教えてね!」
(どちらが色々教える側なのか……まあ、この世界の常識はルディアの方が知ってるから、正直お世話になる場面の方が多いやろな)
入学式は大広間で行われた。石造りのアーチ天井に、魔法灯が等間隔に並んでいる。新入生三十八名が横並びに椅子に座り、教員たちが壇上に並んでいた。
学長は七十代と思しき老女で、白髪を頭頂でまとめ、杖を持っていたが背筋は驚くほど真っ直ぐだった。声もよく通った。
「ハルティア魔法学校への入学を歓迎します。この学校で学ぶ二年間は、諸君にとって魔法師としての土台を作る、もっとも重要な時間です。同時に——」
ここで学長は一瞬だけ、どこか遠くを見るような目をした。
「この大陸に今、かつてない異変が起きていることも、知っている者は知っているでしょう。我々教員一同、その点においても諸君に必要な知識と力を与えることを、ここに約束します」
異変、という言葉が、大広間に小さな波紋を作った。
(知っている)
桐子は壇上の学長を見つめた。
(この人は、精霊力の乱れを知ってる。どこまで知ってるかはわからんけど、少なくとも触れたということは、否定するつもりはないということや)
(情報が、ある)
桐子の中で、研究者の部分が静かに目を覚ました。
(ここに来て正解やった。絶対に正解やった)
二
寮は男女別の棟に分かれており、女子棟は校舎の西側に位置していた。桐子に割り当てられた部屋は三階の突き当たり、二〇八号室。
案内に従って荷物を持って部屋のドアを開けると。
「キリア! 相部屋だった!」
ルディアが既にいた。
荷物を広げ、ベッドの上に腰かけ、完全にくつろいでいた。
「……そうみたいですね」
(なんでもう落ち着いてんの。着いたばっかりやろ)
「すごい偶然だよね! いや必然かな、縁だね! よろしく!」
「よろしく」
部屋は確かに、寮則にあった通り「八歩四方」だった。ベッドが二つ、机が二つ、小さな窓が一つ。荷物を置くとそれだけで手狭になった。
(ドラゴン時代は山ひとつが縄張りやったのに)
(八歩四方)
(……八歩四方)
(いや、広さの話は比べたらあかん。比べたらあかんで桐子。メンタルがやられる)
「狭くない? 私は平気だけど、キリアはどう?」
「……大丈夫です」
(大丈夫ちゃうけど、大丈夫って言うしかない)
「エルダ州って田舎でしょ? 広いところに住んでたんじゃないかと思って」
「まあ、それなりに」
(どれくらい広かったかと言えば、山脈ひとつぶんくらいやったけど、それは言わへん)
荷物を片付けながら、桐子は部屋の造りを確認した。石壁、木造の床、窓から見える中庭。窓は開閉可能で、夜になれば外の空気が入ってくるだろう。
(夜、確認できそうや)
夜の空気に乗って、精霊力の流れを辿れる。ドラゴンの本能はそれができる。この学校の精霊力の流れがどこで乱れているか、感知できるかもしれない。
「ねえ、キリア」
「はい」
「なんで魔法学校に来たの?」
直球だった。
(来ると思ってた。この子、遠回しな聞き方せえへんタイプや)
桐子は少し考えた。嘘をつくのが下手なわけではないが、嘘にも種類がある。完全な嘘よりも、本当のことを一部だけ言う方が、綻びが出にくい。
「知りたいことがあって」と答えた。
「何を?」
「精霊力のことを、もっとちゃんと学びたい。独学では限界があったので」
(これは本当のことや。任務のためだけやなくて、純粋に学びたいのも本当や)
「へえ」とルディアは言った。「研究系志望?」
「まあ、そんな感じです」
「私は実技志望。魔法師として仕事したい。お父さんと同じで!」
「お父さんが魔法師?」
「うん、宮廷魔法師。だから私も! って思ってたんだけど——」ルディアは少しだけ眉を曇らせた。
「最近、宮廷の方の雰囲気がなんか変で」
「変、というのは?」
「うーん、上手く言えないけど。なんか、ピリピリしてるみたいで。お父さんが帰ってくる日が減って、たまに帰ってきても疲れた顔してて」
(宮廷魔法師が何かを把握している、あるいは対応に追われている。精霊力の乱れに関連してる可能性がある)
桐子は聞きながら、情報を整理していた。
「気にしすぎかな」とルディアは言って、パッと顔を上げた。「とにかく、よろしくね! 二年間一緒に頑張ろうね!」
「……よろしく」
(この子、切り替えが早いな。でもさっきの表情、本当に心配してた。ただの愚痴やない)
桐子は短く答えた。
(この子は——素直でいい子や。できれば巻き込みたくない、とも思う。でも今はまだ情報が少なすぎる)
三
授業は翌日から始まった。
一年次のカリキュラムは、必修が六科目。魔法理論基礎、精霊力制御実技、錬成魔法入門、古語と魔法文字、帝国魔法史、そして自然精霊学。
桐子は時間割を眺めて、小さく息をついた。
(全部取ります)
選択科目が四科目あったが、全部登録した。ガレアスに確認を取ったら「普通は二科目だ」と言われたが、「大丈夫です」と押し切った。
「お前は学びに来たのか、情報収集に来たのか」
「両方です」
「……任務を忘れるなよ」
「忘れません。でも魔法を学べる機会なんてそうないので」
(しかも精霊力の理論を学べば、乱れの原因の調査にも直結する。全部繋がってるんやから全部取るのは合理的な判断や)
ガレアスは溜息をついたが、止めなかった。
最初の授業は魔法理論基礎だった。
教室は石造りの中規模な部屋で、半円形の段差式座席に新入生が並ぶ。黒板の前に立ったのは、四十代半ばと思しき痩せた男性教員だった。タリス先生、と自己紹介した。眼鏡をかけ、声は低く、淡々とした話し方をする。
「精霊力とは何か、から始めます」
板書が始まった。
桐子は、ここで少し困った事態に直面した。
この世界の文字を、読むことはできる。しかし書くのがまだ遅い。授業のペースで板書を写すには、もう少し練習が必要だった。
(キーボードで論文書いてた弊害がここで出るとは……手書きの練習、もっとやっとくべきやった)
仕方なく、写すのをある程度諦めて、聞くことに集中した。
タリス先生の説明は明快だった。
精霊力とは、この世界に満ちる根源的なエネルギーである。物質に内包されており、生命体は呼吸のように微量の精霊力を常時取り込んでいる。魔法師はその取り込み量と制御精度を意図的に高めることで、様々な現象を引き起こすことができる。
(ガレアスに教わった通りの話や。ただ「生命体は微量の精霊力を取り込んでいる」という部分——ドラゴンは「微量」どころやないけど、そこには触れへんのか。種族ごとの違いを授業でどう扱うんやろ)
「精霊力には、大まかに分けて四つの属性があります。炎、水、土、風。それぞれ共鳴しやすい物質と用途が異なります。ただし——」
先生はここで、チョークを黒板に軽く叩いた。
「属性論はあくまで便宜上の分類です。精霊力そのものに属性はない。術者の意図と制御の仕方によって、顕現する形が変わる——これが現代魔法理論の主流的な理解です」
(おっ)
桐子の中で、何かがかちりと噛み合った感触があった。
(エネルギーそのものに属性はない。顕現の仕方の問題。これ、めちゃくちゃ正しい理解や)
(前の世界で言えば、電気エネルギーが光にも熱にも運動にも変換できるのと同じや。エネルギー自体に「光属性」とか「熱属性」があるわけやない。変換の方法が違うだけで)
「質問があります」
声に出してから、少しだけ後悔した。
(あ、また衝動的に手挙げてもた。ガレアスに「目立つな」って言われてたのに)
クラス全員の視線が桐子に向いた。タリス先生が、少し意外そうな顔でこちらを見た。
「どうぞ」
「精霊力の総量は保存されますか? つまり、術者が消費した精霊力はどこへ行くのか、という話なんですが」
沈黙が落ちた。
(あ、難しすぎた? 一年生の最初の授業でする質問ちゃうかった? でも気になったんやからしゃあない)
数秒後、タリス先生が眼鏡の奥で目を細めた。
「良い質問です。精霊力の収支については、実は未解明な部分が多い。魔法を使って消費された精霊力は、一定時間後に環境中に拡散して再び取り込み可能な状態に戻ると言われていますが——その循環のメカニズムについては、現在も研究が続いています」
「循環が乱れると、総量が減少するということは起こりえますか」
また沈黙。
今度は少し長かった。
(先生の表情が変わった。これ、単純に難しい質問やから考えてる顔やない。何か知ってて、どこまで話すか計算してる顔や)
「——それは、どこで仕入れた話ですか」
先生の声のトーンが、わずかに変わった。
「独学の中で疑問に思ったことです」
(嘘はついてへん。ガレアスとの会話の中で疑問に思ったのは本当や)
「その議題については、後期の上級講義で扱います」とタリス先生は言った。「今は基礎から積み上げましょう」
授業が再開された。
ルディアが隣から小声で囁いてきた。
「キリア、すごい。先生が珍しそうな顔してた」
「目立ちすぎましたかね」
「いや、いい意味でだよ。でもあの先生、ちょっとビビってたと思う」
「先生が生徒に?」
「答えに詰まってたでしょ、一瞬」
(そうや。あれは詰まってた。知ってることと、言えることが違う人の顔や。研究者として、そういう顔は何度か見たことがある——データを持ってるのに発表できない時の顔に似てた)
桐子はもう一度、タリス先生の横顔を見た。
(この先生、何かを知っている。そして言えない理由がある)
その認識が、桐子の中で静かに根を張り始めた。
四
一番楽しかったのは、精霊力制御実技だった。
(楽しかったというか、楽しすぎて危なかった、が正確やけど)
屋外の訓練場で行われるこの授業は、実際に精霊力を扱う実践的な内容だ。担当はアイラ先生、三十代の女性で、長身で赤みがかった茶髪、きびきびとした動きが印象的だった。
「まず全員、精霊力を手のひらに集めてみてください。量は問いません。光として顕現できれば十分です」
新入生たちが各々やり始めた。
数人はすぐに手のひらに淡い光を灯した。家系が魔法師の者たちだろう。数人は時間をかけて薄らと光らせた。何人かはまったく光らせられず、先生が個別に指導を始めた。
桐子はどうするか、一秒だけ考えた。
(全力でやれば、たぶん目立つ。でもあまり下手にやっても不自然や。試験で実技首席やったんやから、ある程度はできると思われてる)
(加減して、中の上くらいで)
手のひらに意識を向けた。普段ドラゴンとして無意識に全身で取り込んでいる精霊力を、意識的に一点に絞り込む。ガレアスの訓練で散々やってきた感覚だ。人化の状態での制御は、ドラゴン状態より繊細で難しいが、それも今は慣れてきていた。
ぱっと、手のひらに光が灯った。
(あ、少し強めに出てしもた。加減難しい)
「できてる!」とルディアが隣で声を上げた。ルディアの手にも安定した光があった。「キリアすごい、綺麗な光だ」
「ルディアもできてますよ」
「私はまあ、家で練習してたから。でも色が違う、キリアのは青っぽい」
言われて桐子は自分の手を見た。確かに、少し青みがかっている。他の生徒の光は白や黄色が多い。
(ドラゴンの精霊力の色が出てるんか? 抑えた方がええんかな、でも抑え方がわからん)
やや不安になったが、アイラ先生は「個人差があります」と言っただけだった。
(セーフ。とりあえずセーフ)
その後の指導の中で、桐子は一度だけ、本気を出す羽目になった。
先生が「精霊力を飛ばしてみましょう、的に向かって」と言った時、加減を誤った。
飛んでいった光の塊が、的を中心から正確に貫いて、その奥の石壁に小さなひびを入れた。
(あ)
一瞬の沈黙の後、アイラ先生が「……制御の練習をしましょうね」と穏やかに言った。
(すみません。つい「どこまで飛ぶか確認したい」という研究者の衝動が勝ってもた)
ルディアが目を丸くしていた。
「キリア、化け物じゃん」
「加減を間違えました」
「加減って言えるのが既に」
「次はちゃんとやります」
(石壁のひび、ちゃんと直してもらえるかな。申し訳ないことをした)
五
異変に気づいたのは、入学から十日目の夜だった。
深夜、ルディアはよく眠る子だった。消灯後はすぐに寝息が聞こえてきた。桐子は布団の中で目を閉じたまま、意識だけを研ぎ澄ませていた。
ドラゴンの本能は夜が得意だ。暗闇の中で、精霊力の流れがより鮮明に感じられる。
(人化してても、感知能力はそんなに落ちない。よかった)
静かに、感じた。
校舎全体に満ちる豊かな精霊力の流れ。学生たちの寝息に合わせた穏やかなエネルギーの揺れ。外の夜風に乗ってくる草木の精霊力。
(これが、この学校の通常の精霊力環境か。豊かや。帝都の街中より明らかに濃い。建物の石材に術式が組み込まれてて、精霊力を集める仕組みになってるんやろな。人化の消耗が少なくて済む。助かる)
それらが渾然一体となった、複雑で美しい流れ。
そしてその中に——
(あった)
地下だ。
校舎の、地下から流れてくる。
あの濁り。あのノイズのような乱れ。ガレアスと初めて話した夜から感じていた、精霊力の「おかしさ」が、地下のある一点から滲み出している。
(帝都の外で感じてたあの乱れの発生源の一つが、この学校の地下にある?)
常にあるわけではない。断続的だ。まるで何かが、定期的に精霊力を乱している——あるいは、吸い取っているような。
(吸い取ってる? 精霊力を?)
桐子の中で、研究者の直感が強く反応した。
(精霊力循環の乱れの原因が「何かが精霊力を吸収している」なら、辻褄が合う。自然界に戻るはずの精霊力が戻らへんのは、どこかに流れてるからや。そしてドラゴンや妖精みたいに精霊力を多く持つ個体が行方不明になってるのは——その個体ごと、精霊力源として利用されてるから?)
背筋が冷えた。
(仮説や。まだ仮説やけど——確認しに行かなあかん)
桐子は今夜の行動を判断した。
(今夜は場所だけ確認する。深入りはしない)
そっと布団から出た。
六
夜の廊下は静かだった。
魔法灯が半分に絞られ、薄暗い光の中を、桐子は足音を消して歩いた。
(人間の体で足音を消すのは、ドラゴンの体より難しい。体が軽いぶん、かえって床の軋みが響きやすい。難儀やな)
一階まで降りて、校舎の中央部へ向かう。
地下への入り口は——地図では確認していた。入学時に配られた校舎案内図に、地下倉庫と書かれた区画があった。
しかし倉庫への扉は施錠されていた。
桐子は鍵穴を見た。魔法錠だ。
(魔法錠か。ガレアスに習った内容だと、基本的な魔法錠は対応する精霊力のパターンを入力すれば解除できる。まだちゃんと習ってへんけど——感覚的には理解できる。錠が発してる精霊力のパターンを読んで、同じ形を返せばいい)
やってみた。
三回目で、かちりと音がした。
扉が開いた。
(思ったよりできる。というか精霊力の感知精度が高いから、パターンの読み取りは得意なんかもしれん)
暗い階段を下りた。精霊力の感知を最大にして、注意深く。
地下は石造りの廊下が続いていた。所々に木製の棚があり、薬草や鉱物の標本、古い魔法道具が並んでいる。本当に倉庫として機能している。
ただ——奥に行くにつれ、あの「濁り」が強くなる。
(やっぱりここや。乱れの発生源はこの地下にある)
廊下の突き当たりに、もう一枚の扉があった。
これも魔法錠だったが——さっきのものより複雑だった。
(二重錠。パターンが複層になってる。これは今夜はちょっと無理や)
桐子は少し迷った。
(今夜はここまでにしよう。入学十日目の深夜に地下の二重錠を破るのは、さすがに早すぎる。情報収集は段階的に。焦って失敗したら全部終わりや)
しかし——扉の向こうから、確かにあの乱れた精霊力が滲み出している。
(それに)
もう一つ。
生き物の気配がした。
小さい。何か、小さい生き物が、扉の向こうにいる。
精霊力を持った、小さい何かが。
(精霊力の質が……独特や。人間とも違う、ドラゴンとも違う。妖精か?)
桐子は扉に手を当てた。扉の向こうの気配を読もうとした。
怯えている。
小さくて、精霊力を持っていて、怯えている。
(行方不明になっているという——精霊力を操れる種族)
桐子の中で、ドラゴンの本能が静かに怒りを始めた。
(精霊力を持つ個体を閉じ込めて、吸い取ってる。仮説が、一気に現実味を帯びてきた)
理性で、抑えた。
今ではない。今じゃない。
(確認した。把握した。それで今夜は十分や)
足音を消して、階段を戻った。廊下を歩いて、部屋に戻った。布団の中に滑り込んで、天井を見上げた。
隣のベッドから、ルディアの寝息が聞こえる。
(地下の二重錠の向こうに、何かいる)
(怯えている)
(この学校の誰かが、関わっている)
睡眠は必要だ。明日の授業がある。古語と魔法文字の課題も出ている。錬成魔法の事前予習も必要だ。
(でも目が冴えた)
ドラゴン時代はこういう時、ただ空を飛べば良かった。夜の空気に体ごと投げ出せば、余計なことは全部風が吹き飛ばしてくれた。精霊力を思い切り吸い込んで、体ごと空に溶け込めば——
(今はそれができへん)
八歩四方の部屋の中で、桐子は天井を見上げ続けた。
(早くこの謎を解きたい)
そして同時に——
(一番近くで寝てるこの子を、この問題から遠ざけなければ)
とも思った。
七
翌朝、食堂でルディアと朝食を食べていたら、向かいに誰かが座った。
ともに試験でトップだった学生だ。
名前はソルガ——ソル、と自己紹介した。年齢は十九歳。短く切った暗褐色の髪、落ち着いた灰色の目。口数が少なく、必要なこと以外は喋らない印象がある。試験の筆記は学年首席で、実技は桐子に次ぐ二位だった。
「隣いいか」と一言聞いて、返事を待たず座った。
「ええ、どうぞ」とルディアが答えた。桐子は頷いた。
(この学生、雰囲気が独特やな。落ち着いてる、というより——慣れてる感じがする。何かに)
少し間があってから、ソルが口を開いた。
「昨夜、校舎を歩いていた?」
桐子は手の動きを止めなかった。パンを千切る動作を続けながら、ゆっくり顔を上げた。
「何かと間違えてませんか」
「第三廊下で、かすかに精霊力の気配がした。人間一人分の」とソルは言った。「俺は眠りが浅い」
「そうですか」
「地下倉庫の方向から来ていた」
沈黙が、少し伸びた。
(この学生、精霊力の感知精度が高い。気配の残滓を拾えるレベルは、かなりの実力や。しかも冷静に情報として提示してくる。感情的な追及やない)
ルディアが不思議そうな顔でソルと桐子を交互に見ていた。
「気のせいじゃないですか」と桐子は言った。「私は消灯後は部屋にいましたよ」
ソルは一度だけ桐子の目を見た。
(嘘を見破ろうとしてる目やない。何かを確認しようとしてる目や。この人も——地下のことを気にしてる?)
それから視線を外して、パンを食べ始めた。
「そうか」とだけ言った。
話はそれで終わった。
ルディアが「なんか朝から雰囲気あった」と後からこっそり言ってきたが、桐子は「気のせいですよ」とだけ返した。
(このソルという学生が、何を知っていて、どこまで感知できて、何を考えているのかは——まだわからない)
(ただ一つだけ言えるのは、あの目は嘘をついている人間を見る目やなかった、ということや)
(もっと別の何かを——探している目やった)




